きっと私なんかが行かなくても、とっくに敵は殲滅してるだろうに、ボスから直々に猟犬のお迎えに行ってあげてねと言われたら行くしかない。
つんと、風が運んできた鉄と火薬の入り混じった独特の匂いが鼻をつき、思わず眉根を寄せる。いつまでたってもこの臭いは好きになれない。
ついさっきまで戦場になっていた場所に到着すると、其処には血塗れで地面に横たわる生前の姿がわからない無数の亡骸と、線の細い人影が1つ。



「あーあ、こんなにやらなくったっていいでしょうに」



物言わぬ血肉の塊となった死体に目をやりながらそんな事を言うと、彼の身に纏う外套より真っ黒な双眼がこちらを捉える。



「、、、ボスの命令は敵の鏖殺だ。僕はそれを遂行したまで」



「んー、まあそうだね。仕事の出来としては申し分ないと思うよ。じゃ、帰ろっか」



ここ臭いし、そう付け足そうとすると頬を鋭い何かが掠める。チリリと、傷口が熱い。



「芥川くん、私は敵じゃないよ」



咎めるでもなく、畏れるでもなく、淡々とした口調で告げるた事が逆効果だったのか、静かに激昂する彼に今度はぐいと胸ぐらを掴まれた。



「苦しいよ、芥川くん」



「、、、何故だ。何故貴方も僕を認めない?」



貴方も、か。
彼の頭には、きっと今は何処ぞの探偵社に勤めふらふらと相変わらず自殺に没頭してる彼奴が浮かんでいるんだろう。
芥川くんは太宰のことを尊敬とか、師として仰ぐとかもはやそういった範疇を超えた、信仰にも似た感情でみている。それはもう見てるこちらが辛くなるくらいの勢いで。



「芥川くんにとっての認められるが、如何いう定義なのかは分からないけど、私が貴方を認めることは、太宰が貴方を認めることには繋がらないよ」



その言葉に私の胸ぐらを掴む腕に込められる力が強まった。
芥川くんはきっと勘違いしている。彼が私に認めて欲しいのは、私の事を太宰のように慕っているからとか、尊敬しているからとかではない。恐らく、私が以前太宰と交際していたからだ。でもそれは昔の話。太宰治がマフィアを抜けるまでの事だから今は私と彼は何も関係がない、と言えば嘘になるがたまに会って下らない話をする程度の仲であって、もう昔のように逢瀬を重ねたり床を共にするようなことはない。
彼は重ねているのだ。マフィアを去った大宰と、その最も近しい存在であった私とを。可哀想だけど、私は太宰ではない。私が幾ら芥川くんを褒め称えてあげた所で、彼の心にぽっかりと空いた穴は、埋めてあげることは出来ないのだ。



「芥川くん、帰ろう」



「、、、」



漸く手を離してくれた芥川くんは、さっきまで人に怯え吠え狂う野犬のようだったのに、今は飼い主に捨てられた子犬のような悲しげな様子だった。
ごめんね、芥川くん。そんな顔をさせたいわけじゃないのに。



「、、如何すれば、一体何を成し遂げれば貴女と太宰さんは僕を認める?」



揺れる黒い瞳に映っているのは、私だけど彼が見ているのは私ではない。



「さあ、何だろうね。私にもわからない」



ごめんね不甲斐ない先輩で、そう謝ると芥川くんは尚更悲痛な面持ちになった。
先ほどまで私の胸ぐらを掴んでいた手を取り、歩き出す。
こんな死臭の充満したところにいたら、身体にも心にも毒な気がしてならない。




**********




繋がれた手の細さと白さは、本当に人を殺めてきたのか疑うほど弱々しいものだった。この人は、一体何度太宰さんとこの手を繋いだのだろうか。
僕の記憶の中で、色濃く残っている日は、2つある。1つは太宰さんに出会ったあの日、2つ目がこの少しでも力を込めたら折れそうな手をしてるなまえさんに出会った日だ。
初めて太宰さんに稽古をつけてもらった日、僕は立つこともままならない程傷を負ったことを今でも忘れない。そんな事、貧民街にいた頃でさえ滅多に経験したものじゃなかった。口の中で滲む鉄の味の何と不味いことかと顔を顰めていると、一人の女が救急箱を持ってやってきた。それが彼女だった。



「あーあ、こんなに怪我させて。どんだけスパルタなのよ」



慣れた手つきで傷口の消毒をし、包帯を巻いていくなまえさんは、「ごめんね、あの莫迦、加減ってものを知らないから」と困ったように笑っていた。初めて会う人間への態度とは思えないほど、丁寧に介抱してくれる彼女に抱いたのは疑心でもない苛立ちでもない、初めて湧く感情だった。



「芥川龍之介くん」



「、、、?」



「太宰が教えてくれた。何だか強そうな名前だね。あ、私はみょうじなまえっていいます」




風に吹かれたら飛んでいく、蒲公英の綿毛のように柔らかで儚い笑顔だと柄にもなく思ったと同時に、我が手にしたい、他の誰にもその顔を向けて欲しくないと、本能的に願ってしまった。

しかし、それは叶わなかった。この人の笑顔は、視線は、気持ちは全て太宰さんに向けられていると知ったのはそれからすぐ後だ。嗚呼、僕は何一つこの人に敵わないのかと悟ると同時に沸々と、心の臓から直黒い何かが湧いてくるのを感じた。




「芥川くんは、強くなれば太宰にも勝っちゃうかもね」



太宰さんがマフィアから抜けた日、冗談めいたように彼女は僕にそう言った。僕が、戦果をあげ、太宰さんに認められれば、大宰さんに勝てば、貴女は僕だけにその総てを向けてくれる。


今すぐにでもこの繋がれた手を引き寄せ、その紅く熟れた梅桃(ゆすらうめ)のような唇に噛み付きかねない情動を、そんな何の根拠もない虚言で抑えつける事しか今は出来なかった。








毀れた刃を貴女に埋めて欲しい


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