赤と青

それはちょうど彼岸花が地を赤く染めるころ。しとしとと雨の降り注ぐ空の下で、その赤に紛れてかき消されてしまいそうな彼女が、そこにいた。


「ねえ、私と一緒にお話しませんか?」


そこは不気味な花畑。真っ赤な真っ赤な花畑。血を思い起こさせるその赤に、血色の悪い透き通るような白い肌が、恐ろしいくらいに栄えていた。それはもう、一枚の絵画のような、あまりにも現実味のないもの。でもその美しすぎる不気味さに、俺はしばらくの間、言葉も紡げずに見惚れてしまっていた。


「こんにちは。また来てくれたんだ」


彼女はいつもそこにいた。ずっと変わらぬままそこにいた。俺はそこで彼女と色んな話をした。学校でのこと。寺でのこと。女の子にフラれちゃったこと。あの人はどんな話でも全部を受けとめるように聴いてくれる。楽しんでくれる。優しくて、でも見るからに脆くて儚い。笑ったときにできるえくぼや、すぐに折れてしまいそうな華奢な身体。気がつけば俺は彼女に夢中になった。今日は何を話そうか。お菓子でも持っていこうか。彼女は何が好きだろう。きっと彼女のことだから、何を持っていっても嬉しそうに笑って、ありがとうと言うんだろう。
その頃俺はまだ、中学一年生で、受験も何もない毎日を勉強もせずにただのんびりと過ごしていた。しかもほら、五男坊やし。
期待も何も背負わなくていい日常。坊や子猫さんとは違う。それに対して劣等感とか遠慮とか、特に思うことはなかったし、正直難しいことはしたくなくて、二人が勉強中の暇な時間、俺はまた赤い花畑に足を運ぶ。
悪魔祓いも経もまだまだ学んでいない、家庭の関係でただちょっとかじってるだけのひよっこですらない時。まだまだ人間としても半人前な俺には、気づけないことが沢山ある。


「…おい廉造」
「げ、柔兄」


そしてそれも、いつかは知ってしまうもの。


「お前最近毎日誰と会っとんねん」
「…え?」


なんでそれを柔兄が知っているのか。しかもなんか怖い顔。俺の腕をがっしり掴んで。でも俺は別に悪いこともしてなくて。そう、おともだち。ただ、おともだちに会いに行くだけ。しかもえらい美人さん。きっとモテモテの柔兄にも靡かない。だからほら、その手を放して。


「彼岸花の群生地には行くな」
「は、なんで?」
「いいから!今日は家におれ」


引かれた腕。遠ざかる外。天候は、雨。きっとこんな雨の中でも、彼女はあそこにいる。嫌な雨。早くやめばいいのに。風邪をひいただけでも、彼女は死んでしまいそうだから。
膝を抱えなから窓から外を眺めた。なんで今日は来てくれなかったの?彼女が悲しそうに俺にそう訴えているような、そんな気がした。
余計なことは考えなかった。ただ彼女のことを考えながら、柔兄の言いつけを破ってこっそり抜け出すと、雨の中を無我夢中で走り出していた。


「――…!」


やっぱり彼女はそこにいた。赤い彼岸花とは対照的に、真っ青な顔をして。息を飲む。急いで彼女のもとに駆けつけた。怖いくらい冷たい肌。このままでは死んでしまう。まだまだ青い俺は単純にそう思った。守るように、彼女を抱き締めた。その体はやっぱり細くて、少し力をいれてしまうと壊れてしまいそうで、あまり強く抱き締めることはできなかったけど。


「大丈夫、大丈夫。俺が守ったる」
「…ほんと?ずっとわたしといてくれる?」
「うん。おるよ。ずっとおったる」
「…嬉しい、嘘じゃないよね?」
「嘘やない。やから、はよあったかいとこ…」
「廉造!伏せぇ!!」


随分と聞きなれた声に、俺の横を何かが通りすぎた。耳をつんざすような断末魔は、彼女のもの。赤い彼岸花が、悲鳴をあげる。


「――え?」
「廉造!離れろ!」
「…じゅ、う…にい……?」


彼女の額には、寺の札が貼られていた。いつの間にかいた柔兄が、彼女を攻撃した。考える時間がなくて、獣のような叫び声をあげる彼女をただ呆然と眺めるように見る。不思議なことに柔兄は経を唱えていた。不思議なことに彼女はその経に苦しんでいた。
なぜだ、なぜだ。青い俺には、何も分からない。


「アホか!そいつは悪魔や。しかもたち悪い地縛霊。廉造お前、このままやったら連れていかれるぞ!」


霊。ゴースト。悪魔。
あんなに綺麗に微笑んで、繊細で、優しい彼女が、悪魔。信じられなかった。でも、信じざるを得ない光景が、目の前には広がっている。苦しむ彼岸花が、俺の腕をぎゅっと掴んだ。


「いやだ…!いやだいやだいやだ!!一人は怖い…一人は怖いよぉ!」
「っ!」


見たことのない、彼女の姿。苦痛から顔をぐにゃりと歪め、目から涙は溢れだし、別人のようになっていたけど、俺の腕を掴む、小刻みに震える手に弱々しい声が彼女だということ再認識させた。一人は怖い。ずっと一緒にいるって言ったじゃない。一緒に行こう。私とずっと一緒にいよう。懇願する言葉が、止まらない。


「廉造!耳をかすな」
「…、」


いやだいやだ。約束を破るの?嘘つき嘘つき嘘つき!彼女が俺を責め立てる。それを聞くたびに心が痛くて。ああ、俺は、彼女に暖かい時間を沢山もらったのに。彼女に暖かい気持ちを沢山もらったのに。彼女のことが、きっと好きだったのに。


「…ごめんな、俺は、嘘つきなんや」


彼女の手をほどく。彼女の顔が絶望に満ち溢れた。ああ、ああ、まだまだ青い俺は、自分を守ることで必死だった。


「さよならや」


嫌われるのは嫌。でも、彼女だって、俺に裏切られた。だから、俺のことを、いっぱいいっぱい嫌いになってほしい。恨んでくれたってかまわない。これでおあいこ、なんて、苦しい言い逃れだろうか。でもそのためなら俺は、大嘘つきの犯罪者にでもなってやろう。この嘘で、自分を守れるというならば。


「実は俺、全部知っとったよ」


俺は、そんなに優秀じゃないのにね。

赤い赤い彼岸花は、青い青い子どもに、ぐちゃぐちゃにされて枯れていった。









「あ、彼岸花」


そして時は流れ、俺はもう高校一年生になった。


「もうそんな時期か」
「綺麗やなあ」
「あれで毒あるんやで」
「ちょっと不気味というか。でもまたそこが綺麗というか。ね、志摩さん」


まさにその不気味な美しさに、俺は魅了されてしまいました。なんて、死んでも言えるわけがなく。へらりと笑って気持ちを隠した。


「…俺は女の子が好きそうな、あれ、コスモスとかがええなあ」
「またそんなこと言いはる…」


季節は巡り、何事もなかったかのように花はその赤く毒々しい花弁で地を染め上げる。
彼岸花
きみはまだ、その毒で人を惑わしているのだろうか。




彼岸花のきみと嘘つきのぼく
真っ赤な嘘と真っ青な顔
赤い彼女と青い俺back