『悪夢を楽しむ』(1年目)
「ワンピース、だよなぁ…」
1人、大きな客室を掃除しながら、アスヒは小さく呟いた。
クロコダイルの下でメイドとして働くこととなって、早くも3日が経過していた。
メイド長に教えられたように、本当にここはレインディナーズのようで、おもてから外装を見た時、アスヒは少なからず感動した。
漫画で見た世界そのものが、自分の目の前に広がっているのだ。
まだレインベースの外にまで出たことはないが、遠くに見える景色で、町の外には砂漠が広がっているのだろうと確信する。
そして何より、砂になって廊下を移動していったクロコダイルを数時間前に見たのだ。
初めて見た『スナスナの実』の能力にアスヒは驚きの表情を浮かべた。
そんなアスヒをクロコダイルが一瞬見たかのようにも思えたが、言葉を交わすことなどしないまま、クロコダイルは屋敷を出て行った。
頭のどこかで信じたくないという思いがあったアスヒだが、悪魔の実の能力を直接見てしまった彼女は溜息とともに、ここが本当に漫画の世界なのだろうなと事実を受け止めていた。
特撮やCGなんて言葉で片付けられるものではなかったのだから。
先程、それとなく副社長の存在を聞いたが、教えてもらったのはカジノの経理が副社長のポジションであるということ、そしてその経理は男だ。ということだった。
(ロビンがどこにもいない)
アスヒはぼんやりとここは『アスヒの知っている時間』ではなく、それよりも過去なのだろうと考える。
ついでにはクロコダイルが今、39歳だというのを聞いたが、アスヒ自身がクロコダイルの設定を覚えてはおらず、答えは意味を成さなかった。
「これから…」
どうしよう。弱った本音が溢れる。夢ならばそろそろ覚めてもいいだろうに。
…でもまぁ、悪夢ではないから、もう少しこの世界を満喫しようではないか。
†††
「悪夢だ…」
住むところも働き口も手に入れたアスヒだったが、毎日続く激務に思わず溜息が溢れた。
ここはクロコダイルが経営をしているアラバスタ最大のカジノが1階にあり、地下には水に囲まれた屋敷が収まっていた。
カジノと屋敷は繋がっているようでいて、あまり関係がなく、アスヒは主に屋敷の中で働いていた。
カジノの方では沢山の支配人や警備員がいたが、屋敷の方は広い割には従業員が少ない。
そうなってくると、1人で任される範囲が広く、多い。
キッチンもコックが2人のみのようで、夕食時にはアスヒ達メイドも駆り出されていた。
「クロコダイル様はあまり多くの人を屋敷に入れたがらないお方だから」とメイド長は苦笑を零す。
本来ならばプライベートの空間である屋敷には1人も入れたがらないのだとか。
(この程度の人数ならば、許容しているって訳ね)
癖のある主を思ってもう1度溜息を零すアスヒ。原作で「ハナから誰も信用しちゃいねぇ」と言い切ったのを知っているアスヒは、誰も信用なんかしていないクロコダイルが、駄々をこねている言う子供のようにも見える。
まだまだ死にたくはないので、決してそんなことは口にはしないのだけれども。
さて、休んでいる暇はない。アスヒはうんと伸びをして凝りそうな肩を回す。
なんにせよ、ここに置いてもらっている以上、働かなくてはいかないし、さぼっていようものならクロコダイルに殺されかねない。
次はバナナワニに餌をやらなくては。
(悪夢を楽しむ)