『Welcome02』

目を覚ますと見知らぬベッドの上だった。

空を飛んだり、水中にいたり、忙しい夢を見ていたアスヒはここが自分の家ではないということにまた驚く。

それともまだ夢が続いているのだろうか…。

「おはようございます」

聞こえた声に肩を震わすアスヒ。視線を向けると扉の所にメイド姿の女性が恭しくアスヒに頭を下げていた。
アスヒも思わず頭を下げる。そしてその時に、自分自身が下着しか身に纏っていないことに気が付き、思わずシーツを手繰り寄せて肌を隠した。

メイドは何事もないかのように微笑みを浮かべて、アスヒに彼女と同じメイド服を差し出した。

「お洋服が乾くまで、こちらにお着替えください」
「……えっと、ここは?」

アスヒは急に現れたメイドに警戒しつつも、小さく問いかける。メイドはにっこりと微笑んだ。

「ここはアラバスタ王国。レインべースのレインディナーズ内でございます」
「アラ、バスタ…?」

名を聞いた瞬間に息を潜めるアスヒ。聞き覚えのあるその名前は、現実世界に実在する国だとは思えなかった。
急にアスヒに焦りが見え始める。まさか、そんなことがあっていいのだろうか。とアスヒは混乱する。

『アラバスタ』といえば、漫画の中に存在する国ではなかっただろうかと。

「外を、外を見てきてもいいですか」
「駄目だ」

自身の目で確認するためにもメイドにそう訴えかけたアスヒだったが、言葉はすぐに凍え切った冷たい声で否定された。
アスヒの視界がゆっくりと声が聞こえた方向へと向けられる。現れたのは2m以上は有にあるだろうと思われる男だった。

「逃がしゃしねぇよ」

低い声が聞こえてアスヒの動きが止まった。そしてアスヒは真っ直ぐに現れたクロコダイルの姿を見た。
クロコダイルは隣のメイドに「出てけ」と短く命令して、アスヒの前に立つ。アスヒは思わずシーツをより手繰り寄せて肩をすくめた。

「どこに行こうってんだ?」
「…えっと…、ここが本当にアラバスタなのか、確認を、したかったんですけれど、いい、です」

目の前にサー・クロコダイルを見てしまった彼女は疑いようのない事実に視線を逸らす。
彼女の目が正常であるならば、ここは『アラバスタ』で目の前にいるのは本物の『クロコダイル』なのだろう。

「どこから来た?」

クロコダイルが冷たくアスヒを見下ろしながら、ただそれだけを聞く。
真っ直ぐにクロコダイルの視線とかちあってしまったアスヒはぴたりと一切の動きを止めて、彼を見上げていた。

(あ、嘘を言えば殺される)

直感的にそう思ったアスヒは恐怖で乾ききった口で、押し出すように言葉を紡ぐ。

「…わから、ないんです」

どうしようもない事実を告げると、アスヒの予想通りクロコダイルの表情に不愉快さが浮かんだ。
アスヒはもうどうとでもなれと半分ヤケになりつつも、自分が覚えていることだけをクロコダイルへと告げる。

「1度目気が付いた時には空にいて、2度目は水の中にいて、3度目気が付いた時にはここにいました。
 どこまでが夢で、どこからが現実なのか……、なにがなんだか私にもさっぱりなんです」

最後の言葉を言い切ったあと、アスヒはやっとクロコダイルから視線を逸らして、シーツを手繰り寄せている自身の手を見つめた。

アスヒにも本当に何が起こったのかわかっていないのだ。
むしろアスヒの方が何故目の前に漫画の中の登場人物であるクロコダイルがいるのかを問いただしたいくらいだった。

俯くアスヒから困惑する様子が伝わったのだろう。クロコダイルは葉巻の煙を漂わせながら、アスヒに問いかける。

「じゃあ、なんでここに来たのか知らねぇってのか」
「は、はい…」
「何かの能力者か?」
「…違うと、思います」

何かの能力者。と問われるということはこの世界には本当に『悪魔の実』なるものが存在しているのだろうとぼんやりと思うアスヒ。
そして、アスヒは意識を持っている間、漫画で見たようなあのぐるぐる模様の入った実を口にしたことはもちろん、見た覚えもなかった。

クロコダイルは深く黙り込んでアスヒを見下ろしたあと、急に興味を失ったかのように踵を返した。

「着替えが乾いたら出てけ」
「え」
「なんか文句でもあんのか?」
「……。いえ」

本当ならばこんな見ず知らずの土地に放り出されるだなんて、文句というか不安ばかりであったが、じととクロコダイルに睨みつけられてアスヒは大人しく頷いていた。
逆らって機嫌を損なえば間違って殺されかねない。アスヒもそれだけは避けたかった。

肩を落としているアスヒをクロコダイルは一瞥したあと、扉へと向かって部屋を出て行った。
部屋に1人でいたのは数秒で、入れ違いになるようにすぐ先程のメイドが入ってきた。

(……まぁ、あのクロコダイルが親身に人助けをするわけないか)

アスヒはどこか諦めたように短く溜息をついたあと、メイドへと声をかけた。メイドは声をかけられるとにっこりと笑みを浮かべてアスヒの言葉を待った。

「あの、私、どこにも行くあてがないんです。
 この近くでどこか働き口を探せるような場所はありますか?」

職安のような…。と内心言葉を続けていると、メイドは変わらずにっこりと笑みを浮かべ続けたまま、「では」と両手を嬉しそうに合わせた。

「ここで一緒に働きますか?」
「え」

差し出された提案に、アスヒは目を丸くする。先程クロコダイルに出てけと言われたばかりであり、ここで働くという選択肢はないものだと思っていたのだ。
メイド長は頬に手を当て、小首を傾げて微笑みを零す。

「丁度、この前1人辞めてしまいまして、空きがあるんです。
 住み込みになりますし、行くあてがないというのならば好条件なのでは?」
「……ありがとうございます」

悩んだのは数瞬で、アスヒは深々と頭を下げた。この世界についてはまだ何も知らないし、働き口をすぐに見つけられるに越したことはない。

「では、こちらにお着替えください」

先程渡されたメイド服を再度示され、アスヒは苦笑いを浮かべて、メイド長に向かってこくりと頷いた。


†††


「てめぇ。なんでまだここにいる?」
「今日付で働かせていただくことになりました」

再び会ったクロコダイルはメイド服に身を包んだアスヒを見て、見るからに不機嫌そうな表情をした。
デスクに座った彼の前で、アスヒは深々と頭を下げる。

これからは彼がアスヒの主なのだから。

「アスヒと申します。よろしくお願い致します」

頭を上げた時、にっこりとよそ向けの笑顔を向けると、クロコダイルは隠すことなく舌打ちをした。


(welcome)

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