嫌な役回りを押し付けられた…


近藤専務のデスク脇で千里は
如何にも胡散臭い笑みを顔に貼り付け、静かに肯定の意味で頷いた。
だが、実際のところその返事とは全く真逆の思いが心を覆い尽くす。

幸い、人のいい専務にこの気持ちは伝わっていないようだ。
近藤専務はなぜ自分を選んだのだろう。
全くもって理解できない。

千里は専務室を出て、思わず大きなため息を吐いた。
憂鬱な気分を抱えながらゆっくりと休憩所へ向かうと、そこには先客が白い丸テーブルに頬杖をついて休んでいた。

「…なにその真っ暗な顔」
「なんだ、総司か…」
「なに、僕じゃ不満?」

むぅ。と軽く頬を膨らませ拗ねてみせた総司は、千里の同期だ。
いつも冗談にならないような冗談を言っては人の反応を見てケラケラと楽しそうに笑っている。

だが、仕事はかなりできるために若手のホープとして土方部長に可愛がられているらしい。
総司自体はしょっちゅう土方部長の文句を言っているけど。

そしてその土方部長が原因で、
今回は千里も頭を悩ませているのだった。

「近藤さん、なんだって?」
「あー…うん、それね…」

近藤専務のことはなんでも知っておきたいのかもしれない。
総司は近藤さんのことになるといつも、一生懸命だ。


実際どんな話をしたのか興味津々な総司のために、千里は渋々話し出す。

「…総司の言う通りだった」
「…ほら、やっぱり僕の言う通りじゃない」
「うん…」
「で、どうするつもり?」


総司の問いに、千里は苦虫を噛み潰したような顔で項垂れた。
近藤さんに言われたら断れない。

要するに、過労で倒れた土方部長のお世話係を頼まれたのだ。
土方本人は大したことない、と言い張って職場に出ようとしたそうだが、近藤専務がそれを断固として許さなかったらしい。
病院で点滴を打って、今は自宅療養している状態なのだが、独身の彼の生活を心配した心優しい近藤専務が、どういうわけかお世話係を千里に頼んだのだ。

同じ営業部ではあるものの、
元々多忙極める土方には専属の秘書がいる。

こういうお世話も秘書じゃないのだろうか、と疑問が浮かんだ。
するとそれを察したのか話を聞いていた総司はニヤリと笑って言った。


「そういえば、誰が土方さんのお世話するのかで秘書課の女性陣がかなり揉めたらしいよ」


…尚更、こんなことに巻き込まれたくなどないと思った千里である。



翌日


こうして土方が復帰するまでの間、
重大な任務ができてしまった千里。

近藤専務に教えてもらった住所を頼りに、夕方から土方部長の家に向かう。
土方がどの程度の症状なのか、
全く知らされていないし、
お世話するとは言っても一体何をしたらいいのか想像もつかない。

だから、全く分からないままだった。

それでも、手ぶらではいけないと思い、ありきたりではあるがお見舞い品として果物なんかを手にしてみた。
が、途中まで歩いてふと気づく。
土方部長は果たして果物は食べられるのだろうか。

職場から少し離れた駅の近く、
タワーマンションが建ち並んだ街の一角。

たくさんの不安を抱えながら、どうにか1つのマンションの前で立ち止まる。
どうやら、ここで間違いないようだ。


思わず見上げてしまう程の、高層マンションに怖じ気づく自分がいる。
圧倒されてしまって入り口で立ち止まっていると、住人であろう人達がその間にも何人かマンションのエントランスに吸い込まれていく。

…意を決して、千里もエントランスに乗り込んだ。
当然ながらオートロックのマンション。

千里はもう一度、近藤専務から預かった土方の住所を確認し、部屋番号を入力する。
指が、震えてしまうのが、どうにも恥ずかしい。


呼出ボタンを押し、暫くすると
聞き慣れた低い声が
機械を通してこちらに届いた。


「…はい」
「あ…営業部の、堀内です…」
「…ああ。」

極度の緊張の中、やっとの思いで絞り出した挨拶に、土方は些かかったるそうな声色で返事をするとオートロックを解除してくれた。

第一関門突破。
そんな感覚で、一先ずホッとする。
彼は私が来ることを知っていたのだろうか。

解除されたオートロックを潜り、エレベーターを待つ。

本当に、とんでもないことになってしまった気がする。
上司の家へ、しかも、あの土方部長の家だ。
緊張しないわけがない。

土方は普段からあまりプライベートを口にしない。
それに、仕事はかなり厳しくいつも眉間にシワを寄せていて表情も固い。
だが、あのルックスだ。
仕事以外で見せる、近藤専務や部下たちと談笑しているときの穏やかな表情が女性を虜にしているらしい。
実際、女性関係の噂は尽きない。
火のないところに煙は立たないと言うし、きっとそれなりに遊んでいるのかもしれない。

だが、千里からすれば上司だ。
しかも、所属する営業部の、トップ。
普段そこまで関わることは無いにしても、いろんな噂は聞くし、何よりも怖いし、とりあえずあまり関わりたくないというのが本音だった。

そんな余計なことを考えていると、乗り込んだエレベーターはさすがに優秀で。
あっという間に心の準備もできないまま階に到着してしまった。

街の夜景がよく見える。
人工的な夜景もこれはこれでキレイだと思った。


あまり待たせてしまってもよくないので、緊張を圧し殺し、部屋の前までやってきた千里はインターホンを鳴らす。
途中途中で急に冷静になる自分がいて。
何してんだろ…なんて思っていると
中から扉が開いたことに思わず肩がビクついてしまった。

そっと顔をあげると、
部屋着姿の土方部長が、
少し困った表情で千里を見下ろしていたのだった。





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