かつて私の上司には自殺嗜癖の少し変わった人がいて周りの人々からはそれはそれは奇怪な目で見られていたが私は彼の行動を批判的に捉えたことはなかった。
人間の多くは生きていくために金を稼ぐ、子孫を残すためにセックスをする、餓えないように食事をする、といったように一見生産的なことをしているように見えて実はとても非生産的なことを繰り返し日々を過ごしていると私は常々思う。だって、そんなの意味ないじゃないか。人は生まれながらの死刑囚と何処ぞの哲学者が言っていたが、まさしくその通りだ。私達は母親の胎内で生命を宿ったその時から、死という不可避な終末へ自ずと歩いている。なら一体何の為に人は生きるのだろう、否、人だけじゃない、道端に生えた草木も日向で眠る猫も犬も電線の上のカラスも、いずれは死ぬのに、何故生まれてくるのだろう。
生まれてこのかた凡そ20年、私は一度も生きる意味というものを見いだせていない。このまま、その意味をわからず何年も生きていくのかと思うとそれだけで苦痛だ。




「うーん、やっぱり駄目かぁ」



右手にあるナイフ、否、ナイフだったものはドロドロと融け落ち、無残にも持ち手の部分だけが残っている。
私の身体に触れたありと凡ゆる凶器は、どういう訳かこのナイフのように跡形もなく融けたり、風化してしまうのだ。金属だけに限った話ではない、一度試しに陶磁器で頭を殴ってもらったことがあるが、それすらもサラサラと唯の石の粉になってしまった。割と高価なものだったから、少し勿体無い事をしたなと後悔している。
死にたいと思うのに中々死ねないでいる理由の一つは、この生まれ持った憎き異能の所為でもある。一度試しに首吊り自殺を試みた時は、椅子から足を離し全ての体重を天井からぶら下がる一本のロープに委ねた瞬間、首にかかったそれは風化し、私はべたりと床に落ちた。重火器の類も効かないし、こうなったら残る手段は飛び降り自殺か入水自殺しかない、しかし悲しいことに私には自殺禁止令を出されている。
というのも、私はポートマフィアの特殊護衛官と呼ばれる大それた役目を仰せつかっている。主な任務はボスの寵愛を受けているエリス様を身体を張って護る、正真正銘のボディーガードだ。「私がいる限りエリスちゃんの身に何か起きることは万一にもないけど、いざという時は頼んだよ」と、笑いながらボスは私に言っていたがあれは暗に、勝手に死ぬことは許さない、ということだ。
また一つ、武器を無駄にしてしまったからあの人に怒られそうだなあ、なんて呑気に考えているとコツコツと近づく一つの足音。振り返らずともわかる、彼の人のものだ。




「また自傷行為か、異端児め」



「やだなあ止めてくださいよ芥川さん、私は至った普通です。それに、これは自傷行為じゃないです。だって、傷なんて一つもついてないんですもの」




そう言って私の左手首を見せるが、芥川さんはちらりとも見ない。その視線は相変わらず私に向けられたままだ。



「わかっているくせに、何故態々暗器の無駄遣いをする」



「うーん、わかっていても辞めれないんですよね困ったことに。本当、私はいつになったら静かに息を引き取れることやら」



恐らく、私が死ぬ方法は大まかに分けて二つある。
一つは、触れた異能を無効化する異能を持った太宰さんに手を繋いでもらって、自殺する。これは確実に死ねると思い一度彼に頼んだことがあるが、「人の自殺は見たくない」とあっさり断られてしまった。自分は所構わず自殺するくせに。
二つめは、撲殺だ。私の異能は、対人向きではなく人の身体を融かしたり風化することはできない。だから、殴る蹴るといった攻撃が一番効く。しかし、これはあまり楽な方法とは言えないから、試したくはない。



「芥川さんは、如何して生きているんです?楽しいんですか?」



「、、、彼の方に認めてもらう事、それが僕の生きる意味だ」



「相変わらず、苦しそうな生き方ですね」



とは言ったものの、どんな理由であれ生きる意味を見いだしてる芥川さんの事は、少なからず羨ましいと思ってしまう。私にも、生きる事への執着を持たせてくれる何かが一つでもあれば、この色味のない日々も少しは変わるのだろうか。



「どうせ生きているからには、苦しいのは当たり前だと思え」



「はは、辛酸なお言葉をありがとうございます。、、、そうですね、でも、死ぬときくらいは楽に、幸せに死にたいなあ」



独り言のつもりで呟いたつもりだった。無視されて当然だと思っていたのに、「、、喩えるなら、如何いう風にだ」と尋ねてきた芥川さんに少々面食らいながらも、わたしはポツリポツリと言葉を紡いだ。



「きっと、これは叶いっこない願望だと重々承知はしているんですが、、、私、こう見えて意外と愛というものには興味を持っているんですよ。こんな死にたがりの死に損ないを愛してくれる酔狂な人が存在するとはとても思えませんが、願わくばそんな人に死を看取って欲しいですね。何ならその人にこの息の根を止めてもらいたいです」



ま、無理でしょうけど。
へらりと、いつもの調子で芥川さんに笑いかけるが、彼は何も言わない。嗚呼これは心底呆れているんだろうなあ。




「ただの虚言です、忘れてください」


「ならば僕がその虚言とやらを叶えてやる」


「、、、アハハ。ご乱心ですか、芥川さん」




だってそれじゃあまるで、貴方様が私を愛してくれると、言ってるみたいじゃないですか。



「いいか、僕は貴様のような畸人を愛するよう尽力してやる。その代わり、貴様も僕を愛せ。さすれば、先ほどの言葉通り、僕が直々にその首を圧し折ってやろう」



「、、できれば、撲殺じゃなくて絞殺の方向でお願いしたいですね」



融けたナイフにも似たドロドロとした、だけど何処綺麗で、でもやはり醜い、そんな感情が心臓から指の先まで送り出される、そんな感覚がした。
芥川さんに終わらせてもらえる人生か、悪くない。その時がくるまで、先ずはこの人と愛し愛される関係になれるよう生きてみようじゃないか。






愛の産声



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