(花吐き病後日談)



僕は、ふっと香った甘く安心する匂いに目を覚ました。


目を覚ました僕は、畳の上で眠っていたのか少し体が軋み意識がまだハッキリしておらず横たわったまま少しぼうっと辺りを見渡した。


(あれ…?)



(部屋の風景が違う…)



(あぁ、そう言えば此処は探偵社の寮じゃ無い)



そんな事を考えていると再び、ふわりと甘い香りが僕の鼻をくすぐった。


僕の大好きな匂いが肺を満たし幸せな気分になった僕は、再び眠りそうになったが僕の身体にバサリっと掛けられた黒い外套と横たわる僕の背後からサラリと撫でる手に僕は飛びそうになった意識を呼び戻された。
暖かい頭を撫でる手に僕は、くるりと体を反転させるとその頭を撫でる手を掴み、すり寄った。

柔らかいその手を持つ人物を確認する様に視線を辿って行くと其処には僕が想像していた人物で僕の愛しくて仕方がない人、ふみさんが窓に背を向ける様に座っていた。



「起きたのか……人虎」



「はい…起きました」




聞こえた愛しい人……


ふみさんの声に僕は、微笑みながら応えるとふみさんも小さく笑ってくれた。








少し前の事だった。
社長の友人による依頼により、僕は世にも珍しい“嘔吐中枢花被性疾患”通称「花吐き病」と言う奇病感染者と接触した。

花吐き病は、遥か昔から現在まで流行と潜伏を繰り返してきた奇病で片思いを拗らせると口から花を吐き出すと言う世にも珍しい病状だ。
その感染力は強く、感染者の吐き出した花に触れるだけで感染する程である。
相手を思えば思うほどその病状は、悪化し最終的には呼吸器官を花びらが圧迫し死に至ると言う恐ろしい奇病であった。


そんな花吐き病の感染者と接触した際、僕は偶然なのか其れとも神様の悪戯だったのか感染者の発作により吐き出した花びらが風によって舞い散りその花に触れてしまい、僕は花吐き病に感染してしまった。

最初は与謝野先生の異能で治るのでは無いかっと考え、恐怖を感じながらもお願いをして解体からの治療をして頂いたのだが与謝野先生の異能を持ってしても完治する事が出来なかった。

取り敢えず、効き目があるのかは分からないが吐き気止めと咳止めを調合して頂き、花吐き病に感染したての頃は、其れで何とかなっていたが最終的には毎日飲み続けていた為、体の中で薬に対しての免疫が出来てしまい、あまり薬の効果が効かなくなってしまった。


ふみさんを思う度に僕の口から吐き出させる赤い薔薇の花びらに僕は、本当にふみさんの事が大好きなのだと思い知らされた。



ふみさんに会いたい。




ふみさんの声が聞きたい。




だが、その時に花を吐き出してしまったら?




ふみさんに感染してしまったら?




それにふみさんが触れて感染してしまったら…?




ふみさんが僕では無い、人に片思いをしていたら……?




そう思うと恐ろしくて仕方がなかった。

だが、会いたい気持ちは抑えられず“まぁ、大丈夫だろう。僕が吐き出すのを我慢すれば良いか”と軽い気持ちでその時は考えていた。

そしてあの日、僕は洋菓子屋さんで新作と書かれていたマカロンを買い、いつもふみさんが通る公園へと足を運んだ。
ゴホッと咳き込み口から零れ落ちた花びらに僕は苦笑いするとそのままゴミ箱へと花びらを捨て、いつもの様にふみさんを待ち伏せた。

すると数十分も経たないうちに黒の外套を揺らめかせた愛しいふみさんの姿を見つけた僕は、すぐさまふみさんの名前を呼んだ。
ふみさんは、ゆっくり僕の方へ振り返り嫌そうな表情を向けるとその可愛らしい声で僕へと話しかけてきた。


ふみさんとの会話の途中でいつもみたいにふみさんが異能を使いそうになったので僕はタイミング良くふみさんの前にふみさんの為に買ったマカロンの入った箱を差し出すとふみさんは可愛いお顔をキョトンとさせると僕の誘いに乗ってくれた。
ふみさんの手を握り、ベンチに座らせマカロンを食べる姿に幸せを感じていた時だった。

急に起こった発作に僕は、やばいと思い一生懸命咳を止めようとしたが背中を撫でてくれるふみさんの優しさを持ってしても咳を止める事が出来ず、僕は口から赤い花びらを吐き出してしまった。

驚き呆然とするふみさんが無意識に花びらに触れようとした手を僕は、反射的に強い力で弾いてしまった。


僕に叩かれた手を反射的に胸元で握るふみさんに僕は我に返ると「あっ…」と声を漏らした瞬間、ふみさんを傷つけてしまったと悲しみが胸を込み上げた。


僕はそれ以上、ふみさんを見ていられなくてその場から逃げる様にして立ち去った。


がむしゃらに走り、いつの間にか港まで辿り着いていた。



「あっ……あぁぁぁぁぁっ{emj_ip_0792}」



苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい


肺が喉が花びらと言う異物で満たされ、呼吸器官が圧迫され苦しくて堪らなかった。

ふみさんを傷つけてしまった事を後悔しただけでこんなにも苦しいだなんて。

こんな思い、他の人にさせてはいけない。


特にふみさんには、させてはいけない。


離れなければ…。


近くに居れば、感染率は確実に上がる。


ふみさんがもし感染してしまったら…


僕では無い人を想いながら花を吐き苦しむ姿など見たくない。


そう思った僕は寮に戻り、なけなしのお金を持つと姿を消した。


姿を消していた間は、様々な場所を彷徨っていた。

それでもふみさんの事が頭から離れなくて彷徨っている間も何度もふみさんを想いながら花を吐いた。


そして、結局。
一度、ふみさんに連れられて来た、港の海の見える場所へと足を向けたのだった。


ベンチの上で体育座りをすると自分の膝に顔を埋め、ふみさんの事を想った。


(ふみさん、今何してるかな)


(ふみさんの手、叩いちゃったなぁ)


(怒ってるかな。次、会ったら“死ね人虎”って言われちゃうかも)


(次…“次”って?






僕に次ってあるのかな…)


ゴホゴホッと吐き出される赤をぼうっと見つめながら“ふみさんを想いながら死ぬのも悪く無いかも”などと考えていた時だった。


コツリと聞こえた足音に僕は、顔を上げた時、見慣れた黒が見えた。

まさか、あの時、会えるなんて思ってなかった。

ましてや、僕の事を“好きだ”と思ってくれているなんて思ってもみなかった。


ふみさんのお陰で花吐き病を見事に完治した僕は、ふみさんからの口付けと“私を好いているなら今の行動で察しろ”と言う言葉に僕は、ふみさんにきちんと“好きです。僕の恋人になってください”と言うとふみさんは小さく恥ずかしそうにコクリと頷いてくれた。

晴れて恋人同士になった僕とふみさんだが対して関係は変わらず、ふみさんのツンツンは現在だが僕は照れ隠しだと思っている。

だが僕は探偵社社員、ふみさんはポートマフィアの人間。

一緒にいる時間は前と変わらない。
だが、恋人同士になった以上、もっと一緒に過ごしたいと言う欲が僕にはあった。

一番は、お互いの家の合鍵を交換し相手が帰宅するまで家で待つと言うのが好ましいのだが生憎、僕は鏡花ちゃんと住んでおり、ふみさんは双子の兄である芥川と妹さんと住んでいる為、相手の家で待つ事が出来ない…

悩む僕にふみさんが言った。



「ならば、逢い引き専用に部屋でも借りるか?」



突然、言われた言葉に僕は驚いたがふみさんと一緒にいる時間が増えて誰にも邪魔されない空間に二人っきりで居ることが出来るならこの上ない幸せだっ…{emj_ip_0792}と思い僕は、ふみさんの言葉に賛成した。



僕は暇があっては二人で借りたワンルームに来て居た。
此処に居れば、ふみさんに誰にも邪魔されずに会えるからだ。



そして、僕は今日、此処に来たのは良いがふみさんを待っている途中に窓から差し込む日の光によってぽかぽか気分になりいつの間にか寝てしまっていた事を思い出した。






「家の中と言えど、何も羽織らずに居眠りすると風邪を引くぞ」


「はい、以後気をつけます。
それにしてもふみさんいつの間に来たんですか?
起こしてくれたらよかったのに」


僕が少し不貞腐れた様にふみさんに言うとふみさんは「今来たところだ」と言うと僕が動いた事によりずれた、ふみさんがいつも纏っている黒の外套を再び掛け直してくれた。

ふわりと香ったふみさんの匂いに胸がどきりと高鳴った僕は、今此の瞬間がとてつもなく愛おしく感じた。


ふみさんは、僕が掴んでいる手とは反対の手で僕の頭を撫でると「何か飲むか」と問いかけてきた。
僕は、コクリと頷くといつも着ている白いフリルのついたワンピースの裾を揺らしながら立ち上がると冷蔵庫へと向かっていった。


僕は、欠伸をひとつすると横になっていた体を起こした。


また、目覚めぬ思考でワンルームである部屋を見渡した時、僕が以前に買ってきた簡易机の上に一つのガラスの小物入れがある事に気がついた。
ガラスの為、中に何かが入っている事に気がついた僕は小物入れを自身の側へと引き寄せるとパカリとその蓋を開けた。




そして、中身を見た僕は、驚き目を見開いた。



「ちょ{emj_ip_0793}ふみさん{emj_ip_0792}」


「ん?待て。今、お茶を注いでいる途中だ。」


「あ、ありがとうございます。っじゃなくて{emj_ip_0792}これ{emj_ip_0792}」


「羊羹買って来たが食べるか?」


「あ、食べます。ってだからぁ{emj_ip_0792}」


「煩いぞ、人虎。包丁を使用するところだから話しかけるな。
危ないだろ」


「す、すいません」


ガラスの小物入れの中身について問い掛けようとしてもお茶を入れ、羊羹を切り分ける事に気を取られており、反応が薄いふみさんに僕は大人しく待つしか出来なかった。

数分後、緑茶と切り分けた羊羹を乗せたお盆片手にふみさんが机まで戻ってきた。
コトンっと僕の前にお茶を置くふみさんにお礼を言うと僕は、先ほどの小物の中身についてふみさんに問い掛けた。


「ガラスの小物入れの中身についてですが…」


「ん?あぁ、貴様が花吐き病に感染した際に吐いた薔薇の花びらと完治の印である銀色の百合だが?」


“それがどうした?”と羊羹をもごもごと食べながら首を傾げるふみさんの姿に僕は、可愛さのあまり抱き締めたくなったがグッと我慢した。


「何であんな物持ってるんですか{emj_ip_0793}触れて花吐き病に感染したらどうするんですか{emj_ip_0792}」


ふみさんの為を思い怒る僕に対してふみさんは、二切れ目の羊羹に手を伸ばし口に運ぶともごもごと何かを言い始めたが「ごっくんしてから話してください」と言うとふみさんは、もぐもぐと口を動かした後、ゴクリと羊羹を飲み込み僕をじっと見つめながら口を開いた。




「貴様が私を好きなら発症しないと言っただろう」


そう言うとふみさんは笑った。





ふみさんは、微笑んだまま僕の前にあったガラスの小物入れを自身のところへ引き寄せるとパカッと小物入れの蓋を開け、中にあった赤色の花びらを一枚指で摘み愛おしそうに花びらを見つめた。




「これは、人虎が私を想い、吐いた花だ。







私への想いが詰まった花を私が受け取って、大切にして何が悪い。」





“何も問題ないだろう?”と言うふみさんに僕は顔が熱くなるのが分かった。


普段は、ツンツンしているのにたまに見せるデレが本当に心臓に悪い。




だけど、僕はそんなふみさんが大好きで愛おしくてたまらない。



「本当に大好きです、ふみさん」




そう言うとふみさんは、照れを隠すように三切れ目の羊羹を口に含んだ。



終わり。