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烏間先生が指示を出しているのを横目に、私は隣に立つ寺坂くんを見上げる。
がくがくと膝を震わせている彼の首もとに、渚くんの手がピタッとついた。


「渚...」
「すごい熱だよ、寺坂くん」
「ねぇ寺坂くん、まさかウイル…」


渚くんの横で、寺坂くんの服の裾を掴む。
まさかウイルスに感染したんじゃないのか。そう聞こうとしたけれど、寺坂くんの手が私の口を覆ったことでそれを最後まで口にすることは叶わなかった。


「新稲、黙ってろ。俺は体力だけはあんだからよ、こんなもんほっときゃなおんだよ」
「そんな、無茶だよ」


口を覆われて話せない私の代わりに渚くんが言ってくれる。
こんなに熱い手で、どうやって歩くというのだ。やっぱりあのとき感じた違和感は、その通りだったんだ。


「烏間の先公が麻痺ガス浴びちまったのは俺が下手に前に出たからだ。それ以前に、俺のせいでクラスの奴ら殺しかけたこともある。こんなところで、脱落してこれ以上足引っ張れるわけねーだろ」


その寺坂くんの言葉に、今まで以上の覚悟というものが感じられて。
私は渚くんと目を合わせることしかできなかった。







無事に最上階へと着いた。烏間先生の指示通り、最大限に気配を殺して、何度か体育の授業で教えて貰ったナンバという歩き方をする。
手と足を同時に出して歩くことで、きぬ擦れを起こさずに音を抑えることできる。
そして、それぞれが武器を手にして、その男の後ろに回り込み、襲いかかろうとした時。



「かゆい」



その男が一言そう呟いた。
バレていた。私たちの気配がすでに、その男にはバレていたのだ。


「思い出すと痒くなる。でもそのせいかな、いつも傷口が空気に触れるから、感覚が鋭敏になってるんだ」



その男の声には聞き覚えがあった。忘れるわけもない、その声。
前よりも随分と邪気をはらんだその声は、私だけではなく全員の背中に冷や汗を流しただろう。


その人物は、


「鷹岡ぁぁ!!!!」


狂気と憎悪の刻み込まれたグシャグシャの笑顔。いやでも思い出される、思い切り殴られたあの時を。
少しだけ痛くなった頬を右手でさする。大丈夫か、と寺坂くんが私を見やる。そんなの、あなたに比べたらどうってことないのに。

鷹岡は屋上に行くからついてこいと言った。
ウイルスのワクチンの入ったケースを手にして着いた屋上ヘリポート。
崖の上にあるホテルの最上階なだけあって、風が勢い良く吹き付けていた。

鷹岡は、気が狂っているのか、本来の暗殺計画を口にしていく。その悪魔とも言えるような考えに、私は思わず口を覆った。こんな人間が、いてたまるか。


「落とした評価は結果で返す。受けた屈辱はそれ以上の屈辱で返す。特に潮田渚。俺の未来を怪我したお前は絶対に許さん!!」


私はあのとき、ずっと寝ていたからよくわかっていなかったけれど、最後にあの鷹岡を追い出したのは、渚くんの力のおかげだと聞いた。
きっと、その逆恨みで、背の低い生徒を要求していたのだろう。なんだこいつ、と思わず呟いた声は鷹岡には届いていなかったけれど、渚くんには届いていたらしい。


「新稲さん...」
「そんなの、ただの逆恨みじゃんか」
「新稲ちゃんの言う通りだよ。あんたの恨み果たすために渚くんを呼んだ訳でしょ。その体格差で勝って嬉しいわけ?俺ならもーちょっと楽しませてやれるけど?」
「イカれやがって。てめーが作ったルールの中で渚に負けただけだろーが」


寺坂くんが汗をぬぐいながら言う。
私はそっと彼の背中をさすりながら、みんなの言葉に頷く。


「ジャリどもの意見なんて聞いてねぇ!!俺の指先でジャリが半分減るってこと忘れんな!!」


大きく叫ぶ鷹岡。
その手には、ケースの爆破ボタンを押すスイッチが握られている。
そして渚くんを呼ぶと、ヘリポートの上の方へと歩いていく鷹岡。

こんな卑怯な手に乗る必要なんてないといえば、行きたくないけど行くと言って彼は上へと登って行った。
冷静にさせてくると言っていたけど、あんなに興奮してたらきっと、冷静なんてなれないと思う。


渚くんは一人ヘリポートの上で鷹岡とともに立つ。
私たちはそれを下から見上げて、ことの行方を見守る。


「一瞬で終わっちゃ俺としても気が晴れない。だから戦う前に、やることやってもらわなくちゃな」


鷹岡はそう言うと、指を地面にさして土下座をしろという。渚くんは膝を地面につけたけど、鷹岡はそれが土下座か!?と大声で言う。


「渚くん!!土下座なんか、君がすることじゃない!!」


人のプライドをなんだと思っているんだ、こいつは。
私が思わず叫べば、鷹岡は私の方を見てお前は黙ってろ!!と叫ぶ。
なんでそんな、つまらないことをするのか理解ができない。渚くんは、何も悪くないはずだ。


それでも渚くんはこっちを見て、大丈夫だと一言言うと、ゆっくりと頭を下げて「ガキのくせに生徒のくせに先生に生意気な口を叩いてしまいすみませんでした」と抑揚のない声ではっきりとそう言った。
悔しさで顔が歪む。私はぐしゃりと、握っていた寺坂くんの服をつかんだ。


「褒美にいいことを教えてやろう」


鷹岡はそう言うと、ケースをひょいと持ち上げて、爆破スイッチを左手に持ったままそのケースを上に投げた。
途端にこの場に響き渡る爆発音。
あの中には、みんなのワクチンが入っていたはずだ。

頭に浮かぶのは苦しんでいる莉桜と原ちゃんの顔。
みんなの顔。


「あはははは!!!そう、その顔が見たかった!!」


狂ってる。

ぎりりと歯を噛み締めながら鷹岡を睨めば、渚くんが足元に置いてあったナイフを持ってゆらりとよろめきながら立ち上がる。



「殺して...やる...」


渚くんのその異常な雰囲気は、みんなも察知したようだ。
私も思わず、ハッと目を見開く。瞳孔も開ききってしまった渚くんの目。彼は本当に、殺す気だ。




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