『それでも私は砂を待つ』(5年目)

その日、アスヒはどこか薄暗い倉庫の中にいた。
複数人の屈強な海賊達に囲まれて、両手を何か柱のようなものの後ろで縛られ、彼女は捕まっていた。

「お前の家のメイドを預かった。返して欲しければ、」

聞き覚えのある台詞を聞きながらも、アスヒは一切の恐怖を感じていなかった。

悪魔の実の能力を使えば、ただの縄は彼女を拘束したことにはならないし、例え海楼石が入っていたとしても同じだ。
油断しきっている男達を倒すことは簡単だったし、実質、彼女が大人しく捕まっている理由なんて、本当はなかった。

そうとも知らず、下品な笑みを浮かべている男がアスヒに向かってでんでん虫を突きつけた。

「声を聞かせてやろう」

これまた聞き覚えのある台詞に一瞬だけ身体を固くしたアスヒだったが、海賊達が何か武器を持ってくるようなことはしなかった。
はぁと息を零したアスヒがでんでん虫の向こう側にいるであろうクロコダイルに声をかけた。

「……今度は反対の足かと思いました」
「馬鹿言ってねぇで戻ってこい」

返事は呆れたような声だった。頬を膨らませたアスヒが一言聞き返す。

「よろしいので?」

ミズミズの実は世界政府が血眼になって探している悪魔の実だ。

そのためアスヒは能力を使うことを極力抑えていたし、クロコダイルもそれを望んでいた。
ここは大して広くもない倉庫の中。とはいえ、どこにどんな目があるかわからない。

外で能力を使うのはアスヒにとってもクロコダイルにとっても得策ではなかった。

だからこそアスヒは大人しく捕まっているのであり、能力を使ってもいいというのならばさっさと屋敷に戻りたかった。きっとそうはいかないんだろうけれども。

「………」

長い無言の末に切られたでんでん虫。アスヒはほぅと溜息をついて目の前の三下海賊を見上げた。

「これで来てくださるといいんですけれど」

日が落ちても来なかったら自力で脱しようと考えているアスヒの横で、あまりにも冷静な2人の会話に逆に冷静さを失った海賊が慌てたような怒鳴り声を上げた。

「お、大人しくしてやがれ!!」

これ以上ないほど大人しく捕まっているアスヒに振るわれた暴力。
アスヒはその拳を避けることなく受けて、口の中に広がった血の味に顔をしかめた。


†††


そして倉庫の中に砂が舞い上がったのは、クロコダイルとのでんでん虫が切れてから数分後のことだった。

思ったよりも早い主の登場に驚くアスヒ。狭い倉庫内で広がる砂嵐に目を細めていると、葉巻を吸ったままのクロコダイルが砂の中に現れた。

「なつかしいですね」

思わずかけた軽口にクロコダイルは一瞬だけ彼女を見たあとで「そこいろ」と短く命令した。
命令を受けたアスヒは縄を自力で解くことなどはせずに、命令通り大人しく待つ。そしてクロコダイルが海賊達を干からびたミイラと変化させるまでにそれから数分も必要としなかった。

「これにちょっかいだすんじゃねぇよ」

あれだけいきがっていたにも関わらずあっさりついた勝負のあと、クロコダイルから小さく呟かれた言葉に、アスヒの頬が緩みそうになる。が、クロコダイルにそんな表情は決して見られたくなくて、彼女はただ冷静を装い続けていた。

そんな彼女の前で、クロコダイルはただ面倒なだけだった救出劇に、葉巻の煙を溜息と共に吐き出す。
そして、短い戦闘中に感じていた違和感をアスヒに向かって口にした。

「なにしてた?」

かけられた言葉に、縛られたままのアスヒは悪戯のみつかった子供のような顔をして答えた。

「空気中の水分をなるべく空に上げていたんです。
 この周辺の湿度を極限にまで下げたら、もしかしたら戦いやすいのではと思いまして。いかがでしたか?」
「……ふん」
「お気に召したようで何よりです」

答えを聞いたクロコダイルは、どこか満足気にアスヒを一瞥したあと、彼女を縛っている縄を一瞬で砂に変えた。
即興で考えた技だったが、案外有益なものだったらしい。満足そうな主を見て、アスヒも満足感を覚えながら、クロコダイルに微笑みかけた。

「相性最悪だと思っていましたけれども、わからないものですね」
「力は使いようだ」

微笑みながら言った言葉も冷たく返されたアスヒ。内心、可愛くない鰐。と思いこっそりと頬を膨らまし、彼にバレないように溜息を零した。
身体に散った砂を叩いて落とし、それなりに身なりを整えて立ち上がる。

「なんで捕まった?」

立ち上がると同時に投げかけられる質問。アスヒは頬に手を当てながら小首を傾げていた。
いつものように買い物に出ようと思ったアスヒは、レインディナーズを出た瞬間に海賊達に囲まれていた。

用意周到に計画されていたようで、アスヒが逃走を図るも虚しく捕まってしまったのだった。

「走って巻こうと思ったんですけれど、あまりにも人が多くて」

さらりと答えるアスヒにクロコダイルは舌打ちを零す。

「それくらい上手くやれ」
「はい」

短く返事をしたアスヒはにっこりと普段は主に決して向けないような笑顔を見せた。

「では今後、適度に力を使わせて頂きますね」

能力を使わせてもらう許可を勝手に得て、少しだけ機嫌をよくするアスヒ。
そんなアスヒの様子を見て、クロコダイルは釘を刺すように声をかけた。

「バレたら困るのはてめぇだからな」
「そのような事にならないよう願いたいですね」

相も変わらず軽口を叩くアスヒにクロコダイルの舌打ちが返される。

微笑みを浮かべてクロコダイルの後ろに続いて歩きだそうとするアスヒ。
振り返られずに隣に並んだアスヒだったが、クロコダイルが変えた足元の砂に足を取られてふらつく。

あ。と小さな悲鳴を上げたアスヒを、隣にいたクロコダイルが咄嗟に支えていた。
そうしてしまってから不満げに顔をしかめるクロコダイル。彼は腰元に伸ばした手をさっと離して低い声を出した。

「……行くぞ」
「はい。…ありがとうございます」

目をぱちくりとさせたアスヒはどんどん先に歩いて行ってしまうクロコダイルの背中を見ながら、どこか嬉しそうな微笑みを向けて彼の背中を追いかけた。


(それでも私は砂を待つ)

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