『ふたり、ならんで』

入室の前にノックを3回繰り返す。入室時には必ずノックをしているが、返事があった試しはないため、返答を受ける前に一応は声をかけながら入室をする。

「お呼びでしたか、クロコダイル様」

部屋の中を進んでいくと、バナナワニの泳ぐ大きな水槽前にクロコダイルの姿があった。彼は軽くシャワーでも浴びてきたのか、上半身裸のまま片手にワイシャツを持っていた。

クロコダイルの姿に一瞬怯むアスヒだったが、当のクロコダイルは対して気にしている素振りもなくワイシャツを羽織りながら、ソファにかかっているネクタイを一瞥した。

「手伝え」

短い命令に、アスヒも短く返事をして、ネクタイを手に取り、彼に近づいていく。彼に恥じらいというものを期待している訳では無いが、少しはどうにかして欲しい。
いつも以上に格好を整えている彼に、アスヒは問いかけた。

「どこかへお出かけですか?」
「……面倒くせぇ」

心底嫌そうなクロコダイルにアスヒは苦笑を零す。出かけるという予定は聞いてはいなかったし、どうやら急遽決まったことのようだ。
人付き合いをしたがらないクロコダイルだが、何か利益が絡んでくるときちんと参加するのだから、随分と律儀な男だ。

アスヒは彼の前に立ち、少し背伸びをして腕を回してからネクタイを締める。さらさらと指触りのいいネクタイを手馴れたように締めてから、クロコダイルの顔を見上げると、クロコダイルもじっとアスヒの顔を見つめていた。
はたと目があったアスヒは、ぱちくりと瞬きを繰り返してからクロコダイルからすっと視線を逸らした。

「いかがでしょう」

彼女が淡々と言葉を返せば、クロコダイルは短く不満げに鼻を鳴らしただけだった。
そして着替え終わったクロコダイルはじっとアスヒの姿を頭から足先まで見つめる。値踏みするような視線に、アスヒは隠しもせずに不審な顔を彼へと向けた。

「なんですか」
「てめぇも着替えろ」
「え?」

きょとんとしたアスヒの横で、クロコダイルはさらりと砂となり、自室の扉を開いた。廊下にはクロコダイルとそしてアスヒの部下でもあるメイドが遠慮がちに立っており、扉が開いたことで目をまん丸にさせて驚いていた。
そして控えめに部屋に入ってきたメイドはアスヒの姿を見て、ぱぁと表情を明るくさせた。クロコダイルがにやりと笑い、アスヒは妙な雰囲気に顔をしかめる。

「あとは任せた」

メイドの手にはいつの間にか高級そうなドレス。出来ることならば逃げ出したかったアスヒだったが、近くで監視するかのように見張っているクロコダイルにアスヒは隠しもせずに溜息をついた。

その後、それはもうメイドは張り切ってアスヒを飾り付けるし、腕を組んで眺めているクロコダイルも好き勝手にモノを言うしで、ようやく全てが終わった頃には、アスヒは出かける前から既に疲れきっていた。

アスヒは鏡の前で自身の姿を眺める。指触りだけでも良物だとわかるドレス。深いスリットに開いた胸元。身体のラインが出るデザインは確実にクロコダイルの趣味。値段を考えたくもないネックレスを手に取って、アスヒは自分でそのネックレスを首から下げた。

「私が着こなせる代物ではないんですけれど」

すっかり着こなしてしまっているアスヒが何度目かわからない深い溜息をつく。メイドに手をひかれ、鏡の前に座ったアスヒは、次に髪を丁寧に梳かれ、結われていく。後ろでくあと欠伸をしているクロコダイルが最初から最後まで不服そうなアスヒに言葉をかける。

「うるせぇ。向こう行ったら上手に演じてろよ」
「無茶を言う…」

顔をしかめるアスヒをよそに、上機嫌でアスヒを飾り付けたメイドは、彼女の髪を結い上げたあと、ちらりとクロコダイルに振り返った。鏡越しにアスヒを見つめたクロコダイルが、数秒黙ったあとに感想を告げた。

「………まずまずだな」
「理想の高い人ですね」

不機嫌そうにつんと跳ね除けたアスヒが椅子からゆっくり立ち上がった。
彼女の姿は普段メイドをしているとは思えないほどに上品で、まるでどこかの令嬢のようでもあった。

メイドがにっこりと笑顔を浮かべて、アスヒの姿を改めて褒める。アスヒは部下であるメイドをじっと見つめてから、彼女を思わずぎゅうと抱きしめた。
アスヒにとって大切で大好きな部下に褒められるのはなんとも心地が良い。クロコダイルに褒められやしないのだからそれはもう余計に。

気の済むまで部下を抱きしめたあと、不機嫌そうな顔を少しだけ隠したアスヒが準備が出来たとでも言いたげにクロコダイルの隣に並ぶ。
再びじとりとアスヒの姿を見たクロコダイルが、彼女の指にいつものように収まっている赤い指輪に視線を移した。

「指輪は違うのにしろよ」
「………」

クロコダイルの言葉にアスヒは返事をしなかった。近くで聞いていたメイドはクロコダイルとアスヒの顔を心配そうに交互に見つめていた。
クロコダイルは呆れた顔を浮かべたあとにアスヒに再び声をかける。

「おい。返事くらいしろ」

つんとそっぽを向くアスヒの腕に鉤爪を引っ掛けて器用に手繰り寄せたクロコダイル。
その指には赤いシンプルな指輪が飾られており、クロコダイルはそれを引き抜こうとする。口を尖らせたままのアスヒはぐっと拳を握って指輪が逃げていかないようにした。クロコダイルの舌打ち。

「餓鬼か」
「……やです」
「よこせ」

クロコダイルの命令に、アスヒはようやくしぶしぶといった風に手をゆっくりと開いた。彼女の気が変わらぬうちにと赤い指輪を引き抜いて、振り返ってメイドの手に指輪を落とす。メイドは慌てて指輪を受け取って、慎重に指輪ケースに閉じ込める。
アスヒはじっと指輪の行方を見送り、次に非難の目をクロコダイルへと向けた。
クロコダイルもじっとアスヒを睨み返したあと、片腕を砂に変えて、腕を戻した時にはいくつかの指輪を手に握っていた。指輪は普段クロコダイルが付けているような大ぶりで煌びやかな指輪ばかりだった。

「貸してやる。これで我慢しろ」

アスヒはクロコダイルの手の中にある指輪を見つめて、渋々ひとつだけ選んだあと、未だに不服げに言葉を零した。

「趣味じゃないです」
「黙って付けてろ」

クロコダイルの指輪はぶかぶかでアスヒは翳すように指輪を見つめる。するとクロコダイルの右手がアスヒの手を隠すように包んだあと、すぐに手を離した。
よく見れば指と指輪の空いた隙間を細かい砂が埋められていた。ざらついた砂はすぐに滑らかなものへと変わる。軽く手を振るった程度では指輪は飛んでいかないだろう。

(器用なこと)

興味深そうに手を眺めるアスヒが視線を逸らす。そしてその途中でクロコダイルの指先に目が向いた。
彼の手には緑色のシンプルな指輪。じととアスヒが彼の指輪を見つめ、次にクロコダイルを睨み上げる。

「貴方様はそれを付けていくんですか」
「てめぇからの貰い物だって話が出来るだろ」
「私からの、贈り物じゃ、ありません。…選んだだけですわ」

一言一言区切って念を押すアスヒ。近くで話を聞いていたメイドがぱっと顔を輝かせたあとに、アスヒの視線を感じて、さっと視線を逸らした。上司2人の会話はとっても気になるが、詳しく聞くのは謀られてしまう。
ごほんと誤魔化すように咳払いをしたアスヒが、メイドに向き直って深呼吸をした。

「ではあとはまかせます」

アスヒが短く声をかけると、にっこりと笑い、2人の上司に上品に頭を下げたメイド。心底嫌そうな顔をしていたアスヒも、部屋を出る頃にはそんな嫌そうな顔も隠して、クロコダイルの後ろをついて歩く。
ふと振り返ったクロコダイルが、思い出したかのように腕を差し出すと、ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返したアスヒが小さく笑みを浮かべて、彼がエスコートをするのに任せて腕に手をのせた。



(ふたり、ならんで)

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