「栞に何の用だ」


 鋭い眼力は青空のように澄んでいたが、その瞳の中は憎しみに轟々と燃え盛っている。有無を言わさぬ語尾に、それは、己の唇をゆっくりとなぞる。イヴモンの小さな姿など、目にも留めていないようだ。その瞳はただ栞を射抜き、彼女が耐え切れなくなって瞳を逸らしたところで、一歩近づいた。


「私の言葉の意味を理解したか?自分が闇であることを、思い出したか?」
「栞、耳を傾けるちゃだめだ。アイツの言葉は毒だ」
「さあ守人。私と共に来るが良い。子供たちに報復してやろうぞ」


 まるで忠実なるしもべのように、恭しく栞へと膝を折った。


「報復…、?」
「そうだ。報復だ。お前を裏切った子供たちへ、罰を与えねばならん」
「罰…?」


 呟いてから、栞は俯いた。直ぐに、浮かんだのは。


―――…真田さん!


 初めて声をかけてくれた時の、空の、声。
 例えばあの時より少し前、先生に頼まれていたとすれば、確かに空が心から思っての行動ではない。それでも。


―――…ねえ、栞ちゃん。これ、どうやるか分かる?
―――…栞ちゃん、ピアノ習ってるの?すごい、今度聞かせて!
―――…うわあ、栞ちゃん、絵上手いのね!芸術的センスがあるわ!
―――…今度サッカークラブの練習、見に来てよ!終わったら、そのまま遊びに行きましょう。

―――…私たちが、仲間がいるじゃない。だから栞は一人じゃない。栞が困ったなら、みんなで解決しましょう。

―――…栞!


 あの愛情に満ちた優しい声は、どうしても、栞の心から離れてはくれない。どうしたって。いくら傷ついたって。栞の中から、空という優しい人間が、消えてはくれない。


「いやだ…」

「なんだと」

「私は、『仲間』を傷つけたりなんかしない!」


 顔をあげる。胸を張る。拳を握る。目の前を、見据える。
 例え、誰もが離れて行ってしまったとしても。例え、みんなから嫌われてしまったとしても。信じなければ良かったと後悔したとしても――終わりのない思いが、栞の中にありつづける限り。


「バカな。お前は裏切ったアイツらを憎くはないのか」


 私の世界は、0と1だけで構成されていた。
 開け放たれた窓の外、『仲間』という新しい世界を知った。


「『仲間』などと――いずれかはまた裏切られるだけだ」
「それでも、いい!」


 『仲間』は、確かな光だった。


「それでも、私はみんなを信じる!」


 信じあって、起こった奇跡の果て。
 その果てにあるものを、目指して。


「…弱くなったな守人。『仲間』など――そんなもののために、自ら弱くなるつもりか」
「弱さとか、強さとか。そんなものが誰かを傷つけるなら、それが争いになるなら、私は弱くたっていい。世界を守るとか、そんな理念も必要ない。ただ、ただ傷つけたくないだけだよ…!仲間を、友達を、これ以上大切な人たちを傷つけるなら、私はあなたを赦さない!!」


 翳った日の光が、栞の頬を照らした。凛と気高く聳える世界の秩序は、どしてこうも神々しくあられるものなのだろうか。
 ――彼の頬に歪みが走る。彼女が『仲間』を信じ続けるシナリオは、予想していなかった。思わぬ舌打ちが飛び出る。それでも――今、彼女を手にしなければならない。仲間内が、まだ、バラバラである間に。


「ならば――多少手荒い真似をしてでも――お前を我が手中に収めてみせよう!――ナイトレイド!!」


 彼は高らかに声を出し、腕を広げる。表面の黒色とは違い、内側は赤い素材のマントから、無数の黒い蝙蝠が姿を現した。膨大なる闇の力を感じる。


「――っ!」
「栞ッ!!」


 それはあっという間の出来事だった。
 栞とイヴモンの小さな体は、無数の蝙蝠によって姿を隠し、気づいた時には――そこには誰もいなかった。


17/07/27 訂正
11/04/18

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