菅原先生と課長


先生ってモテるよね?、と世谷署捜査一課の木島和臣が云った。珈琲を淹れていた科捜研の菅原宗一は、なんでそう思うん?とフィルターの中の豆を膨らませた。
「絶対モテるでしょ!?」
「んー、如何かなぁ。」
何故、研究所に居るかは聞かない、何故か知らないが捜査一課の連中は、暇があると、或いは聞き込みの間のサボりとして皆此処に来る。事件が無いなら来るなと云うのは容易いが、居心地が良いらしいので邪険に出来ない。
置かれたカップに口を付け、和臣は上目で宗一を見た。
「何人位と付き合ったの?」
「おー、ぐいぐい来るなぁ。でぇも、残念。そんなモテませんよぉ?」
モテる奴に限ってそう云うのだから、此れは本当にモテるんだと、和臣は特徴的な家鴨口を尖らせた。
今でこそ科捜研の法医だが、其れも其れで凄い職業なのだが、宗一は元外科医で(何と年収五千万オーバー!)、今現在も某国立大学で教鞭を取っている。
ゆったりとカップを傾ける姿迄洗練されて居るのだから始末悪い。
「何で、医者辞めちゃったの?」
「なぁんかな、疲れたんよ。医者で居(オ)る事に。」
「そっかぁ。」
ずずっと同時に珈琲を啜った。
「課長と、どれ位付き合ってたの?」
「嗚呼、其れが本題か。」
えへへ、と和臣は笑い、釣られ宗一も笑った。なんというか和臣の笑顔、和むのである。名の通り、和んでしまう。
和臣の上司である捜査一課の課長と此の宗一、中学時代からの馴染みで、元恋人同士…詰まり双方ゲイである。最も課長は事実上結婚して居るが。
菅原先生、フリーである。狙うなら今である。
「彼奴と最初付き合うたんは、大学時代かな。」
「え、意外と昔だ。」
「そうそう、二十年以上も昔の話よ、俺が未ぁだ、夢や希望を抱いていた医学生時代。」
「絶対モテたでしょ!絶対可愛いもん、先生の大学時代!」
「だぁから、モテてないて。」
宗一は思う、自分の何処を見て和臣はモテると云うのか。
「何処見てそう思うのん、自分。」
「全部、全部だよ。トータルしてマイナス要素が無いもん。」
「じゃ何で俺、未だに独身なんですかね?」
「あ、知らないね?本当にモテる男の人って、結婚しないんだよ。結婚に意味を見出さないから。」
「嗚呼、だからカズは独身なんだね?」
宗一の攻撃に和臣は黙り込み、此れは本当に唯モテないだけ…と息を吐いた。結婚出来るなら今直ぐにでもしたい所だが、何故か女が本気になってくれなのだ、和臣。結婚を意識しても、女の方が、冗談でしょう?と去って行く。何時も遊び遊びアンド遊びで、ちっとも全く誰も本気になってくれない。
和臣は、結婚したいのに出来ない、宗一は、結婚出来るのにしない、此の違いはかなり大きい。
落ち込んだ和臣の姿に、ほんま可愛いな、と宗一は上機嫌で、珈琲を楽しんだ。
「でぇ、其の後もっかい、二年位かな、付き合った。」
「思うんだけどさ、何で課長は、先生と結婚しなかったの?」
今度は宗一が其の言葉に落ち込み、違う、此れは違う、宗廣に略奪されただけ、と呻いた。
課長の現パートナー、捜査三課の宗廣、噂によると元既婚者で、課長の為に(所為?)で離婚した強者、そして課長の永遠の奴隷。
和臣は腰を捻り、背凭れをしっかり両腕で抱えると、なんか違う、と不貞腐れた。
「確かにね、宗廣さん、すっごい格好良いよ、なんかもう、ダンディズムってこういう事云うんだなぁって思う位、男の色気が凄い人だけどもさ、先生見る迄完璧なカップルだと思ってたけどさ、違うよ。違う。先生見たら違うよ。課長には先生の方がしっくり来る、俺はね。他はそう思わないかも知れないけど、俺はそう思うよ?」
「嬉しい事言うやないの。」
八つ橋やるわ、と和臣は八つ橋を貰った。此れ、宗一の大好物である。
貰ったは良いが和臣、実はシナモンが苦手である。此の味の何処が美味しいのか、昔から判らない。
「彼奴の事はね、もうええのよ。略奪されたとか言うたけど、彼方に行け言うたの俺やしな。」
「何で?」
黒目を矢鱈主張する和臣の猫目、宗一は其れをじっと見た。
「俺より彼奴の方がモテるよ。」
はぐらかすように宗一は微笑み、八つ橋を割った。
「課長より先生の方がモテると思うんだけどなぁ…」
「何で?俺、本当にモテんよ?」
「だって、先生の方が優しいじゃん。」
嗚呼、そう言う事かと宗一は、納得した。
「甘いなぁ、甘い。優しいだけの男って、詰まらんのんよ?」
「優しい方が良いって。」
「対女、やったら、俺の方がモテるやろうけど、いかんせん、俺等ゲイやからな。」
地位や名声、金等関係無い状況、互いの立場で、モテるか否かが決まると宗一は云う。
「俺は、タチなんよ。どっから如何見ても、タチやろ?」
「うーん、うん。」
ゲイでない和臣には判らないが、宗一がそういうのなら、宗一みたいな男を完全立ち役というのか、と一応頷いてみせた。
「で、彼奴はネコなんよ。然も、そんじょ其処らの、カマ臭いネコとちゃう。大変貴重な、長身ネコなんですよ。此れはかなり、重宝されるんですよ、我々の業界では。」
鼻息荒く、此の男は昼間から何を云っているのだろうか、我々の業界云々と熱く語られても困る。
「俺達は、男が好きなんよ。やから、なよなよした線の細い男とか、オネエなんか論外な、カマ臭い奴、大嫌いなんよ。そう言うのが好きな男って、自分も女の心持っとる可能性が高いんよ。そんなん嫌です、興味無いです。」
「彼の方、すっごい男らしいもんね。」
「アレはね、もうね、業界が震撼したよ。アレこそ正に、カマネコが涎垂らしてケツ上げるような、完璧なタチやぞ。なのにですよ、ネコですよ、彼の方。カマネコからはお兄さん格好良いと云われ、タチからは幾ら積んだら良いんだろうかと思惑され、女達からも抱かれたい抱かれたいと、彼奴、何処行ってもモテるからな、何でそんなモテるんやって位モテよるからな。」
だから、女にもてたいなら、自分では無く、課長を観察すれば良い、と宗一は逃げた。
「課長がお金持ってるのって…」
「そそ、そう言う事よ。」
親からの遺産にしては余りにも高額過ぎるなと思ってはいた。
遺産が高額なのはそう珍しい話では無い。和臣とて、名の知れた作家の父親が死ねば億という遺産が入る。オマケに出版物の権利も弁護士を介し自分に渡るので、死後売れた本でも印税が入る、なんと素晴らしい有難い父親だろうか。
同じに、後輩の井上拓也という此の刑事も、外交官だった父親からの遺産がかなり入っている。父親自身が残した財産と、其の時未成年且つ大学生だった井上の状況もあり、国から来たのが凄かった…とか何とか。
凄いんだ、国家公務員が死んだ、其の後の金は。
課長の父親はインターナショナルスクールの講師だったらしいが、詳しくは知らない。平均より少し上、の生活水準ではあったが然し、散財出来る程遺産があるとは思えない。
ずっと気になっていたのだ、和臣は。
したらなんだ、あのバブルの時、其の頃の課長の美貌と日本の経済最高潮の産物だった。一番金が回っている時代に、課長は人生で一番輝く大学生だったのだ。其の時のプレゼントに現金では無く、証券か不動産を要求しているのだ。
バブルの崩壊で、一度は証券と不動産価値が暴落したが、こうして長い目で見れば課長、其の時の恩恵で、刑事としての給料以外に一千万以上は収入があるのだ。
「頭ええやろ、此奴、ほんま。」
日本の公務員は知っての通り、副業禁止である、然し、株と不動産での利益は副業に入らないのだ。課長は其れを知っていた、だから、一瞬で消える現金より、自分が死ぬ迄何とか生きれる程の年収を確保出来る不動産と株をパトロン達に要求したのだ。
「やだぁ…頭良い…」
「彼奴の親父さんも全く同じ思考でさ、バブルん時、マンション建てて、其れも来てるんよ。」
「バブルって、怖いね。」
「然も彼奴、又別に百万位来よるからな。」
「え、もう判らない。何でそんな課長にばっかお金が集まるの?」
人間だけでは無く、金にもモテるというのか、あの課長は。
宗一は口に残るシナモンの味を珈琲で流し込み、辺りを見渡すと顔寄せた。
「此れ、ほんま、誰にも言わんて、約束出来る?」
「うん…。俺、案外口硬い…」
「其れは良く判る、彼奴が信用しとるのが証拠や。」
宗一は一層声を潜め、賄賂に近い何かを貰っている、と爆弾発言をした。
「え…?賄賂…?」
「いや、賄賂…、ううん…、彼奴が要求しとる訳や無くて、渡す側が、勝手に毎月振り込んどるんやけど、彼奴な、京都に入れんのよ。」
益々意味が判らなくなって来た。同じ日本国内で、入国禁止とは一体如何云う意味なのか、アメリカじゃ無しに、何時から日本は、各都道府県で入国云々の法案が出来たのだろう。
「え?京都に入れない?え?」
「昔よ、大昔。彼奴に溺れた男が居ったんやけど、其奴がまあ、京都の権力者の息子でさ、最初に金渡したんは親父さん。京都の権力者舐めて掛かったらあかんよ、ほんま凄いからな。」
「息子と別れろ、的な?」
「ちゃうちゃう。絶対世間にバラすなって警告。あの権力者の息子が男遊びに興じてたとか、洒落ならんからな。最初は其れやった。其れが代替わりして、今本人が振り込んどる。」
「其れってかなり問題じゃない?」
ヤクザと癒着する政治家並みに問題である。然し如何なのだろう、課長の方から恐喝している訳では無く、向こうが勝手に怯え振り込んでいる、恐喝罪に当たるのだろうか。
「やから内緒、言うてるわな。因みに俺も、知ってるから、貰ってるんよ。」
大問題である。
「いや、俺、聞いちゃったんだけど、駄目じゃん。其れ、契約違反だよ!告発されるよ?」
「聞いたな、良し。若し、あの男の、此の過去が、週刊誌に流れたら、原因、御前な。」
「待って待って、止めて。俺、無関係。本当に無関係。」
「俺、六十万貰ろてる、やから、半分…いや、四十やるわ。毎月御前に四十万やるわ。」
「要らない!要らないよ、そんな汚いお金!」
「金に綺麗も汚いもあるか、金は金や。な?貰っとけ。此れ、ばれたら、ほんま洒落ならんのな。」
「先生、駄目だよ、本当、信用無くす事しちゃ…」
「こんな卑劣な男が、モテるとは思えん。」
俺は今迄何を見て来たのか、裏表の激しい奴を何人も見て来た、そして、宗一のような一見善人に見える奴こそ、裏で盛大な悪事を働く典型では無いか。
うっかり優しさに騙された。
やっぱり、俺、刑事に向いて無いのかな…。
刑事の癖に人を見る目が無さ過ぎる。
「其の点彼奴は裏表無いからな。嫌いな奴には嫌いやてはっきり言うし。そんかし、敵むっちゃ多いけどな。」
「課長ってやっぱり格好良いな。」
「結局貴方其処に行くんじゃないですか。」
「いや、ね。やっぱ課長が良い。課長が一番好き。」
和臣の言葉に宗一は笑い、
「な?皆ぃんな、最後はそう言うのな」
と息を漏らした。
「だから俺は、モテませんよ。」
「ね、何人と付き合ったの?先生。」
「未だ聞くか、煩いな。三人よ。」
「たったの!?もっといっぱいかと思ってた。」
「不器用なんよ、俺。一回愛したら、忘れられんのな。」
宗一は背凭れに背中を預け、夕日が差し込む窓を見た。キィ…とキャスターを動かし、ブラインドを閉めた。
「もうそろそろ帰んなさい。課長、心配するよ。」
何時だろう、と携帯電話を出した和臣は、何時の間にマナーモードにしたのか…兎に角マナーモードになっていた画面には、課長からの不在着信五件、メールが六件、最後の一件には“貴様は解雇だ、馬鹿野郎”とあった。
うへぁ…と口を歪ます和臣、返事をしようとした瞬間画面が着信を知らせ、課長、という文字が此れ程の威力を持つとは思わなかった。
「も……」
「貴様、馬鹿か。今何処に居る。」
「あんの…」
電話を突き抜ける課長の声に宗一はキリキリ笑う。
「あの…先生と、いっ…」
「良いか、十分以内に帰って来い。さもなくば、貴様の机を物置にするからな。おっと、加納がなんか良く判らん、ロボットを置いてる。」
「屹度其れは、オートボット!何色ですか!?」
「…黄色?黄色?!…山吹色?」
「其れはバンブルビーです!円らな瞳でしょう?」
「え?何?うん…、あはは。あのな、加納がな、御前のカマロをなんかするって云ってる。え?何?ディセプティコン?嗚呼、うん。うん…、良く判らん。加納の話は良く判らん。マニアック過ぎて良く判らん。」
「止めろ、止めろ加納!俺のカマロに触るんじゃない!」
ワタクシのベンツを悪趣味と貶した報いです、と和臣とコンビを組む刑事が云った。
「いや、其処は譲らないぞ。ベンツは悪趣味だ。」
確かに、と宗一も云った。
「ジャガーにしなさい、ジャガーに。」
「いいや、ニッサンだ。日本人なら日本車に乗れ!ニッサンは良いぞ、素晴らしい。日本産まれ、略してニッサン。素晴らしい。…一寸待て、其の声は宗だな?」
「…僕の所居ますよ、君の側近は。」
「木島、今直ぐ帰って来い。ディセプティコンかなんか知らんがな、そんな物になる前に廃車にするぞ。」
「帰ります。」
愛車の危機を察し、電話を切った和臣は立ち上がった。
「お邪魔しました。」
「結局なんし来たん。」
「サボりたかったの。」
「シボレー掛けて?」
「車を置いて来たのはしくったよ。」
だったら如何やって来たかというと、宗一の後ろに乗って来たのである。署に来た宗一に会った和臣は、先生の後ろ乗ってみたい、と云った。偶々其の時課長が居らず、此れ幸いと宗一のバイクに跨った。
「良し、帰ろ。」
「先生ぇ?」
パソコンをスリープにし、荷物一式を持った宗一は、白衣を引っ張る和臣に眉間を掻いた。
「はいはい、送ればええんやろ。」
「ほらあ!先生ってやっぱ優しい!」
「そうやって君は、年上を上手ぁく使うのな。年上の女に可愛がられるやろ。」
「何で知ってんの。」
「見てたら判るわ。」
十分で…戻る事は出来なかったが、最短時間で帰って来た和臣は、部屋に入るなり課長からエルボーを喰らい、落ちた所をガスガス蹴られた。
「シュウ!」
課長の言葉に、嗚呼そうだった、と宗一は煙草を咥えた。
科捜研化学担当、長谷川秀一、そういえば此奴と来ていた。うっかり和臣を乗せ、ラボ戻った為、すっかり秀一の存在を忘れていた。
肉厚な課長の唇から出た不吉な言葉に和臣は震え出し、えっへっへ、と悪魔の笑い声を聞いた。
「出番が無いかと、焦ったよ。此処で登場、アイアム ジーニアス!」
てってれー、と白衣のポケットから悪魔の棒を取り出した秀一は、意気揚々と怯える和臣に近付いた。
「先生てば酷いんだ、すっかり俺を忘れてる。」
「御免、御免。」
「一旦ごめぇん。」
「ラボに居ないと、安心してたのに…」
「馬鹿だな、和臣、俺が御前を構わない訳無いだろう?」
恐怖で滲み出る脂汗で張り付く前髪を撫でた秀一は、御前の髪柔らかいな、と悪魔の棒…ショックペンの電源を入れた。
「課長…、課長助け…」
「俺より宗が良いんだろう?宗の後ろに乗ったんだろう?大事な御前の命、あれ程、俺以外に乗るなと云ったのに。……シュウ、やれ。最大ボルトだ。」
キュゥン…と電圧の上がる音に耳鳴りがした。故に、悪魔の声が聞こえなかった。
「さあ、皆様御一緒に。」
エレ・キ・テルと聞いた瞬間、和臣の視界は真っ暗になった。
宗一の迎えに機嫌良くステップ踏む秀一に構う事無く、課長は宗一の腕を引いた。充血した白目、宗一は見るとにんまり笑った。
「貴様の所為で、又髪が白くなったじゃないか。此れ以上如何白くなれって云うんだ、え?」
「過保護過ぎんのん。」
「誰を乗せても構わんがな、此奴だけは乗せるな。貴様にカズの命なんか預けたくない。」
「随分と…」
まあええわな。
宗一は煙草を消すと、秀一の肩に腕を回した。
「御前は何時もそうだ。」
吐き捨てられた課長の言葉に足を止め、矢鱈に長い廊下と一緒に姿を視界に入れた。
「喧嘩なら、買うよ?」
「何で何時も何時も、俺の大事な物を奪って行くんだ。」
そんなに俺が憎いか。
秀一の肩から腕を外した宗一はきちんと身体を向け、憎い?と聞き返した。
「憎い、か。御前、俺の性格知ってるだろう。」
「嗚呼、知ってる、嫌って程にな。」
「だったら何で俺等が別れたか…、判るやろう?」
双方の目を見る秀一は、嗚呼そういう事か、と白衣のポケットに手を入れ、廊下の壁に背中を付けた。
困ったな先生も、好き過ぎて傷付けたいのか。
ささくれた唇の皮を剥き、ずきりと痛みが走ったが、心地良い痛みだった。舐めると血の味がした。其れは、歪んだ愛情の味だった。
「盛大大事に、桐箱に詰めて、よぅ部屋から出さん事なぁ。でぇも偶には外出したらな、ウチみたいな悪い虫が付くえ?」
にやにや笑う宗一に課長は近付き、両手をスラックスのポケットに入れた儘見下した。
二十センチ差、明らかに課長の方が大きいのに、見上げる宗一に見下されていた。
「今日の所は、大目見といてやる。でも、次は無いわな。よぅ覚えとき。」
硬い声色は、精一杯の虚勢…猫が威嚇する声に似る。
「ほんなら大きに、又来ますよし。あんじょう大事にしはってや、兄さん。」
なんて男共だ。怖過ぎるだろう。
秀一は思う。矢張り此の男共は、敵に回してはいけないと。




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