ここから始めよう(2/2)

それから無言のまましばらく歩いて、お互いがお互いの出方を伺った頃、再びオロチが口を開いた。


「七海は、覚えているか?」
「え、何を?」


ぽつり、と呟くようにこぼした言葉。

それには主語がなかったので、私は首をかしげた。オロチはちらりと私を見ると、口をまごつかせてから、「何年か前に、路地裏で、」と言った。


「何年か前?路地裏??」
「ああ…俺はお前と…一度会ったことがある」


――まさか。
その言葉が喉までせりあがってきたが、寸でのところで飲み込んだ。そういえば、私は一度、妖怪と目があったことがあった。あのときは必死に「気付かなかったふり」をしていたのだけれど。


「もしかして、目があった…?」
「!ああ、そうだ。あのとき七海はすぐ目をそらして、素知らぬふりをしたな」


――バレてた。
まさかあのときの妖怪が、目の前のオロチだと誰が思うだろう。少なくとも私は思わなかった。

私は誤魔化すように、あははと笑う。しかしオロチは無言だ。マフラーのような首巻きに、深く顔を隠すようにしている。

怒ってるのかな。


確かに無視されたら、気分が悪くなるだろう。でも、私には私の言い分があってですね…!

そう、あたふたと言い訳を考えるが、何も思い付かない。結局、「ごめんね、オロチ」と素直に謝ることにした。
私は妖怪を見ることはあれど、怒らせたことはないのだ。だから素直に謝るのが一番。


「!い、いや!違う。謝ってもらいたかったわけじゃない」
「でも…」
「そうではなくて、話してみたかったんだ、七海と」
「え?」
「ずっと気になっていたんだ」


ぴしっと私は固まった。何だそれ、まるで告白じゃないか。私の頬がどんどん熱くなっていく。言った本人も事の重大さに気づいて、「いや、違う!あ、違くはない!が、いや、その」としどろもどろになっていた。そして再び訪れる無言。


な、なんてこっぱずかしい!!

いや、わかってるよ。きっとオロチも、そういう意味で言った訳じゃないんだろうし、ね!



「あのー…オロチ」
「な、何だ」
「とりあえず、帰ろっか」
「…そうだな」


そそくさと、熱い頬を隠すように俯きながら、私たちは歩き出す。けれど、先程までの気まずい雰囲気は、いつのまにか消えていた。


「オロチ」
「…何だ?」
「私とも、友達になってくれる?」
「…!ああ、もちろんだ」


オロチが薄くはにかむ。それに、私は照れ笑いを返した。

あと少しで我が家だ。半歩先にいたオロチは、いつのまにか私の隣に並んでいた。


鞄に入っているクリームパンは、今日のお礼にオロチにあげよう。
景太はいつも食べているし、さすがに毎日パンを間食したら太るものね。

オロチ、喜んでくれるかな。

オロチが喜んでくれるところを想像したら、何だか嬉しくなって、私は顔が緩むのを押さえられなかったのだった。