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 その日はじりじりと太陽が照りつける、とても暑い日だった。

 初夏というのは五月下旬から六月の上旬を指す。と、言っていたのは昨日の四限に授業を行っていた国語の教師だ。夏を迎える準備期間であるこの季節は命が輝きだす季節でもある。気温が上がりだすと同時に柔らかな緑は濃くつやつやとした色に変わって、春らしいパステルカラーの花々は夏を象徴するようなビビッドカラーの花にバトンを渡して散っていく。春の淡い空を彩っていた綿雲は大入道に例えられた積乱雲に変わって、真っ白なそれは鮮やかな青とのコントラストがとってもきれいなことを僕は知っている。
 六月の頭というこの時期になると大体どこの学校の中間試験も終わって、生徒たちは「ようやく解放された」とばかりにはしゃぎだす。この先、六月末から七月にかけて行われる期末試験を乗り越えれば待ち遠しい夏休みであり、遊びたい盛りであるクラスメイトは「夏が待ち遠しい」「早く夏にならないか」と何度も繰り返していた。
もちろん僕も夏が、正確に言えば夏休みを待ち遠しく思っている一人だ。だけど何度そう口に出しても心で思っても、時間の流れが速くなるわけじゃない。早く七月が来ないか、夏休みにならないか、そう友人たちと駄弁りつつ、つい数日前にようやく五月を終えたばかりなのが現実だった。
 という愚痴はさて置き。先程も言った通り、初夏というのは五月の下旬から六月の上旬にかけてがそうなんだという話だ。春独特のやわらかくて暖かな空気が気付けば夏のからりとした空気に変わるように、徐々に、しかし確実に変化は進んで、気付けばいつの間にか夏は訪れていた――というのが、一部例外はあるけれど、これまで僕が経験してきた春から初夏、そして夏という季節への移り変わりだったのだ。
 長い長い前置きを持ってきてまで何が言いたいのかというと、端的にいえば、「僕らが待ち焦がれていた今年の夏は唐突に訪れた」ということだ。

「暑いというより熱い、だよなぁ」

 最早凶器のような日差しから逃れた先、大きな桜の木の下で一人ぐちる。昨日のニュースでお天気お姉さんは「明日は夏日になるようです」だなんてことを言っていたけれど、この経っているだけで汗が噴き出すような暑さは夏日なんてものじゃない。真夏日だ。
 異常気象だなんだと言われるここ数年でも、六月初めなのにこんな暑さになるだなんて前例はなかったように感じる。
 時折吹く風でそよそよと揺れる木の葉の間からは凶悪な日差しが熱光線のように降り注ぐ。木陰に駆け込む前、日差しを遮るものが何もない中晒されていた腕は、まるで鉄板で焼かれているかのように肌がぢりぢりと痛んでいた。薄手のカーディガンを持って来ればよかったと思ったけれど、後悔は先に立たない。焼けて痛む肌に冷たいスカッシュのボトルを当てて、僕は一つため息を吐いた。

「なんでこんなに暑いんだろうなぁ……」

 自然現象に何を言っても無駄だってことぐらいは知っている。だけれども、突然に訪れたこの暑さだ。お天道様も文句の一つや二つ言われたって仕方がないと思う。今日くらいは見逃してもらえないだろうか。
 木の葉の向こうにある空を見上げると、雲一つない快晴が広がっている。ざっと通り雨でも降れば少しは気温が下がったりしないかと思ったけれど、この様子ではそれもなさそうだ。スマートフォンを弄ってお天気アプリの地元の項目を開けば、アプリは今日は一日を通して晴れで、日が暮れても気温はあまり下がらないということ、そして現在気温が三十六度になったということを無機質な音声で告げた。どうやら今日は一日中この暑さに悩まされることになるらしい。
 すぐには去ってくれないらしい暑さに溜息を吐くと、どっと疲労感が襲ってくる。たかだか三十数分外に居ただけなのに、疲労感はいつもの倍以上だ。人間の体は急な環境の変化にはついていけないんだってこと、お日様は知らないんだろうか。もう少しだけ緩やかな気温の変化にして欲しい。

「えっと……あった」

 額を垂れる汗を拭ったハンカチをリュックのポケットに入れるついで、メモを取り出す。もう使い終わりそうなメモの後ろから三ページ目、母に書かれた買い物リストの買ったものに線を引いていく。全部綺麗に黒い線が引かれたそれは役目が終わったことを示していて、あとはこれを持って帰れば任務完了だ。
 達成感にひとつ息を吐き出して、腕に下げていたビニール袋からアイスクリームを取り出して勢いよく吸い込んだ。よくあるゼリー飲料の容器にアイスクリームを入れたようなそれはスーパーからここに来るまでに結構溶けていたらしく、液体状のバニラミントが口の中でぶわりと広がる。甘いバニラの中、少しひりつくようなミントが気持ちいい。
 ほぼ溶けてしまったようなそれを飲みこんでしまって、最後にスカッシュを喉に流し込めば炭酸とレモンの爽やかな清涼感だけが後に残った。生き返るなあと、少しだけ涼やかさを取り戻した体は喜んでいるようだった。

「さて、帰るか」

 この地獄のような日向にまた出て行くのに、いやとでもを繰り返してたっぷり五分はかかったと思う。ええいままよと一歩を踏み出すと、やっぱり地獄のような日差しが体を突き刺した。とたんにぶわりと吹き出てくる汗が体を伝ってひどく気持ちが悪い。もうこれはさっさと帰るに越したことはない、走って帰ってしまおう。腕に下げたままのビニール袋をリュックに入れ、呼吸を整えると勢い良く走り出す。いつもは気持ちがよく感じる風も、今日ばかりは熱風にしかならなかった。

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