第7話

あれから時が経ち、リッカは16歳になった。
あの日の任務のことは、よく覚えている。

思えば、あの日から、イブキを意識するようになったんだ。



リッカは伸びた髪を丁寧に梳き、いつもの任務服を着て家を出た。

七代目は、色々と手を尽くしてくれているようだけど、白と言う人と自分の関わりは全くつかめていないらしい。それでも、まだ調査は続けると言ってくれた。白、と言う人はもう亡くなっているらしく、他に手掛かりもないことで、随分と大変な調査だと思う。3年も続けてくれたことに感謝をし、先日、もう調査はやめてください、と頭を下げた。

代わりと言っては何だが、七代目は自分が白と言う人と出会った時のことを話してくれた。知っている限りの白のことも。
そして、いくつかの共通点を見つけた。まず、七代目が言っている通り、この顔。そして、氷遁の使い手ということ。それから、千本を使った戦闘術や、片手で印を結べることも同じらしい。それは、白と自分がただの他人ではないことを証明するのに十分な証拠だった。今まで一人だと思っていたから、今の私には、その証拠だけで十分だった。

家を出て、階段を下って行くと、見慣れた背中をみつけた。
明るい髪、淡い若草色の衣。少し広いその背中を見つけると、最近は、思わず手を伸ばしたくなる。
しかしリッカは両手を背中で組んで、その人物に駆け寄った。

「イブキ。おはよう」

イブキはちょっとだけ振り向いた。

「おはよう。じゃ、行こうか」



リッカとイブキ、そしてコウライは、すでに中忍になっていた。今はそれぞれ慕う上忍の弟子に付き、修行を重ねながら任務をこなす日々だ。
そのコウライが、先日の任務で怪我を負ってしまい、寝込んでいると言うので、今日はお見舞いに行くことになったのだ。

ふたりで花屋に立ち寄り、花を選ぶ。すると、店先によく見知った女性が現れた。いのじんの母、いのだ。いのは、ニコニコといつも通り明るい笑顔を浮かべ、ふたりに声をかけた。

「いらっしゃーい。あらイブキくんにリッカちゃん!」

客がイブキとリッカだとわかると、あきらかに目の色を変えた。

「なーに、あなたたちってそういう仲なの!?イブキくん、リッカちゃんにプレゼント?」
「あはは。いえ、今日はコウライのお見舞いです」
「なんだ、そうなの。コウライ、怪我したんですってね?」

お喋りをしながら、いのはお勧めの花を教えてくれた。それらを花束にしてもらって、代金を支払う。

「またいつでも来てねー!イブキくんて、昔のうちの旦那にちょっと似てるのよー。リッカちゃんも昔のあたしにそっくり!なんか昔を思い出しちゃうわー。あのね、うちの旦那ったら、出会った時にね…」
「あはは、どうも。また今度聞かせて下さい。それでは」

イブキは爽やかに会話を断ち切って、リッカの手を掴んで歩き出した。ふいに掴まれた手に、リッカはドキリとする。

「ごめん。」

イブキは、角を曲がったところでリッカの手をあっけなく離した。
こころなしか残念に思いながら、リッカはイブキの後に続いた。


病院に着くと、受付でコウライの病室を聞いて、部屋へ向かった。2階の角部屋の個室だ。イブキがドアをノックすると、はーい、と明るい女の子の声が返ってきた。

「どちらさま……あっ!」

ドアを半分開けて顔をのぞかせたのは、コウライの妹、ヒライだった。コウライに似た明るい茶色のくせ毛は腰ほどまで伸び、淡い昼の日差しを受けて光っている。

「い、イブキさん!」

ヒライは頬をほのかに染め、肩を竦めた。そして、隣にいるリッカにも気が付いて、きゃあっ!と興奮気味に悲鳴を上げた。

「おい、なんだよヒライ、うるせーな!」

部屋の奥から不機嫌そうな声が響いてくる。するとヒライがむっとして、部屋の奥に駆け込んでいった。

「お兄!寝てる場合じゃないよ!イブキさんとリッカさんが来てくれたんだから!起きろ!」
「いてっ!てめえ怪我人に何しやがる!」

「元気そうだね」
「え?うわっ!お前……!ってリッカちゃん!」

イブキが声をかけると、コウライはハッとして動きを止めた。それからイブキの隣にいるリッカを見つけて、慌てて起き上がろうとした。しかしわき腹を抑え、声を飲み込んで蹲った。

「怪我人は寝てろよ。ほら、お見舞い」
「調子はどう?」

イブキが花束を差出し、ヒライが花瓶に生けた。コウライを心配そうに覗きこんだリッカの華奢な肩から、絹糸のような黒髪がさらりと流れ落ちるのを、コウライはつい見つめて、目を逸らした。

「へ、平気だよ!大したことねーから…」
「そーそー、全然大したことないんですよ!明日には退院できるし!」
「お前はもうちょっと心配しろよ!」

間髪入れずに口を挟んだヒライに抗議するコウライを見て、「やっぱり平気そうじゃん」とイブキが呟いた。

「じゃあ、そろそろ帰るわ」
「お大事にね。」

立ち上がったイブキと、連れ立って帰るリッカ。ふたりともどことなく似た雰囲気があって、まるで二人の周りだけ、心地良く涼しい風が吹いているみたいだった。
扉が静かに閉められ、部屋が寂しくなった気がして、コウライは窓の外に目を向けた。背中から、ヒライの感嘆のため息が聞こえてくる。

「は〜〜〜、イブキさんとリッカさんて、お似合いだなあ。イブキさんはますます格好良くなっちゃって。リッカさんも、すうっごい美人で!あたしもあんなくノ一になりた〜〜い」
「お前には無理だろ」
「なっ!お兄、ひどっ!自分がイブキさんに敵わないからって!」

ボスン!と布団越しに背中を叩かれたが、いつものことなのでそれほど気にならず、コウライは窓の外を眺めていた。病院から出てきたイブキとリッカが見える。リッカがイブキより少し遅れて並んで歩いて、その落ち着いた様子は、長年付き合った恋人同士のように見えて、コウライは胸の奥に深い嫌悪感を感じた。





お見舞いを終えて、もう二人で済ませる用事はないのだけど、リッカとイブキはなんとなくまだ連れ立って商店街を歩いていた。初夏を迎えた里では様々な味のアイスクリームやかき氷が売られている。

「なあ、アイス食べたくない?」

イブキのその呟きで、ふたりはアイスクリームの屋台に立ち寄った。

「はい」

イブキがアイスを買ってきて、白桃のシャーベットをリッカに差し出した。イブキは瞳に似た淡い翡翠色のアイスクリームに口をつける。

「ありがとう」

リッカはアイスを受け取って、少しだけ舐めた。爽やかな甘みが口の中に広がる。白桃のシャーベットは、このお店で一番好きなアイスだ。イブキはいつも、こうしてリッカの一番をなぜか知っていて、先回りしてくれる。当然、リッカもイブキの一番好きなアイスは心得ていた。彼の好きなアイスはメロンアイスだ。このお店は毎年夏に商店街で屋台を出すお店で、昔からよくコウライも一緒に3人でアイスを買ったものだった。

「ここのアイス、久しぶりだな」

ぽつりとイブキが呟いた。もう半分くらいアイスを食べてしまっている。彼は見かけによらず物を食べるのが早い。

「そうだね。」

リッカが頷いた時、すぐそばで、子供の泣き声が聞こえてきた。
見ると、アイスクリームを食べている兄妹がいた。ひとりは10歳ほどの兄で、もうひとりはまだ幼い妹だ。兄は泣いている妹に狼狽えていて、妹は顔を真っ赤にして泣き腫らしている。その小さな手には、アイスクリームのコーンが握られているが、真っ白のアイスは溶けてぼたぼたと零れ落ちてしまっていた。

「な…泣くなよ!早く食べないからだろっ!」
「だ…だってえ…だってえ…!」

「大丈夫よ」

リッカは泣き続ける少女の前にしゃがんで、アイスクリームに手を翳した。

「アイスクリームもね、あなたに食べてほしいって。ほら…」

そう言いながら、片手で簡単な印を結び、アイスクリームを再び凍らせて、綺麗に形を作ってやった。みるみるうちに元通りになったアイスクリームを見て、少女も少年も目をまん丸くし、パアッと笑顔を浮かべた。

「うわあー!すっげー!」
「おねえちゃん、ありがとう!」

兄妹は仲良く手をつないで帰って行った。それを見届けて、リッカもあわてて自分の溶けかけたアイスを食べ始めた。イブキは早々に食べ終えて、包み紙をゴミ箱へ放り投げいれた。

さく、さく、とリッカがコーンを噛む音が響いた。ふたりは並んで手すりに寄りかかり、道行く人を眺めながら黙り込んでいた。ふと、溶けたアイスクリームがひとすじ、コーンを伝って落ちそうになった。リッカはそれを追いかけて俯いた。その横顔に長い髪が流れ、口元を邪魔した。すると不意に、髪がさらりと持ち上げられた。
イブキがリッカの髪を指先で押さえたのだった。
リッカは何も言わず、アイスクリームを食べ終えた。イブキも何も言わず、リッカの髪から手を離した。

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