語られない言葉と意図




「今日の夢はどうだった?」

 寝ぼけ眼で朝食のフレンチトーストを咀嚼する私に、お母さんが心配そうな声を掛けた。昨日個性のことで不安にさせてしまったからかな。ずっと落ち着きない感じで、一人娘を気遣ってくれていた。それはわかっていたのだけれど、夢のことをなんと説明していいやらわからない。思案の時間稼ぎに苦笑いを返した。
 今日の夢も相変わらず、切島くんの夢だった。ここ数日間連続して同じような内容の夢だけど、雰囲気的には昨日見た夢に酷似していたように思う。唯一違うところを挙げるなら、切島くんの涙を見ることがなかったくらいか。だけどお母さんが案じている点はたぶん、内容についてじゃない。

「大丈夫。今日は苦しくないよ。ただ……」
「ただ?」
「毎日、同じような夢ばかりみるの。それがちょっと、気になるかな……」

 ずっと気になっていた。未来予知というには違う気がする、と。こんなことが何日も連続して起こる可能性があるわけない。何かがおかしい。昨日に至っては夢のせいで学校を休んだのに、直前に見たものはそれ以前と同じく、放課後の教室が舞台だった。
 確かに、未来には無限の可能性がある。だけど、こんなの、さすがに違和感を感じざるを得ない。

「お母さんは、何日も連続で同じ夢を見たことある?」

 僅かな期待を込めて尋ねたけれど、お母さんは「ううん」と首を横に降った。「だよね」と私も俯く。

「……ねぇ、やっぱり病院で診てもらった方がいいんじゃないかしら?なんか、お母さん、不安になってきちゃった」
「……うん、私も、なんか変な感じする」
「今日学校から帰ってきたら行こう?予約しておくから」

 うん、と、小さく返事をした。病院。病院かぁ。
 フレンチトーストの最後の一口を口に入れ、ごちそうさま、と席を立つ。自分でも元気がない声を出してしまったなというのはわかったけれど、口に出した後ではどうにもならない。ついでのように意図せずため息が出そうになったのは寸前で止めて、ごくんと呑み込んだ。
 昨日の今日だからかもしれない。ああ、なんか、今日は身体が重たいなぁ。
 


 教室のドアを開けてすぐ。待ち構えていたみたいに寄ってきたのは、上鳴くんだった。あんまり気持ちがこもっているようには見えない態度で「昨日はごめんなー」と謝罪をされたけど、許さない、とは言えなかった。こんなにも軽いノリでの発言なのに、どうにも憎めないというか。ついつい許してしまうような魅力があるんだろうか。やっぱりズルい人だ、と思う。

「体調良くなったん?」
「うん、まぁ……。でも、今日病院行こうかなって」
「え、結構ヤバイ感じ?大丈夫かよ」
「……大丈夫であってほしいんだけどね」

 詳しい事は言えなかった。切島くんに近い位置にいて、なおかつ私の事情を何らかの形で知ってしまっていそうな上鳴くんには、特に。
 鞄の中身を整理しながら上鳴くんの詮索を適当に躱して、百ちゃんや梅雨ちゃん、響香ちゃんたちが駄弁っているところへ近付く。女子に囲まれてしまえば、いくら上鳴くんだって空気を読んであまり変な事は言わなくなるんじゃないかと思って。女子は敵に回しちゃうと怖いもんね、うん。
 案の定、梅雨ちゃんや響香ちゃんがいれば上鳴くんはいじられ役に回されてしまうので、私の体調の確認が済むと、すぐに昨日の戦闘訓練での上鳴くんの失態について語られることになった。どうやら響香ちゃんを相手に瞬殺されてしまったらしく、その様子がものすごく情けなかったよう。
 なまえにも見て欲しかった!とケラケラ笑う響香ちゃんと、思い出し笑いを我慢している百ちゃんの様子からして、相当のものだったらしい。上鳴くんは終始苦虫を噛み潰したような顔をしていて、何の反論もできないまま。うわあ、それ、ちょっと見たかったな。

「みょうじ」

 名前を呼ばれて、思わず、肩が跳ねた。
 もう絶対電話で聞いても間違えることはないほどに私の頭に深く刻み込まれた声。この声を聞くと、反射のように心臓が暴れる。顔が、真っ赤に染まる。
 声がしたのは背後からだった。そろりと振り返ると、切島くんが側頭部に手を掛け、申し訳なさそうに立っていた。

「昨日はごめんな。しんどいのに、電話に出させて」
「う、ううん!気にしないで!わ、私も、その、ごめんね。上鳴くんだと思って電話出ちゃった、から……び、びっくりしちゃって……。あと、戦闘訓練も……」
「え、あ、いや!そんなんいいよ!そんなことよりさ、あの……た、体調、大丈夫か?」

 うわぁ、会話してる。切島くんと、会話、してるんだ。
 ついこの間までは、ただのクラスメイトだった。まともな会話なんてしたことないくらい、遠い人。同じクラスとはいえ、ずっと会話なんてする機会はないはずだった。のに。

 たった数日間で、驚くほど彼を見る目は変わってしまった。

 元はと言えば個性のせい。とはいえ、最近の私はどうもおかしい。その名前を、声を、聞くだけ。たったそれだけのことで、胸がきゅうっと苦しくなる。ドキドキしすぎて、これがただ単にいやらしい夢を見てしまった羞恥心からくるものなのか、それとも違う何かなのか、私自身がわからない。「あ、う、」と、変な声が漏れた。大丈夫じゃない。大丈夫なわけない。だけど、「大丈夫か?」と問われて、「大丈夫」以外に返す言葉が思い浮かばない。
 上鳴くんが何か言おうとしたのか口を開いたところで、それより先に響香ちゃんの声が耳に入る。

「なまえと切島って付き合ってんの?」

 唐突すぎる言葉に、思わず咳き込む。切島くんも酷く狼狽しているようで、言葉が出てこないようだった。き、響香ちゃん、なんてことを!

「違うの?二人して顔赤いし、お互い目ぇ見て喋ってないし、なーんかよそよそしい感じしたから」
「な、ち、ちが、ちがうよ!そんなこと……」
「そ、そうだぞ耳郎!な、な、なんつーこと言うんだ……!」

「……ふーん……」

 にやにやと、ああそういうことかと全てを察したような表情をする響香ちゃん。目で、後で詳しい事聞かせてもらうからね、と話しかけられている気がした。私はもう恥ずかしくて恥ずかしくて、切島くんの顔も響香ちゃんの顔も見ることができない。ああ、ちがう。ちがうのに。これじゃあ、響香ちゃんの言うことを肯定してしまっているみたいじゃないか。
 「どういうことですの?」と首を傾げる百ちゃんと、「詮索はよくないわ」と勘付きながらも制する梅雨ちゃんの横で、上鳴くんだけが何やら難しい顔をしていた、ように見えた。

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