「貴様」


 その声が、やけに耳について、どくん、と、大きく心臓が鳴った気がした。目の前が揺れる。 胸の奥から、すべてが叫ぶ。 
 訝しげに寄せられた眉、少し斜めに切り分けられた前髪が漆黒に揺れる。つりあげられた瞳は灰色で、風に乗って少し長めの髪が舞った。


―――…なんで。 …どうして?


「…お、にい、ちゃん――?」


 喉が、からからに乾いていた。ようやく搾り出した声は、震えていた。 瞳からは、涙がこぼれそうになった。
 どうして、とか、どこにいたの、とか。 そんな言葉は、一切出てこなくて。
 ただ、ただ。 久しぶりに見たその姿だけが、しっかりと脳裏に焼き付いていく。


「お、おにい、ちゃ、」
「…貴様、何者だ?」
「え…?」
「何者だ!」


 目の前が、揺れた。その人物は、握りしめていた刀を掴む手に力を込める。

 拒絶の意を、はっきりと示された。どうしたらいいのか、さっぱり分からない。だって、目の前にいるのは、紛れもなく兄で。兄と同じ声で、兄の顔で、否定、なんて。
 ぽろり、と涙がこぼれた。頬を伝う涙は、次から次へと流れ出る。止めることなんて、できなかった。


「…なぜ泣く」


 低く唸るような声に、びくりと肩を揺らした。
 この声を、栞は知っていた。父が亡くなった際、周りの大人からあれこれ言われて、いつもこのような威嚇するような声を出していた。そんなときでも、栞には優しく声をかけてくれたというのに、その声が今は栞に向けられている。


「なぜ、なぜ、貴様は守人に似ているんだ」
「…!」
「貴様は、一体」


 その声が、突然柔らかみを帯びて、そして憐憫を含んだ。―守人と、そう呼んだときに。
 デジモンたちは自分を守人と呼ぶ。だが目の前にいる兄とよく似た人物が知る守人とは似て非なるものらしい。だというのなら、彼は?彼だって自分のよく知る人物―兄とそっくりなのだ。ごちゃごちゃに絡み合う情報の中で、栞はただ一つの可能性を見出した。『守り人』と『狩り人』。兄が子守歌替わりに聞かせてくれた物語に出てくる登場人物。執拗に聞かされ続けたおかげで内容は頭の中に入っている。もし、兄があの物語を聞かせ続けたことに意味があるのなら、それは近い未来、栞が守人としてデジタルワールドにくることを知っていた?兄は、全てを知っていた――?


「あなたは……狩り人……狩人…?」
「……貴様、何を知っている」


 声が、また冷たいものへと変わる。刀の切っ先を向けられ、心臓が捕まれるほどの恐ろしさを感じたが、『狩人』とその名を呼んだとき、それは懐かしさや愛おしさに変化された。

back next

ALICE+