その日、彼は子猫を拾った。真っ白い毛並みの、美しい子猫。寒空の下、夜の中にあっても、街の片隅に横たわる姿はまるで一枚の絵画のようであった。

仕事を選り好みした挙げ句に暇を持て余して徘徊していた、常人ならば避けて通るような路地裏。
暗がりに潜むように、溶け込むように。夜明けが近くなり黎明なる蒼い光が射し込む。それに反応したのかその四肢が縮んだ。

怯えているようだ。

徐々に白んでゆく空が子猫の姿を鮮明に浮かび上がらせる。細身にこの白さ、死体かと思いもしたが、動いたからには死んでいるわけではなさそうだ。


「……おい」


低く声をかける。ひくり、目の前で微動する。

「こんなところで何をしている」

重ねて問う。ゆるり……と、瞼が持ち上がった。
ぼんやりとした視線に射抜かれる。開いた瞳は深紅、その深さに驚く。

「聞いてるのか」

子猫、もとい少女は、ゆっくりとした動作で上体を起こして彼を仰いだ。
不信感も何も映し出さない両の目は硝子玉のように透明で、微睡むように瞬く。

「私はここで眠っていただけ」

涼やかな声だった。繊細な音色にも似た。

「こんな場所で寝るなんて正気じゃなさそうだ。家はどうした、名前は?」
「名前なんてないわ、捨ててしまったもの」

少女は瞬きと同じ速度で言葉を紡ぐ。ゆっくり、ゆっくり、淡々と。
ここは壊れた街。少なくとも彼はそう呼んでいる。だから名前も家族も居場所も持たない人間は山といる。彼はそれをとてもよく知っている。
口元が歪んだ。己を重ね合わせて。

「名前がないのか。奇遇だな、僕も名前はないんだ」

通称はあるが望んで呼ばれているわけではない。彼にとって名前など記号に過ぎない。

「帰る場所がないならついてくるか?」

手を差し出すこともなく告げた。
少女がゆるりと瞬く。

「僕が飼ってやる」

そうして子猫は拾われた。真っ白な毛並み、深紅の瞳の、まだ幼い少女の姿をした子猫である。





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