071 不可侵の対価




 太一は草を掻きわけ、辺りを見回す。先ほど、こちらから声が聞こえた気がした。


「……どこ行っちまったんだよ、栞……」


 夜も更けたが、栞だけの姿だけが、彼らの中にはなかった。髪を掻きむしり、ひっそりとため息をついて、ひとまず全員が眠る場所へと戻ることにした。
 空はあの後後悔だけが胸に溢れだし泣き喚き、落ち着いた彼女は「愛の無い理由」を語り出した。――空は、今のサッカークラブに入る前、女子サッカークラブに所属していた。元々運動神経が良い空は、現在もそうだが、そのクラブでもエースストライカーだった。ある日、彼女は怪我をした。サッカーをしていれば、誰でも怪我の一つや二つくらいするものである。しかし、その怪我をした次の日、休むことのできない大切な練習試合があった。痛みはあったけれど、それよりも試合の方が、空にとっては大丈夫だった。けれど、母は、それを読み取った。座りなさい、と母に言われた。早く試合に行かなければいけないというのに、母は試合に行くことを許さなかった。なるべく早くに説得して、仕合に向かわなければならない空は、言葉通り正座をした。―ずきりと足が痛む。ほらね。母は言った。まだ傷が痛むのでしょう。そう言う母に、空は強気にこのくらい大したことはないと言い放った。しかし、母は花を生けながら、正座も出来なくなるようなサッカーを止めろと無慈悲にも言ったのだ。嫌よ!空は叫んだ。そして自分は花よりもサッカーの方が好きだと主張した。なのに、母は分かってはくれなかった。それでも自分の子なのかと強く問われて、空は絶望する。母は、自分というブランドの元に生まれてきた『空』しか、見ていない。つまりは、華道をしない空など、どうでもいいのだ。――どうして分かってくれないのよ!!空は心にぽっかりと空いた穴を埋めるように叫び、家を飛び出した。直ぐに試合会場へと向かう。ずきりずきりと足は痛むが――夕日が、空の姿を照らしだした。目の前には、スポーツバックをぶらさげた仲間たちが、俯きながら、帰っていた。空は立ちつくす。それだけで、試合の結果は、まるわかり――惨敗だった。おそらく、普段から真面目にサッカーに取り組んでいた空を、チームメイトは誰も罵倒しないだろう。それでも空は、責任感の強さから、そのチームにはいられなくなった。母ともそれ以来、距離を置くようになった。
 今までずっと我慢してきた思いを打ち明けた空は、紋章を川に捨てようとしたが、太一は間一髪のところで止めた。
 そして空は泣き続け、ひとまず、タケルの言葉で彼女は再びみんなと合流することになった。だから今この場にいるのは、7人。

 ただ栞だけが、見つけることができなかった。

 全員が眠りに入っている中で、太一はその場に戻った。なるべく音を立てないようにと気を付けたのだが、思わず落ちていた木の枝を踏んでしまって、ぽきりという鈍い音が辺りに響いた。
 寝転がっていた空が、ゆっくりと起き上がった。


「太一…」
「おう。なんだ空、起きてたのか」
「…どう、だった?」
「だめだ。見つけらんない」
「――…どうしよう、私、あの子のこと凄く傷つけたわ」


 じんわりと空の瞳に涙が浮かび、太一は慌てて手を振った。


「お、落ち着けよ、空!悪いのはピコデビモンだって!」
「嫌われたかも、しれない」
「空…」
「本当に、本当に、大好きなのに。――栞に嫌われたら、どうしよう…!?」
「栞がお前を嫌いになんてなるもんか。でも――一人で悲しんでいるのは確かだからな、早く見つけないと。そのためにも、今日はもう寝ようぜ。お前だって、疲れてるだろ?」


 ぽんっと、優しく空の肩に触れ、軽く押した。重力には逆らえず空の体は地面へと沈む。「…うん」空は呟き「ありがとう、太一」そう言って、ピヨモンの横で目を閉じた。太一も同じように寝転ぶ。大層にいびきを掻いて寝ているアグモンは、気楽でいいよな、なんて思いながら、ゆっくりと目を閉じた。

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