天空から滴が落ちる。受け止めるための器はふたつ。
高級な金の器が目映い光を放ち、人々から称賛の讃美歌を贈られる。
錆びついた銀の器は濁り輝く半濁の中で、人々から目を逸らされ忌み罵唱を囁かれた。
一滴だけの名誉と栄光を授かれるのはただひとつ。
そんな美しい残酷な世界のなかで、座標だけは変わらなかった……。



「―――次は何して遊ぶ?」



不気味に嘲笑った男が鮮血の雨を仰いだ。



◆◆◆




平和の象徴と謳われしヒーローの根源たる人物は、平日の午後。変哲もないビルの屋上で架空(ゆめ)を見て将来の歩みを決めかねている少年へ、諭す。



「プロはいつだって命懸けだよ。“個性”がなくとも成り立つ。とはとてもじゃないがあ…口に出来ないね」



その言葉を受けて少年は顔を俯かせて、だらりと伸ばす腕の先、拳を握っていた。
平日の午後。変哲もないビルの屋上。その非常階段の冷えたコンクリートの壁に背を預けて長い藍髪を揺らし、気味が悪い程の血色の悪い白肌で、腕を組みながら暗い室内を仰いだ。天井は高くないのか、電飾さえない質素なビル内。窓の先には水平線上の青い空が広がる。
春芽吹く風が爽やかに心地よく、少年の冷えた指先から蝕んでいく様を想像した。
ただ一つの出入り口が開閉する。姿を顕わしたのは少女が待っていた人物だったようだ。腰を浮かせて組んだ腕を元に戻し、骸骨のような細い男の傍へ歩み寄った。



『撃墜、っスね』
「居るなら割って入ってきてもよかったじゃないか。君も同罪だよ」



男はズボンのポケットに手を差し入れながら、少女に言い返す。だが少女は口角を少し上げて何でもないかのように軽々しく追い打ちをかけた。



『憧憬からの言葉に期待したいじゃないですか。人間、たったひとりの言葉ひとつで世界が180度変わる転機だってある、って思いながらも、現実は受け入れないといけないんスけど……』



男の言わんとするもの。経緯の先回りしたかのように、少女は指を指す。平凡で変哲もない日常を映す窓。何処まで広がる青空はまさしく平和の象徴。だがしかし、少女の指し示す先からは、非日常の狼煙があがっていた。



「き、君ィィィィィ!!!!」



驚愕しきる平和の象徴と謳われし男、オールマイトがその骨と皮しか残っていないような非力な腕で少女の襟首を掴むなり前後に揺らす。そんな未来など容易く想定していた少女は「あははは」と呑気に笑っていた。



『ほら、現実って受け入れるのに苦労しますよね』
「言い訳はいいから向かうぞ!」



限界に近い体力でオールマイトは階段を駆け降りる。形容詞し難い一般的な下り方に「やれやれ」と首を左右に振ってから少女は何となく出入り口ひとつの扉の先に、まだ居る少年のことを意識する。彼は今頃どんな現実と向き合っているのだろうか。少女はまるで解りきった内情に、とってつけたような理由を並べて、少年の事を視界に入れたがった。それは何故なのかなど少女にだって理解の範疇を越えた逸脱した情にすぎない。けれど、少女はそこから一歩でも少年へ矛先を向けることはなく。ただ黙って半身しか向けなかった意識を階段を駆け降りる音へと向き直し、あまり抑揚のない声で『まってくださいよ』と階段を跳躍した。



◆◆◆




商店街のとある一角―――。
煙が立ち上る火事現場に到着したオールマイトと少女。標識に手をついて野次馬の隙間から現場へ視線を向ければ、目視出来る程に彼は俯いた。そうだ、オールマイトが先程捕縛した敵が暴れ回っていたのだ。人質を盾に。様々な葛藤と闘いながらオールマイトは「情けない」と罵倒していることだろう。自責の念に没頭している彼の隣に腕を後頭部で組ながら平和な青空を仰いでいる少女。
少女にとってこの騒然となる現場は、少しも引っかかる要素などないかのようだった。



「邪神くん」



苦しげな小さな声。
そよ風程度の音質に邪神と呼ばれた少女は目線を敵へと移した。米神を人差し指でかきながら「ふぅ」と吐き出す。つま先をコンクリートに叩きつけながら一度、二度軽く跳躍してから三度目で高く上空を舞いあがる。野次馬たちはそんな事にさえ気をとられないほど、現場へと集中していた。空中をくるりと回転してから近くにそびえたつビルの屋上へと着地。標的までの位置情報を入手し、算段を構成している最中に、再び男に呼ばれた。
億劫そうに目線を下げるとオールマイトは脇腹あたりを掴みながら。



「わかっているね」



端的な台詞に邪神は更に眉を潜めた。少し長めの息を吐きだしてから遠方へ目を向ければ、そこには人質となっていた男の子と同じ制服を着た、これまた男の子が俯いてこちらへ向かって来ていた。
邪~はその男の子を暫く見つめた後、まだ人の名を呼ぶ彼に口角を上げてみせた。親指をたてて了解だと告げてから軽々と助走もあまりつけずにビルからビルへと跳躍して移動する。

身体能力から診ても少女が優れた人材であることは明白だった。目立たない黒のハイネックインナーに白のロングカーディガン、花柄のショートパンツ。黒のタイツにヒールスニーカーといった一般染みた格好をしている少女だが、移動をしている間に腕に装飾品としてつけている女性らしいアクセサリーの腕環がきらりと輝く。すると下から順に身につけている物が変化していき、人質と敵が一所に居る現場から近いビルに到達する頃には、何処かのアイドルのようなコスチュームを身に付けたか弱そうな少女の誕生だった。

更に腕環をシャンと振れば、商店街に設置されているスピーカーから突然音楽が流れ始める。
すると人々は途端に静まり返った。それは敵である奴も人質も同様、助けを拱いているヒーローさえも動作を止めた。少女の手元には白いマイクが握られている。
この場に居た誰もが突然現れた少女の出現とその意図に理解するまでは短かった。
群がる人々の間から先程の学生の姿が窺える。少女は再び口角をあげて、心の中で数を数えた。



『It's show time……』



それを皮切りに少女はマイク越しに讃歌を奏でた。
この場に居た誰もが立ち止まり、振り返り、空を仰ぐ程に、全ての視線を一身に受けて少女の屋外即興ライブは幕を上げる。危機的状況下で、事件が起きて、誰もが立ち往生する中で、そんな現実など忘れてしまうほど、一瞬にして虜にしてしまった少女の歌声は、誰かが口にするまるもなく。たったひとりの冴えない少年の言葉ですべてを解決する。



「Divaだ…」




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