「ごめんね」

そう言えばいつも訊いていた、気がする。
その言葉の意味を、その言葉の意図を、考えるまでもなく出てくる解答を。
砕くように呑みこんで、視線を逸らし続けた。
本当に、本当に、渇望するモノは違うというのに――――。





緑谷出久の言葉をはじめに周囲の人々も口々に少女こと、プロヒーローであるDivaを指して興奮気味に囁きはじめた。



「Divaってアイドルヒーローだよな?」
「うっそ!!生で見るの初めてなんだけど!」
「普段メディアの露出を控えているし、滅多な事件じゃなきゃ彼女の姿なんて拝めないもんな」
「うわー生で見ると可愛い!」
「わたし、Divaのファンなの!」



Divaの登場はヒーローに憧れる者、賛同する者からしたら当然賛美しか生まれなかった。
それほどこの状況は誰もが懸念していたことを指す。Divaの歌声に聴き惚れる民衆たちの中で、敵はぼんやりとし始める。彼女の歌声は個性であるが故に聴く人に寄ってはその感じ方や受け止め方に違いが生じる。勿論、感情を左右する神経自立を刺激する、最も応用の効く個性であるからして民衆には安定を。敵には不協和音を。そして……人質には、安寧を―――。



「……っ」



威勢のよさそうなサンザシ色の瞳を持つ、人質の少年と目が合う。Divaの個性の効果が顕れはじめているようだ。暴れまわっていた精神が落ち着きを見せ始める。揺れる瞳に目尻を和らげて答えて魅せると少年は眉を寄せて敵が棒立ちしている好機を感じ、脱出を試みる。
そのタフネスを関心した眼で個性を発動し続け、次いで呆然としている情けのないヒーローたちへ鼓舞をしはじめた。だが、それはたったひとりに捧げたものだった。

野次馬の中に紛れる平和の象徴が顔を上げ、視線が重なる。振りつけの一環のように魅せて、Divaは心臓を叩いてみせた。そして左手の人差し指を上空へ突き出してくるくるとまわして飛び跳ねる。
その意図を読み取った彼は、また悔しげに脇腹を握る。

そして目線を横へずらし口元を抑え、必死に我慢している少年を見つめた。

少年は何か言いたげな眼差しでDivaをみつめる。けれど少年の視線は途中で途切れた。それは何故か、など不躾にもほどがあるというものだ。
少年はこの場に居た誰よりも劣る身体で、度胸で、戦場へと駆けだした。
無我夢中で、突き動かされる衝動で、少年は必死に叫びながら人質の彼を助けていた。



「君が助けを求める顔してた」



これでも突き動かされないなんて、そんなのはきっと平和の象徴など語るにはおこがましい。誰もが望まぬ真実である現実だ。だが、空想は打ち破られる。何故なら平和の象徴は、やはり象徴だったからだ。



「君を諭しておいて…己が実践しないなんて!!!」



その時のオールマイトの稼働時間は遙か昔に過ぎていた。その制限を上回るために自らを酷使しなければならない。それこそがプロのヒーローなんだと、彼は叫びながらアメリカのコミックのような素晴らしい活劇を披露したのだ。
しかし、彼は理解していた。己が酷使出来た理由を。ひとつは助けたいと思う信念。ひとつは緑谷少年の雄姿。そして最後は……かつて己が救えなかった少女からの叱咤激励だということを―――。

多大な出力で殴り飛ばしたヘドロの敵は実態が掴めない液体であるから、回収するのも容器に入れて運びこむという動作が必要で。周囲を火事現場にしてしまった事柄もオールマイトの一撃により上空で上昇気流を発生させ雨量を巻き込んだ結果、鎮圧。被害は最小限に留めることが出来た。
周囲からの賛美がオールマイトを中心に注がれる。それは警察、同業者、民衆、マスコミ……多種多様に彼を囲む。けれど誰もが口々に「Divaはどこ?」と走る。

それもそのはずだ、先程までビルの屋上に居た彼女は騒然となる前に身を隠してしまったのだから。それでも捜索するだけで騒がしくなるのは聴こえているようで、彼女はこの後の算段について案出する中、建物の隙間から正座をして何も出来なかったヒーロー達に説教をされている姿を目撃する。何とも不憫だと心の中で十字を切ると、緑谷が除ろに顔を上げた。視線が一瞬重なると、緑谷は「え」と僅かに声を漏らす。けれど彼女はそんな緑谷に口角を上げて手を左右に振った。それは彼にだけ注がれた賛美であった。緑谷はそれだけで胸にくるものがあったのか、噛みしめるように頭を下げていた。

緑谷と同じ制服に身を包む人質だった少年、爆豪勝己は様々に膨れあがっては渦をまいて轟く胸の内を抱えたまま緑谷へ目を向け、その視線の先を辿っていた。



◆◆◆




何処かに植えられた増殖品の桜の花弁が舞い散る上空を、変哲もない住宅の屋根に無遠慮なく腰を落としてリュックの紐を握りながら何処か淋しげな少年、緑谷の姿を眺めていた。
緑谷の知り合いなのだろう。
先程人質として捕捉されていた目つきの悪い少年爆豪が、怒鳴り声を上げて必死に緑谷に言い聞かせていた。

『青春の一ページだわ』と呟きながら邪神は足を宙へ投げ出し、少年たちのやり取りを眺めていた。徐にスマートフォンを取り出して数を数えだす。数字がゼロへと減っていけば、彼女が待ちぼうけを食らわされている相手、オールマイトがマッスルフォームで緑谷の前に姿を現した。時間制限を無視しての暴挙だったために、姿は保たれず。すぐにトゥルーフォームへと戻ってしまう。だが、血反吐を出そうが彼は緑谷へ告げる。

ここでもし、告げていなかったら、もしあの時出逢っていなかったら、もし彼が緑谷を見つけていなかったら、もしあのとき緑谷が飛び出していなかったら……偶然は、偶然を呼び。それはいつしか必然となる。
ここまでの過程はどうであれ、きっと結果は繋がっていたのだと思う。

今日という日に―――新たな英雄の誕生だ。



「君はヒーローになれる」



様々な葛藤を抱えて少年は、産声を上げた。
涙の数だけ、流れる分だけ、彼の募る想いは肥大する。彼はどれほどこの言葉を待っていただろう。どれほど渇望していたことだろう。
屋根の上からそんな少年の背中を黙って眺めていた。ふざけた様子など見せずに、ただ黙って少年の姿を見つめていた。



「どうした、禄」



屋根を伝って顕れた大きな黒い毛並みを持つ狼が主人の名を呼ぶ。頭を擦り付けてくるのを撫でながら「いや」と漏らす。



『格好いいなと思ってさ』
「……オレが?」



彼女が指す少年は泣き崩れながら間の抜けた声を出し、とてもじゃないが信じられない単語だった。故に狼は首を傾げて、見当違いな回答を口にする。
そんな行き違う会話を可笑しそうに笑った。


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