この勝負に負けたくないから




 あれ、上鳴くん。どうしたの?
 そう声を掛けたつもりが、なぜだか言葉にならなかった。
 目の前にはへらへらと笑う上鳴くんがいて、私と上鳴くんの間には四角い白いテーブルがある。机上には、ハンバーガーやらジュースやらポテトやらチョコレートサンデーやら、食べ過ぎるとあまり身体に良くなさそうなものがたくさんたくさん置かれていて、ああ、だから彼はこんなにも笑っているのか、と思った。好きなものに囲まれているから、幸せなんだ、きっと。
 一人で何かを話し続ける彼に、よく分からないままふんふんと相槌を打つ。話す内容は私の集中力の問題なのか、全く頭に入ってきてなどいない。なんだろう、この状況。どうしたんだろう。

「というわけでさ、俺が背中押してやってんだから。だから、だからな、みょうじ。幸せになんないとダメだぞ!」

 その長々とした話のまとめに当たるのだろう部分だけが、やけに鮮烈に耳に残った。突然のことに頭はついていけない。「え、うん、」と頼りない返事を返してしまう。
 上鳴くんは私の返事を聞くと満足そうに、……少しだけ、困ったような表情で眉を下げて、漸く「よし、」なんて納得をしていた。



*****



「今のって、」

 目が覚めて、先ほどのあれは夢だったのだと気付く。大勢の中の一人として出てきたことはあっても、上鳴くん一人が出てくるなんて、初めてのことだった。きっと昨日のマックでの会話の印象が強く強く彼に残っていたんだろう。そしてこんな夢を見るってことは、きっと、すごく心配されていたんだと思う。幸せになんないとダメだぞ、なんて、そんなこと思っていたんだろうか。上鳴くんは、私に。

「……なんか、すごいなぁ、上鳴くん」

 優しい人だ、彼は。一友人である切島くんと、そのついでに私のことまで、個性が発動してしまうほど強く強く心配し、応援してくれてるんだ。
 そんな彼が猛烈にプッシュしてくれている切島くんと、今日は戦闘訓練を行うわけだけど。

「昨日の夜、二人で出かける話までしちゃったし、切島くんの夢は覚悟してたのに……。なんだろう、個性の発動のキッカケがイマイチよく分かんないなぁ……」

 首を捻りながら、身支度を整えるために起き上がる。所謂、拍子抜けというやつだった。こんな事を言うのもなんだけど、き、き、キスどころか、すごい内容の夢を見てしまったらどうしようと寝る前はすごく不安だったんだもの。でもお陰で、戦闘訓練の方に集中できそう。よかった、恥ずかしい夢じゃなくて。
 いつもの、道場での練習通り、いけるだろうか。対人戦闘なら切島くんに分がある。勝てる自信はないけど、負けるつもりは全くない。これは授業で、プロヒーローになるための大切な過程。真剣勝負なんだから、色恋に浮かれて手は抜きたくない。学べるところはしっかり学ばないと。切島くんを実際に視界に入れてしまったら、いろんな意味で緊張はしてしまうかもしれないけど。でも動けなかったりしたら相澤先生が怖いもんね。怒られるのはいやだし。

 緊張しないように、真剣に、勝ちを狙おう。大丈夫、私は強いんだから。

 ……って、思ってたんだけど。

 緊張するよねー!しちゃうよねー!
 ばくばくと激しく音を出す心臓に、吐き気を覚えた。ああ、胃の辺りが気持ち悪い。唾液がとめどなく溢れてきて、先程から何度も嚥下している。早く終われ、早く、早く。

 セメントス先生作の特設フィールドは街中を模していて、建物や道路、一般人に見せかけた人形などが広く設置されている。ひしめき合い、細かに動くその人形に当たらないよう、気を付けて移動や攻撃をしなければならない。私の個性では広範囲の制圧なんて出来ないからそんなに影響はないけれど、轟くんや爆豪くん、上鳴くんなんかは大変そう。でも敵が出るのって街中や建物の中なんだもんね。人にしても街にしても、できるだけ被害は最小限に抑えて、なおかつ、敵は迅速に確保しなければならない。
 以前授業で使用した対敵用の確保テープを握りしめ、緊張に身体を震わせる。想像してたよりも大変だよ、これ。
 クラスメイトの戦いをモニター越しに見て、どうしようと頭を悩ませる。うう、気持ち悪くなってきた。でも他人の戦い方をじっくり見る機会なんてあんまりないし、しっかり勉強させてもらわないと。集中なんて、全然出来てないけど。
 切島くんの方をちらりと見る。どんな表情をしているのか、少しだけ気になってしまって。だけど案外落ち着いていたから、ちょっとだけ悔しい。私だけなのかな、こんなに緊張してんの。なんだか恥ずかしくなっちゃう。



「よっしゃ、みょうじ、手ぇ抜くなよ!」
「抜けないよ、切島くん相手に」

 そうして、いざ相対した時。完全に戦闘モードに頭を切り替えてくれている切島くんに、私は内心ほっとした。すごいなぁって尊敬半分、私も頭切り替えないと、という焦りが半分。そして心の隅っこの方では、切島くんとのあの夢の事を思っていた。
 とはいえ、実践となると無個性と変わりない私だから、気を抜いちゃうのは絶対ダメだ。被服控除でお願いしていたヒーローコスチュームは、フットワーク重視で軽量のもの。あとは攻撃力を少しでも上げるために、ブーツとアームカバーに火薬が少々仕込んであるくらい。これは爆豪くんの戦い方を参考にして、最近改良を加えたの。だけどこれだけじゃ心許ない。最強の矛にも、最強の盾にもなるという頑丈さを持っている切島くん。生半可な攻撃では、逆にこちらが傷付いてしまうだろう相手にどう戦うか、なんて、一つしか思い付かなかった。

 試合開始の合図と共に、私は、空いていた距離を一気に詰めた。

/ 戻る /

ALICE+