今朝はずいぶん懐かしい夢を見た。孤児院にいた頃、よく一緒に遊んだある一人の少女と出会った日の夢だ。

彼女との出会いは、僕が孤児院に入って2日目のことだった。新入り、という弱い立場はやり場のない苛立ちや悲しみをぶつけるには格好の餌食で、僕は自分より体格のいい年上の子供たちに取り囲まれ、孤児院の洗礼を埃まみれの倉庫で受けていた。
反抗しようにも、向こうは5人がかり。勿論、助けなんて来るはずがない、入院早々絶望を突きつけられたその時だった。
ガラリと、勢いよく開いた扉から光が差し込む。逆光でよく見えないが、小さな影が一つ。



「そこまでだブタやろうども」



鈴を転がしたような可憐な声は、間違いなく女の子のものだったが、放たれた言葉の汚さに思わず耳を疑ったのを今でも憶えている。



「げっ、アイツだ」


「やべえ、逃げろ!」


たった一人なのに、その少女が現れた瞬間、血相を変えて逃げだす苛めっ子たちだが、その行くてを阻むように仁王立ちする少女。何が起こっているのか、さっぱりわからなかった。



「いいか、次この子泣かしてみろ。その100倍お前ら泣かすぞわかったか」



体格も年齢も上であろう少年たちに臆することなく、少女はそう言い道を開けた。逃げるように去っていった彼等をみて、少女はふんと、満足げに鼻をならす。



「大丈夫?」


しゃがみ込んだままの僕に目線をあわせるように、ちょこんと座る少女の言葉に、治まりかけた涙がまた溢れ出す。さっきとは違う、恐怖からではない安堵から流れポロポロと頬を転がっていくそれをみて、少女は「もう泣かなくていいのにい」と、ふにゃりとした笑顔を見せた。



「うっ、ヒック、、君は、、誰なの?」


「ん?私?私はね、正義の味方。いわゆる、ヒーローってやつ」



嗚咽交じりの僕の問いかけに返ってきた言葉は、まさかの答え。



「ヒーローはね、ああいう風に悪い奴らをやっつけるんだよ」


にひひと悪戯っ子のように笑うその顔は年相応のもので、相変わらずぐすぐすと鼻を啜っている僕に差し出された手は、紅葉のような手という表現が正しくぴったりだった。


「私、みょうじなまえ。この近くに住んでるの。あなたは?」


「僕は、、敦。中島敦」


涙と鼻水にまみれた僕の手を戸惑うことなく握り返し、「よろしくね」と白い歯を見せて笑う彼女は、本当にヒーローに見えた。



孤児院での暮らしは、どん底とも呼べるものだったが、唯一の救いはなまえがいたことだった。どんなに理不尽な仕打ちを受けても、彼女と一緒に過ごす、ただそれだけで心の傷は癒えた。
しかしなまえは、僕が16歳になる前の春に親の都合で引っ越してしまった。あの時ほど泣いた日は、後にも先にもない。困ったように笑いながら「必ずまた会いに来るから」と言ってくれたが、彼女と再び相見えることなく僕は孤児院を追い出されてしまった。

なまえは、今どこで何をしているのだろうか。元気にしているといいな、そんなことを考えながら出社の準備をしていると、机の上にある携帯電話が震えだした。ようやく使い慣れてきたそれの釦を押す。探偵社からの着信のようだけど、一体何かあったのだろうか。


「もしもし、」


『敦、落ち着いてよく聞け』


電話口から国木田さんの深刻な声色が聞こえる。その様子から何か重大な事態が発生したことが読み取れた。


『今、軍警の人間がお前を訪ねて社に来ている』


「っ?!警察がですか?!」


『要件を聞いてるんだが中島敦を出せの一点張りだ。追い返そうと試みたんだが、こんなに骨の折れる訪客は初めてだぞ全く。このままじゃ埒があかない。というわけだから、急いで来い、いいな』


「ええ?!そんな!」


『何かあっても出来る限り擁護してやるつもりだ。が、保証はしない。切るぞ』


その言葉の直後、ツー、ツー、と通話終了音が耳元で虚しく聞こえ出す。

、、国木田さん、最期の一言は出来ることなら聞きたくなかったです。




**********



重い足をなるべく早く動かし、探偵社に向かう道中、様々なことを考えた。ついに、僕の正体が警察にバレてしまったのだろうか、それとも別の用件が?、、、あまり考えたくはないが、おそらく前者だろう。
寮から探偵社までの距離は、目と鼻の先とまでは行かないが、数分でついてしまう道程だ。ゴクリと、固い唾を飲み込む。嗚呼、着いてしまった。
階段を一つ一つ踏みしめ、社のある階へ足を進める。まるで三途の川、否地獄への道を歩いてるような気分だ。



「だからあ!用件はさっきから言ってんでしょうが!中島敦と会わせて!これが用件!」



ずいぶん興奮した様子の聞きなれない女性の声が、ドア越しに聞こえた。話の内容からするとこの声の主が、警察の方なんだろう。一つ、深呼吸を置いてドアノブに手をかける。これ以上、社の皆さんに僕のせいで迷惑をかけるわけにはいかない。


「僕ならここです!」



ガチャリと、勢いよく扉を開けると同時に名乗りでる。自分でもわかるくらい、その声は震えていた。



「、、、あつし、?」


僕の声に弾かれたように振り返った女性が、譫言のように僕の名を呼ぶ。それにつられるように、僕もその人の名を呼んだ。僕は、彼女の名前を、知っている。



「、、、なまえ?」


まだ幼さは残るものの、顔立ちや雰囲気が随分洗練された女性になったなまえが、こちらに駆け寄ってくる。国木田さんや、与謝野先生、賢治くん達が何がどうなってるんだといった様子で見ているが、僕は説明するよりも先に気づいたらなまえに腕を伸ばし、抱きしめていた。離れ離れになったあの頃はまだ、そこまでなかった体格差はこの数年で大きく開いたらしい。僕の腕の中のなまえは、とてもいじめっ子5人を追い払ってたような女の子には思えないくらい小さくて華奢だ。



「、、敦、苦しい」


「?!ああごめん!!!、、どうして、ここに?」


「だって、約束したでしょう?必ずまた会いに来るって」



ニカリと、あの頃と変わらない屈託のない笑顔でそう言ってのけるなまえは、やっぱりヒーローのままで、思いもよらない再会とその言葉に、鼻と喉がツンとしたけど、ぐっとこらえ、「おかえり」と少し震える声で言った。









待ってたよ、
ヒロイン




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