青の破軍
1
深夜。
私は空を見上げながら、外を歩いていた。
理由は、なんとなく、明日の宇宙出発が楽しみで眠れなかったから。あくびとかはしょっちゅう出てるから、身体は休暇を取らせろって怒ってるんだろうけどね。
ハロを置いてきたから、とっても静かな夜に感じる。ていうか、ハロを復帰させてから一日と経ってないのにあの存在感……。ハロがちょっといないだけで周りがいつもより静かに感じられるんだもん。
今日は寒くないようにちゃんとジャケットを着てきた。友人から譲り受けた、黒いジャケット。
「はぁい、ミカちゃん」
ひょっこり、ミカちゃんのいる場所に顔を出してみた。この時間で起きているのは、オルガが見張りくらいだ。だけどオルガはさっきも話をしたし、忙しいのに今何か言うのは気が進まないから、今日の当番でぱっと思い付いたミカちゃんの所に来たというわけ。
「眠れないの?」
ミカちゃんが首を傾げながら聞いてきた。どういうわけか、毛布を羽織っていない。見張りをするときはいつも常備してるのに。
私はミカちゃんの隣に腰を下ろした。ぴったりくっつくと、少しきつい体臭がしたけど(これはいつものことだし仕方ない)、彼の体温が高いのか、暖かかった。
どうせここに来る人は滅多にいないだろうし、ミカちゃんだから別にいいかなあって。当のミカちゃんも、全く気にする様子もなかった。
ミカちゃんは少しして呟いた。
「アイリンは宇宙、始めてじゃないんだ」
「うん。一年くらいコロニー暮らしだったこともあったし、戦艦の中に缶詰め、なんてこともあったから。だから、今回の地球行きは楽しみでしょうがないんだ」
私たちは空を見上げた。会社の回りに町はない。会社の外灯もそう多くないから、星がより一層輝いて見えた。
火星の星は、地球の星よりも多い。いや、星が多くなったのは、人々が宇宙に済むようになってからだ。デブリやいくつものコロニー、基地が星のように見えるのだ。
原理はよくわからないんだけどね。
「もう、頭痛大丈夫?」
「え?」
「この間、俺が始めてバルバトスに乗ったとき、調子悪そうだったから」
……ああ、一番最初にギャラルホルンが攻めてきたときのことか。あのときの私、力をコントロールできなくて最終的に吐いて倒れちゃったんだっけ。
覚えててくれたんだ。
「もう、平気。ありがとうミカちゃん」
三日月って、あんまり喋らなかったり、敵に容赦とかしないから勘違いされやすいけど、本当はすごく仲間思いなんだな。
敵に容赦しないことも、そうしないと生き残れないってこともあるけど、仲間を助けたり守るためだし。
あのときも色々あったし、今だって余裕ないのに、心配していてくれたなんて。
そういえば、と、私も聞き返した。
「ミカちゃんこそ、大丈夫なの? ガンダムに乗ったとき、鼻血が出たんでしょ」
「ああ、もう大丈夫」
ミカちゃんは素っ気なく返した。
私は笑ってしまった。あんまりにも素っ気なさすぎて。
人には優しいのに、自分のことは心配させてくれないんだ。
「ねえ、三日月」
私は、三日月の目を見た。三日月も私をぎろりと睨み付ける。きっと本人は睨み付けるつもりなんてないんだろうけど、彼の強い目力は、私でも少し息を飲むくらいのものがある。
私は、その真っ直ぐな目を見つめて、自分の話をした。
自分が強化人間であること。阿頼耶識とは違う強化の仕方で強くなったこと。どれだけ辛い思いをしたのか、赤裸々に語った。
ま、自分で決めた道なんだけどね。
どれくらい話しただろう、すべてを話終えたとき、三日月の反応は「ふうん」の一言だけだった。
「それで? アイリンは自分のこと、辛いことばっか体験した可哀想な人間だって言いたいの」
「違う違う! そんなんじゃないって」
ずい、と三日月の前に出た。三日月はそんな私に臆することなく、ぶつからないようにと少しだけ上半身を後ろに傾けて、なお私の目を見続けている。
私は胸に手を当てるしぐさをしながら続けた。
「これだけ辛い思いしても、私は乗り越えてきた。だからこれからだだってどんなことも乗り越えられる。女だからとか変なことで遠慮しないで、ガンガン頼ってほしいってこと」
三日月はしばらく無言で私を見た。顔には感情がない。彼が私を見ている間は、私は一切動かなかった。対照的に、私はきっと薄笑いを浮かべている。
どれくらい時が経っただろう。三日月はやがて、ふっと笑った。
「そんなこと言われなくても、頼りにしてる」
私の目の前に、拳がつき出された。
「一人も欠けずに、みんなで無事にここに帰ってこよう」
「うん」
正直、薄汚れていて、ごつごつしたあまり綺麗じゃない手だった。でも、だからこそ目の前の拳は力強さがあり、説得力があった。
私はこの拳が嫌いじゃない。
だから、私も拳を突きだし、こつんと合わせた。
三日月と比べるとそうでもないけど、私の手だって充分汚れている。私の場合は、色んな意味で。
三日月の拳は嫌いじゃない。三日月自身のことも、嫌いじゃなかった。
「……月」
「え?」
「アイリンは月、見たことある?」
三日月は再び空を見上げながら言った。
「俺は見たことないんだ。クーデリアもないって」
私もミカちゃんに習って、また空を見る。空には満点の星が浮かび上がっているけど、月はない。
そりゃあそうだ、ここは地球じゃなくて火星なんだもの。火星に月なんてありゃしないし、地球の月をここから見るには少し遠すぎる。
「ねえ、月ってきれいなの?」
ミカちゃんは、さっきより優しい目付きで聞いてきた。
「……コロニーで見た月は、冷たくて墓場みたいだって言ってたかな」
ミカちゃんの無表情な、怒ったり落胆してるわけじゃないけど、喜んでもいない顔を見てちょっと笑った。
「でもこれコロニーでのことだし、他人の受け売りね。地球から月を見たことは何度もあるけど、とってもきれいだよ」
私は、一番最初の、私が生まれた世界での月を思い浮かべた。
あの世界で最後に月を見たのは小学生あたりだろう。そのときの私は、授業で月の観察があるくらいで、日常で月を長々と見ることはなかった。
ガンダムのいる世界にトリップして、色んなものを失って、軍事基地や町で溢れかえった月を見て始めて、月ってきれいだったんだなって思った。
「ほんとに、きれいなんだよ地球から見る月は。宇宙に上がって、よくわかった」
ミカちゃんは、熱っぽく語る私を見て、少し笑った。
「楽しみだな、見るの」
それから、ミカちゃんは空を見つめながら喋ることはなかった。
私も充分だったから、それ以上何かを言わなかった。
しばらくお互い空を見上げながら、やがて私はゆっくりミカちゃんから離れて、寝室へ帰った。
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