『Welcome』(1年目)
空を飛ぶ夢を見た。
両手を広げて渡り鳥のように大陸から大陸へと飛び回っていく夢だ。
夢の中ということもあり、身体が軽く、風と同化したかのように素早く動ける。いくつかの大陸を超えていくうちに、やがて大きな海へと到達した。
どこまでも続くような海である。そして遠くに次の大陸が見えたところだった。
目を覚ました時、アスヒは『水』の中にいた。
聞こえる筈のない水飛沫の音がした。
書類に目を通していたクロコダイルは手を止め、悠々と泳いでいるバナナワニ達を見る。
「てめぇらか?」
聞いてももちろん答えはない。物言わぬ彼らは「水の中」にいる。飛沫をあげるにはかなり上方まで行かなくてはいけないはずだ。そしてそこの音がここまで聞こえるはずもない。
「気のせい」の一言で済ませても良かったが、長い雑務にも飽きてきたところである。気分転換の意味を込めて、彼は『スナスナの実』の能力を使い、身体を砂に変え、水槽のガラス手前まで行った。
自由気ままに泳ぎ回るバナナワニ達。その中でいつもとは違った影が見えてクロコダイルは目をこらした。
影は子供に見えた。
バナナワニの水槽の中に女が落ちていた。
(あぁ、死んだな)
クロコダイルはなんの感慨もなくそう思う。残念ながらここに入っているバナナワニ達は例外なく「なんでも」食べてしまうのだ。
女の命も残りもう僅かだろう。せめてものの救いとして女は溺れたショックで水を飲んだのか意識がなさそうだ。
女は眠ったままバナナワニの腹の中に収まるだろう。
クロコダイルは落ちてしまった女に同情することもなく、デスクに戻る。
聞こえた水飛沫は女が落ちた時のものだったのだろうと彼の中で結論が付いたのだから。
そして案の定、バナナワニは女の元に泳いでいく。まだ餌の時間ではないが、彼らが入ってきた餌に遠慮する必要もない。
だが、いつまでたっても水槽の中が赤に染まることはなかった。女の元に向かったバナナワニはあろうことか女を無視して変わらず悠々と泳いでいるばかりだった。
視界から消えることなくゆっくりと沈んでいく女に、クロコダイルは興味の視線を向ける。頬杖をついた彼は暇そうだった。
「運のいい奴だ」
バナナワニの水槽に落ちた運のない女に、クロコダイルは言う。
女が水の中で目を覚ました。
アスヒは目を覚まして、自身が水の中にいることに気がついた。
まだ夢の中なのだろうか。そう思った彼女だが、すぐに息ができないということに気が付き、口の中に水が入らないように息を止める。
不幸は続くようで、そこでアスヒは目の前にワニがいることに気がついた。
体長10mにもなると思われる、桁違いなほどに大きなワニにアスヒの鼓動が一瞬止まる。
訳もわからないままに命の危険に晒されている彼女は、どこかへ助けを求めるかのように手を伸ばす。
そして手を伸ばした先に触れたものが別のワニの皮膚だとわかり、アスヒは自身の死を覚悟した。
「グォォォォォォオ」
その時。水中でワニが吠えた。そしてあろう事かアスヒの身体を、その大きな鼻先で押すかのようにして、上方へと運んでいったのだ。
初めて見たバナナワニの行動に、水槽の外側で女を眺めていたクロコダイルも驚きをにじませる。
折角の餌を食べもせずに、あのバナナワニは女をどこへ連れて行ったというのだろう。
再び砂になって、今度は扉の方へと滑るように向かう。扉を開けたところで丁度出くわしたメイド長が驚きの表情を浮かべた。
「クロコダイル様、どちらへ?」
「上だ」
短く応えたクロコダイルは上の階へと、「バナナワニだー!」と恐怖の叫び声があがった方へと急いだ。