夢の少年


 太陽にさらされて渇いた大地に、澄み切った一陣の風が吹いた。暖かな息吹を受けて目を覚ましたのか、名も無い草花が首を振る。木陰には霜が残っていたが、じきにそれも溶けて消えていくだろう。パエルニスタ国は本日も快晴。春を間近に控えたこの地では、生き物すべてが活動を始めていた。

 その草花を踏まないよう、底の厚い黒いブーツが足跡をつけた。足跡の持ち主である一人の青年は、そのまま足を進めると切り立った崖から眼下を見た。長身のシルエットが美しい。銀の髪、青い目といいパエルニスタの人間ではないだろう。青年の、その伸びた髪が風に揺れている。獲物を探すよう動く触覚にも見える。目線の先は林道だ。

 その林道は馬車がようやく通れる、といった簡素な道で、ある商人一家を乗せた荷馬車がやって来た。青年の獲物なのだろうか。


 来てはいけない。

 来てはいけないよ、この道は。

 お腹を空かせた野獣どもが、大かな口を開けている。


 掠れる声を響かせたのは青年だったのだろうか。誰の耳にも入らないその声は、風に消えていった。
 馬車の上、馬の手綱を持った商人が、後ろに振り返り、荷台にいる娘に声を掛けた時だった。馬の悲鳴が響き渡る。それを合図にするかのように、十数人の山賊たちが馬車を囲んでいった。手慣れているのかその動きは実に素早かった。

 娘がか細い悲鳴を上げる。商人は腰の短剣を取ると、心許ない手つきでそれを構えた。が、一瞬にしてそれは山賊の剣によって宙に舞っていった。

 荷台の奥にいた娘の母親が娘の手を引こうとするが、それを察知した山賊が娘を捕らえる。これまた素早く喉元へと剣先を突き付ける動きは男達の非道さをよく表していた。若い娘は金になり、自分たちの欲求も満たしてくれる。

 娘の元へと駆け寄ろうとする母親に、別の山賊の黒光りする剣が伸びた。躊躇ない動作と残忍な笑み。

 視界の片隅にそれを捕らえた商人が声にならない悲鳴をあげ、妻の元へと倒れ込もうとしたその時、商人の目に映ったのは今まさに妻に向かって刃を向けていた山賊が、首から血を吹き出す姿だった。

 ぐらり、体が傾く。その山賊が地に伏せる瞬間、娘を捕えていた山賊が怒声をあげ、剣を持つ手に力が入る。娘は思わず目をつぶった。

 次の瞬間、娘の体は自由になり、急なことに思わず倒れそうになった。振り向くと自分を捕らえていた山賊が倒れている。

 地面に広がる血溜まりを唖然と見ていると、自分の足元に山賊の腕が剣を握る姿そのままで転がっているのに気付き、娘は悲鳴をあげた。

 母親が娘に抱き着き、商人が妻子の肩を抱く。その頃になってようやく、商人一家は銀色の髪の青年の姿に気が付いた。風の様に速く、また木の枝でも斬るかのように呆気なく、淡々と山賊達を斬っていく青年。

 最後の一人になった山賊が、林に向かって逃げ出そうした。が、青年の口から「力ある言葉」が放たれる。

「フレイム・ランス」

 青年の身長ほどの赤い魔法の槍。熱波をまき散らしながら山賊の男の背中に突き刺さった。炎を上げながら倒れる姿は人形のように現実感がない。

 駆除、という言葉が当て嵌まる青年の淡々とした態度に商人は背筋が寒くなった。

 青年は大きなバスタードソードを柄に器用に仕舞うと、商人一家に向き直る。

「……大丈夫か?」

 その声は今の戦闘が幻かと思うほど、ぎこちなく、また若さを感じるものだった。
「は、はい……ありがとうございます…!」

 商人は渇ききった喉元から声を絞り出した後、改めて青年の姿を見直す。

 思ったよりまだ若い。少年をようやく過ぎた頃と言ってもいいような年齢だ。

「この辺りをうろつけば、野盗や山賊の良い鴨になるだけだ。何の腕も無い人間が通っていいところじゃない」

「お、おっしゃる通りで。しかしながらここを通らないとなると私たちの故郷、レザックに行くには向こうの山を2つも越えなくてはなりません。このとおり家族で商人業をやっとりますので、妻子の体力を考えると難しいところでして……」

 商人は自分でもなぜこの青年に対してこんな言い訳をつらつらと並べているのかわからなかったが、許しを乞うような態度を取ってしまう。それは今しがた見た圧倒的な力への恐怖でしかなかったのだが、商人には救世主にそのような感情を抱くこと自体、罪に思えたのだ。そんな姿に青年はやや気まずさを感じたように手を振り、頷いた。

「そうだな。……悪いのは野盗どもの存在の方だった。悪かった。……この林を抜ければすぐに街道だ。そこからは安全だよ」

「あ、ありがとうございます!」

 商人が頭を下げると、妻、娘も揃って頭を下げた。青年は少しぎこちなく笑顔を作ると、立ち去ろうと踵を返す。

「あ、と、お名前は……?」

 商人の言葉に青年の足が止まり、顔だけ振り向くと静かに答えた。

「カイン。カイン・レフスタード」

「カイン様、このご恩は一生忘れません」

 商人一家は再び深く頭を下げ、青年の苦笑を誘うのだった。





 主要街道の大きな通りに出てしばらくした時、娘は荷台から身を乗り出すと父親に声をかけた。

「お父さん」
「なんだい」
「あの方、すごい人だったわね。あんな強い方、うちの村じゃ見たことがない」
「そうだなぁ、感謝しなきゃならんな」
 娘は頷くと荷台に戻り、また御者席側に顔を戻す。
「……お父さん、あの方、きっと良い人よね?」

 その口調はまるで真逆の意味を持たせているかのようだ。

「うん。……ああいう人は、まあ、そうだな」

 商人は暫く黙るとふう、と息をついた。

「ああいう風に、闇の中足突っ込んじまってるような人間は何度か会ったことはあるが、あんなに若いのになぁ。きっと……」

 商人は「長生きしない」と言おうとして、あまりに不謹慎かと口を紡ぐ。

「あ、おとうさん、村が見えてきたわよ」

 娘の顔がほころぶ。日が傾く前に家に帰れそうだ。一家はホッとするとともに、青年に改めて感謝した。

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