わたしはわたし

いつものわたし、いつものわたしの朝、しかしいつもと違うことが一つだけある。
ここが、わたしのいた世界ではないということ。日本だし、関東も関西も、東京も大阪も、何一つとして元の世界と変わらない。それなのに、知らない地名や知らない観光名所、知らない建物がたくさん見える。毎日のように仲睦まじく犬の散歩をしていた老夫婦、毎日カフェの開店準備をしていた店長の息子さん、幼い頃から挨拶をしていた人たちは、ここにはいない。
その代わりと言ってはなんだが、今は彼が声を掛けてくれる。

「おはようございます。今日はいい天気ですね」

そうやって、人の良さそうな顔で微笑む。彼に会うのはこれで数回目。わたしはこの喫茶店の常連でもなければ、彼の名前さえ知らない−−ことになっている。実際には、色々と知っているというのに。

「あ...お、おはようございます」
「学校、頑張ってくださいね」

挨拶を返せば、いつものように気の利いた言葉をかけてくれる。手に持つホウキをみて自分も何か、一言くらい。そう思ってすでに一ヶ月が経過した。「今日こそは」そう心の中で意気込んでみたが。

「...いつも、ありがとうございます」
「え?」
「あ、いや、その...」

緊張のせいかあまりにも小さな声、あまりにもぶっきらぼうな言い方になってしまった。彼は驚いたような表情を浮かべている。というよりも、意外だとでもいうように、まじまじと見つめてくるのだ。なんとなく気まずく感じてしまう、僅かに俯いて、次ぐ言葉を必死に探してみる。


「...ははっ!」
「え」



「ああ、いや。すみません。僕、あなたに嫌われていると思っていたので、少し嬉しくなってしまって」
「へ...」
「一ヶ月近く声を掛けているのに、一度も笑ってくれませんでしたから」
「えっ!そ、そうでした...?」
「ええ、それに僕の前を通り過ぎる時だけ早足になっていましたし」

彼はそう言って苦笑しながら眉を下げる。演技なのか、そう疑ってしまうのは彼が"安室透"だから。いや、"降谷零" "バーボン"だから、か。彼の名前、仕事、僅かな生い立ち、そして今彼が安室透で在るということ。そのことを知っているからこそ、疑ってしまうのだ。
彼がこの世界の日本を守る「警察庁警備部警備企画課」に所属する0<ゼロ>だから。わたしみたいな凡人の高校生にも、蜘蛛の糸を張り巡らせているのだろうか、と。きっと、わたしの些細な表情、態度、声色、それらから何かを感じ取ったはずだ。だって彼は優秀だから。

「ご、ごめんなさい...お兄さんのこと、嫌いじゃないです。ただ、なんで毎日声をかけてくれるのかなって不思議に思ってて。わたし、このお店に入ったこともないし...」
「そうですね、あなたのことが気になっているから、と言ったらどうします?」
「は...え?!」

打って変わって、ニコニコと笑う。小さいわたしに合わせるように、少し腰を屈めて、ホウキに両手をついて。そこあざとくも可愛らしく顎を乗せて。近くなった顔に顔が赤くなったのを感じた。

「ねえ、どうします?」
「え、え」
「赤くなるってことは、期待してもいいですよね?」
「いや、期待ってなんの−」

そこで、わたしの言葉は途切れた。店内から「安室さーん!」と聞き慣れた声が何度となく聞こえてくる。

「では。明日、また」
















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