机の上にこんもりと置かれた、無花果の山に私は朝から悩まされていた。これは一体、何なんだろう。
「うわ何だその無花果の山は」
「ああ、おはよう中也。それは私が聞きたいよ」
「20いや、30はあるな、、、」
一体いつの間に置かれていたのだろうか、美味しそうに熟した無花果の一つを手に取る。うーん、私の机に置かれているということは、食べてもいいという意味なんだろうか。
「ねえこれって私が食べちゃっていいのかな?」
「あ?知るかよんなもん。食いたきゃ食えよ俺は知らねえ」
面倒ごとに巻き込むなとでも言うような中也の態度に少しイラッとしたが、まあいい。頂くとしよう。
「ちょっとナイフ貸してよ」
「、、まさかそれを切るんじゃねえだろうなあ?」
「ぴんぽーん、大正解」
「断る」
「ええ何でよーちゃんと拭いて返すからさーねーちょっとだけいいじゃんかーねーねーねー」
「あーー!五月蝿え!オラ!きっちり拭いて返せよ!」
「わあ、危ないなあ」
身長だけでなく怒りの沸点も低い中也からビュンと勢いよく投げられたナイフをキャッチする。何か嫌なことでもあったのだろうか、それともカルシウムが足りてないのか、、、多分後者だな。そんなんだから身長が伸びないんだと言ってやりたいが、これ以上怒らせると本気で蹴りかかってきそうだから黙っておくとしよう。
いい具合の堅さが残った無花果の皮をするすると剥いでいると、「何じゃその無花果の山は」とさっきの中也と同じ質問を部屋に入ってきた紅葉さんが問いかけてきた。
「いやあそれがわからないんですよ、でも私の机にあるから食べてもいいのかなと思って。あ、紅葉さんもいります?」
「いいのかえ?では一つ頂くとするかのう」
手のひらの上で三等分に切った無花果を一つつまみ、口に入れた紅葉さんは「中々美味じゃな」と満足げに呟く。美食家の紅葉さんの舌を唸らせるとは、この無花果、只者ではない。
「仕方ないから中也にも分けてあげるよ」
「、、手前それ誰のナイフ使ったと思ってんだ」
わなわなとチワワみたいに震えながら言う中也だったが、一切れ口に入れた瞬間先ほどまでの不服そうな表情とは一変し「、、これ美味いな」と驚きの顔を見せた。
どれ、私も一つ食べてみるとしよう。手のひらに残った一切れを口に入れた瞬間、無花果特有の蜜のような強い甘さが口に広がる。プチプチとした食感もたまらない。美味しい、美味しいけど、流石にこの量は食べきれない。
「そうだ、これ使ってタルト作ろーっと」
「は、お前、仕事しろよ」
「いいじゃんかちょっとくらい。ね、紅葉さん」
「名案じゃ、作ってまいれ」
「わーい!じゃあキッチン行ってきまーす。あ、中也ナイフ返すね」
「いや待てよってこれベタベタじゃねえか!」
何やらきいきい喚いてる中也はさておき、私は机の上にある無花果を近くにあったビニール袋に入れ、キッチンへと向かった。こう見えて、お菓子作りは得意な方だ。何たってあのスイーツ大好きなエリス嬢に太鼓判を押されている。そうだ上手に焼けたらエリス嬢にもあげよっと。
**********
「よし、いい感じ」
まずは土台となる生地を作らなくてはいけないわけだが、これがうまく焼けない事には美味しいタルトは出来ない。しかしさすが私、いい感じに焼け目のついたタルト生地は、見るからにサクサクだ。荒熱は取れたし、あとはこれに冷やしておいたカスタードクリームを流し込んで、無花果を飾れば完成だ。冷蔵庫で冷やしていたクリームを取り出していると、パタパタと軽い足音が近づいてきた。
「何だか、いい匂いがする」
「さすがエリス嬢。いい嗅覚してますね」
「当然でしょう?これは、、タルトを作ってるのね!」
大きな目をキラキラと輝かせるエリス嬢に「ねえ私も手伝いたい!ね!ね!」とせがまれたら、ボスほどではないがエリス嬢にメロメロな私は断れるわけがない。
「勿論!でもその素敵なお召し物が汚れないようにまずはエプロンをして、手を洗ってから一緒にしましょう」
「はーい」
真っ黒なお洋服に白の襞がたっぷりあしらわれたエプロンがよく似合う。エリス嬢のこんなところ、ボスが見たら鼻血出して写真撮りまくるだろうなあ。
「じゃあ、私が無花果を切るのでエリス嬢はその間にこのクリームをタルト生地に詰めていってください」
「わかった」
小さな手で絞り器をもち、真剣な表情でクリームを注いでいくエリス嬢の姿に癒しを感じずにはいられない。もしも将来子供ができたらこんな風に一緒にお菓子作りとかしたいなあ、最初は私と一緒に作るんだけど年を重ねるにつれ一人で作るようになって、はいママこのケーキあげる!とか言われたいなあ。想像しただけで幸せな家庭じゃないか、まあ私みたいなマフィアには遠い夢物語だけど。
なんて下らない妄想をしているうちに、無花果は切り終わり丁度エリス嬢の作業も終わりかけになっていた。
「できた!どう?上手でしょ」
「流石ですエリス嬢!さ、じゃあ後は一緒に盛り付けていきましょう」
満遍なく敷き詰められたクリームの上に綺麗な赤色の無花果を乗せていく。うーん、これは絶対美味しい。本当はナパージュとか塗って艶出ししたいけど、そこまでこだわらなくてもいいか。何よりエリス嬢が早く食べたくて仕方ないって顔してるし。
「完成〜。ちょっと冷やしてから食べましょう。その方が味が馴染んで美味しいですよ」
「ええー!今食べたい!」
「、、仕方ないですねえ、一切れだけですよ?」
「やったぁ!」
出来たばかりのタルトに包丁を入れていく様子をエリス嬢はキラキラとした目で見つめる。手伝ってくれたことだし、少し大きめにカットしてあげようかな。
「はい、どうぞ」
「いただきます!んー、美味しい!」
口に含んだ瞬間、ほっぺたを抑えながら喜ぶエリス嬢を見て安心した。きちんと美味しくできてよかった。自分だけで食べるものなら多少失敗しても構わないが、このタルトを是非食べさせたい人物が一人いる。とてもスイーツに興味があるとは思えない上に食の細い彼だが、何だかんだ毎度私の作ったものを完食してくれる。
「なまえは食べないの?」
「ああ、私は後でいただくことにします。他の人にも分けて余ったらまた食べて構いませんよ」
「本当?じゃあ他のみんなには小さく切ってね。それまでお絵描きして待ってる」
ごちそうさま、と最高の笑顔でエリス嬢は去っていった。全くどこまでも可愛らしい人だ。
さて、後片付けが終わったら、執務室に居るはずの彼の元に行ってみるとしよう。
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コンコン、と短いノックをしてみるが中から返答はない。しかしこれはいつものことだ。彼はたとえ在室中でも返事をしない。
「全く、君はいつになっても返事をしてくれないね」
「返答せずとも貴女は勝手に入ってくるからな」
少し薄暗い部屋に入れば、お茶を淹れている芥川くんがいた。不思議なことに、彼は毎回私が来る前にはこうしてお茶の用意を始めている。そして、そのお茶の美味しいの何のって。紅葉さんも「芥川の淹れる茶は美味い」と褒めていたくらいだ。いい茶葉を使っているのか、それとも彼の淹れ方がうまいのか、おそらく両方だろう。
椅子に腰掛け、少しすると綺麗な鶯色の緑茶の入った湯呑みを渡された。
「ありがとう。今日はね、いいもの持ってきたんだよ」
背中の後ろに隠していた無花果のタルトの乗ったお皿をじゃじゃーんという効果音とともに差し出すと、珍しく驚いた表情になる芥川くん。ふふふ、私は知っているのだよ芥川くん、君が無花果が大好きってことを。
「これは、、、」
「えへへ〜。中也と紅葉さんたちにはもう分けたから、残りは二人で食べよう」
「、、、中原さんと尾崎さんも、食べたのですか?」
「へ?そうだよ」
私の言葉に、何故か口元を押さえわなわなと芥川くんは震えだした。何だろう、もっとたくさん食べたかったのかな?いくら芥川くんが無花果好きとはいえ、ここまで執着するとは少し想定外だった。
「、、、僕は、貴女だけに食べて欲しかった」
「、、、え?」
「この無花果はなまえさんだけに食べて欲しかったと、言っている」
「えっ?!じゃあ今朝私の机にたくさんあったこれって、芥川くんが置いたの?!」
こくりと、静かに頷く芥川くん。何てことだ、てっきり家に無花果の木がある構成員が何時も食い意地はってる私に恵んでくれたのかと思っていたが、まさか芥川くんからのプレゼントだったとは。
「そうだったのかぁ、でも何で教えてくれなかったの?ていうか私だけじゃあの量は食べきれないよ」
「、、、貴女が以前、自分の好きなものは好きな人に食べて欲しいと、言っていた。僕はそれを真似してみたまでのこと」
「それって、」
芥川くんは、私が好きっていうこと?
そんなまさかと思う反面風船のようにどんどん膨らむ期待は大きくなりすぎて壊れそうなくらいだ。
「なまえさんは、好きなものを共有したい人物が数え切れない程いるかもしないが、僕は貴女一人だけだ」
「、、ねえ芥川くん、確かに君の言う通り私は美味しいものや素敵な事は、色んな人と共有したくなる。でもね、どんな美味しいものを食べてる時も、感動する映画を見た時も、目を奪われるほどの絶景を見た時も、真っ先に思い浮かぶのは芥川くんなんだよ」
私の言葉に目をパチクリさせた芥川くんだが、すぐにふっと、普段見たことない柔らかな笑顔を浮かべ男の人とは思えないくらい綺麗でひんやりとした白い手を、私の手に絡ませてきた。
「、、、僕以外の誰かに手を差し伸べられても、その手を取らないで欲しい」
「仕方ないなあ。、、その代わり、私が窮地に陥った時は、真っ先に助けてくれるんだよね?」
勿論、そう短く呟いた唇が私のそれにそっと重ねられる。全く、私も彼も回りくどくて面倒な人間だ。似た者同士、仲良くやっていこうよ、芥川くん。
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