『にゃーおん02』
「ヘマしてんじゃねぇ」
不機嫌そうな低い声が私に届く。全ての水分を奪い取る彼の右手が静かに目の前で開かれている。
私の呼吸の感覚が短くなっている。思考の全てを混乱と恐怖が包んでいる。
「申し訳、ございません…」
小さく謝罪を告げると、目の前のクロコダイルは不服そうに鼻を鳴らして、手を閉じていた。
背を向けて歩き出したクロコダイルに、私は途端泣き出しそうな感覚に襲われた。
あぁ、どうしよう。置いていかれてしまう。捨てられてしまう。殺されてしまう、クロコダイルは他人のミスを許さない。私のミスだって、許されるわけがない!
勿論実際に涙を浮かべることなんてなかったけれど、離れていくクロコダイルの姿に息がしづらくなっていく。あれれ、おかしいな。私はこんなにも、彼に依存していたっけ?
凍ってしまったようにその場で立ち止まってしまった私に、数歩先を歩いていたクロコダイルが怪訝そうに振り返った。
「おい、さっさと行くぞ」
かけられた声に、はっと再び息が戻ってくる。彼は数歩先でまだ私を待っている。まだ、今回は。
離れてしまった距離を埋めるように少し小走りでクロコダイルを追いかける。
2度とこんなミスをするもんかと内心で自分に言い聞かせ、強く唇を噛み締める。
その時またにゃーおんと猫の声がした。
振り返ると水を飲んで少し回復した猫が私の足元にまで近寄ってきていた。可愛らしく擦り寄る猫を無表情で見下ろす。
少し前にいたクロコダイルが足を止めた私に気がついて、ちらりと私に振り返っていた。
足元でまたひとつ鳴いた猫。私の事を待っているクロコダイル。
私はその場にしゃがみこんで小さな猫の頭を撫でて口を開いた。
「………じゃあね」
それはお別れの言葉。
酷く無責任だとはわかっている。中途半端に手を差し伸べるのは、ただ放っておくよりも残酷ということも。
でも、私は『選べる立場』ではないから。私は、こんなにも、誰かに選んでもらうのを渇望しているのだから。
「本当に、可愛くねぇ女だな」
猫を置いてクロコダイルの方に歩き出した私に、クロコダイルはそう言った。
彼はなんだかとっても満足げな顔をしていた。それが、なんだか嬉しかった。
私も幾分いつもの調子を取り戻して、頬をむすと膨らませる。クロコダイルは私のその表情の変化を読み取って、クハハと軽快に笑っていた。
だから私はふいと横を向いて精一杯の抵抗。
「…私を置いていくのが悪いんです」
「あぁ? ヘマして慌ててた癖に何言ってやがんだ」
「そ、それは…、そうなんですけれども…!
もう2度と見つかるような真似はしません!」
「使わねぇって言えよ」
彼が珍しく饒舌に話してくれるのは、ひとりで何かやっていた事が上手くいったからだろう。
本当に気分屋で困りものだが、今日ばかりは助かった。機嫌が悪い時だとこうはいかないだろう。
腹が減ったと言ったクロコダイルと、食事をしてから帰ることになり、若干気分が高揚したその最中も、昔のことが酷く思い出されていた。
†††
箱の中の仔猫達は、居なくなっていた。
2匹いた仔猫の、1匹だけが。
1匹はどこかの誰かに拾われたのだろう。残された片割れだけが惨めに、孤独に、始まったばかりだったであろう短い命を終わらせていた。
呆然としていた私は仔猫の亡骸を抱えて、家の近くにある砂浜にその亡骸を埋めた。
カラスや野良犬に掘り起こされてしまわぬよう、深く深く深く深く深く掘り進め、その日は1日中仔猫の墓作りをしたのをよく覚えている。
これでは2匹纏めて死んだ方が寂しくなかったのではないか。
唐突にそう思えてしまって、私は酷く悲しくなった。
そう思ってしまった自分が、酷く冷酷だと気付いて、私は余計に悲しくなった。
仔猫達に何か違いはあったのだろうか。選ばれた1匹には何が。残された1匹には何が。
そして、私は選ばれる立場なのか、それとも残される立場か。
近くの海で手についた砂を洗い流して、目から小さな海を作り出して。
せめて、生き残っているであろう1匹が幸せになっていて欲しいと無責任に願っていた。
(にゃーおん)