02 お父さんの書斎に来なさい
「 あゆみ、話があるからお父さんの書斎に来なさい。 」
わたしの名前は峯岡あゆみ。黒涼大学の3回生で普段は心理学を学んでます。
実習は無事に終わったけど、そろそろ卒論を書かなきゃ〜とか、1週間後にはキャリアデザインのテストがあるんだった!とか大学生らしい悩みを抱えながら、普通な日々を送る、普通の大学生。
え?なぜ自ら普通と名乗るかって?
それには少し理由があって… 、…あれはわたしが小学3年生の夏、夏なのにとても涼しく快適な夜のことでした。
「 おとーさん、おかーさんはどこにいったの? 」
「 お母さんはね、お星様になったんだよ。ほら…っ、キラキラ輝いているだろ? 」
小学3年生の夏、母が死んだ。
わたしが小学校にあがったときにはもう癌は発症していて、わたしに気付かれないように闘病生活を送っていたらしい。
しかし日に日にわたしに笑いかける母の顔には気力がなくなり、入院してから母を失うまでは早かった。
顔の上に白い布がかけられた母はもう母ではなかった。呼びかけても揺すっても母の手は動かず、小さいながらにもう大好きな母に頭を撫でてもらえることはないんだと悟った。
翌日のお通夜に備えて1度自宅に返されたものの、その日の夜は眠れなかった。
9時には寝ないといい子になれないわよ、と口癖のように言っていた母の言葉がさらにわたしの意識をはっきりとさせる。
子どもには大きすぎるショックからか頭がズキズキと痛み、布団に包まりながら唸り声をあげていた。
「 いた…ァ……っ!?」
…そのとき、突然今までとは比べものにならない程の強い痛みがわたしを襲った。
思わず背中がビクンっと仰け反る。
自分の意思に反して、閉じていたはずの目が見開かれた。突然の出来事に助けを呼ぶことさえ出来ない。
視界がぐらりと歪み、次に鮮明に見えた景色は同じ部屋の中。
「 えっ…、え……っ?」
混乱から思うように言葉が出ない。
目の前にあるのは見慣れた部屋なのに今はその部屋の中では炎が渦巻き、そしてその炎から逃げ惑うわたしがいた。
「 おとーさん…っっ!助けて!おとーさん!!」
恐怖から泣き叫びながら父を呼ぶも、炎に包まれた部屋には外からの助けも入るのが困難であることが伺える。
そんな自分を見ていられなくなり目を逸らすと、そこには仏壇前の座布団に落ちた線香立が見えた。
( あれのせいで… 、…火が!!)
なんとか身体を動かし自分に近付こうと試みるも、掌は空を切るばかり。
もどかしいなんて話じゃない。だって、目の前にいるわたしを助けなきゃわたしは死んでしまうのだから。
( お願い!!動いて、わたしの身体…っ!!)
ぶわっ、と目の前に炎柱が揺らめいたと、その瞬間一気に視界が切り替わる。気付けば視界は暗く先程までの喧騒はない。
荒がる呼吸を唾を飲みながら整えるとゆっくりと手を動かしてみる。うん、さっきと違って自由に動く。
手を動かしたことで自分の状況が明白となった。大きな頭痛を感じる前に布団の中に包まっていたそのときに戻ってきたようだった。
( 夢、だったのかな。けど、それにしてはリアルすぎる。)
まさかね。と思いながらも心の靄を晴らすために急いで仏壇の前へ向かう。頭は未だズキズキと痛んで堪らない。
父に悪戯をしていると叱られないようにそーっと障子を開け仏壇に目をやると、線香立は今にもひっくり返ってしまいそうなほど端までズレ動いていた。
ヒヤッと背筋が凍るのが分かった。もしもこのまま誰も気付かなかったら…?先ほどの映像を思い出し緩まる涙腺とは反対に、冷静な頭で考える。
( このことは誰にもしゃべっちゃダメだ…! )
幼いあゆみが出した結論だった。
「 どーした?あゆみ? 」
お風呂から上がってきたのだろう、ホカホカと湯気を立たせながら父が仏の間に入ってくる。
「 ううん、なんでもないよ〜。お母さんにサヨウナラするの 」
と、精一杯の笑顔で隠してみせる。
そうか、と隣に座った父に迷惑をかけてはいけない。だって1番悲しいのは父のはずだから。愛する母の存在がこの世からなくなったという現実を受け入れられていないのは、幼いあゆみから見ても分かったから。
そしてやはり隠しきれていない悲しみを含んだ父の横顔に、あゆみは “ 普通 ” の子どもを演じることを再び強く決心した。
それからあゆみは秘密を抱えつつもすくすくと元気に、また閉月羞花と例えられるように美人に育っていった。片親に育てられたからか周りへの感謝を常に忘れず勉強に勤しみ、誰しもが憧れるような優等生に。
しかし、母が亡くなったあの日に初体験したいわゆる “ 予知 ” のような能力はその後も何度かあゆみを苦しませていた。
ドラマの展開を見てしまうような軽いものもあれば、これから起こるであろう交通事故や殺人事件の映像が突然頭に流れ込んで来るときもある。
その映像を見てしまえば拭いきれない罪悪感が頭から離れてくれず、一睡も出来ないまま大学に向かうなんてこともよくあった。
「 はぁ…っ、今日も寝れなかった… 」
昨日も映像が頭に流れ込んできた。成長するにつれ激しい頭痛は多少コントロールすることが出来るようになったが、やはり罪悪感がどうもあゆみを苦しめる。
「 どったの、あゆみちゃん。もしかして昨日寝てねェの? 」
「 ひゃァァ!!……高尾くん!もぉ、ビックリさせないでよ〜! 」
ぼーっと歩くわたしの後ろから突然現れたのは同じゼミの高尾和成くん。
大学に入ったものの同じ学部に知り合いがいなく、ぽつんとオリエンテーションを受けていたわたしに高尾くんが声をかけてくれたことがきっかけで大学にいる間は自然といっしょにいることが多い友人である。
「 なになに?今日のゼミ発表緊張しちゃってるとか? 」
「 うん、そうだね…!がんばって資料作ったから失敗出来ないよ〜。 」
「 オレが一番前の席座ってやっから、緊張なんかすんなって! 」
「 えっ!!もォ〜、それだけはやめて〜!、」
おどける彼はとても楽しそうでわたしはそんな彼を目を細め睨む。
ちなみに高尾くんが言っていたゼミ発表の準備はすでに作成しており何度もシュミレーション済みだ。早いときから準備をしておかなければ気が済まない性格に感謝だな、と心の中で己を褒める。
「 お〜…っ、怖ェ!まァ、あゆみなら問題ないっしょ 」
さりげなく肩をポンポンと叩き、親指を立ててこちらにグッとサインを送ってくる。
そのサインを見て、安っぽいな、なんてふざけてみるが高尾くんのお陰で気持ちが少し軽くなるのが分かる。
わたしの大学生活は彼に元気をもらうことが多いような気がする。彼のラフで気取らない性格がいっしょにいて心地よく、自分の能力のことも彼といる間は忘れられるようなそんな存在。
「 それと、コレあげんね 」
と、高尾くんの鞄の中から出てきたのは小袋に入ったチョコレート。
寝不足の頭には糖分!と根拠の無いことを言っていたが、朝ごはんも食べるのを忘れていたわたしは有難くそのチョコレートをいただくことにした。
ゼミ発表は高尾くんからもらったチョコレート効果もあってか、教授にも褒められるほどの出来だった。
宣告したとおり一番前の席に座った彼はわたしが言葉を噛むたびにノートの隅に正の字を書いていて、それに気が散りさらに言葉を詰まらせてしまったけど…!!
そのあとの講義も終わり高尾くんとバイバイしたわたしは、夕飯の買い物を済ませいつもの通り帰路についた。
自宅のドアを開け、今すぐご飯作るからね〜!とリビングでテレビを見ていた父に声をかけキッチンに立つと、真剣な顔をした父がカウンターの向こうから声をかけてきた。
そして冒頭に戻ると言うわけである。
「 あゆみ、話があるからお父さんの書斎に来なさい。 」
え、わたしなにかしただろうか…?
それにしてもいつもわたしに対してデレデレの父のあんな真剣な顔は初めて見た。きっと大切なことなんだ。わたしがなにかしたならしっかりと謝らなきゃ、と食材をテーブルに置き急いで父のあとを追った。
コンコン…… 、「 失礼します。 」
先ほどの父の顔があまりに真剣だったからか、なぜかわたしの言葉も畏まる。
父の書斎に入ると中からは紙と古本の匂いがして、また緊張感が増す。
「 そこに座って 」
促されたまま革張りのソファーに腰をかける。ひんやりと革の冷たさがスカート越しから伝わる。
「 急にすまないね、あゆみ。 」
「 んーん、大丈夫だよ、お父さん。けど急に呼び出してどうしたの?…わたしなにかしたかな?なにかしたなら謝ま…」
「 あゆみ、お父さんの仕事はなんだか知っているよね? 」
わたしの言葉を遮るように父が言葉を重ねる。父の仕事、それは…
「 探偵、だよね、? 」
そう。わたしの父は峯岡探偵事務所を経営している。つまりは探偵さん。
難解事件を何件か解決したこともあるらしく、書斎には警察からの感謝状やトロフィーも飾ってある。
探偵界では父の名前を知らない人はいないほどすごい探偵なんだぞ〜!と小さなころから顔を緩ませながら自慢されてはいたが、父の仕事を強く意識したことはなかった。
しかし今は違う。父の質問により、嫌でも探偵という仕事が強く意識される。それにしても父はなにを言いたいのだろう…
「 そうだ、探偵だ。そして探偵のお父さんからあゆみにお願いがある。今回の事件、あゆみに協力してほしいんだ。」
「 うん、分かったよ。なーんだ、そんなこと!いいよ、いい、よ…?……え、今なんて…っ!?」
予想もしなかった父の言葉
( でも、父はわたしの能力をしらないはず )
( 手伝うって?わたしの能力で……? )
「 あゆみ頼むよ〜!あゆみがいてくれたら父さんのやる気が違うんだ!! 」
( この娘好きが!! )
( どうやらわたしの心配は的外れのよう )