050 きっとそこにはなにもない




 赤子の泣き声が、近くで聞こえた。
 洞窟に入った瞬間、轟々と吹き荒れる突風に煽られて、栞は目を瞑った。そう、栞は確かに洞窟の中にいた。だというのに目を開けた瞬間、洞窟に入った時のじめじめとした感じはなく、爽やかな風が頬を吹き付けていた。


「ここ…」


 そこは、おそらくだが、見覚えのある場所だった。


「はじまりのまち…? ねえ、イヴモ…ン」


 赤子の泣き声が、幾重にも聞こえた。栞は先ほどまで隣にいたイヴモンに答えを求めたが、返事がない。不思議に思い隣を見るが、そこにイヴモンはいなかった。目を何度も瞬かせ、それから右、後ろ、あたり周辺見回せる範囲では見回したが、そこのどこにもイヴモンはいなかった。


「ど、どうして…?」


 先ほどの突風にあおられて、洞窟の外に投げ出されてしまったのだろうか。どうして自分がはじまりのまちにいるのか。何よりも先に、とりあえずイヴモンを探すことにした。


「イヴモーン!」


 最初こそは恥ずかしくてあまり大きな声を出せなかったが、いくら探しても見つからないことに不安を感じて、叫ぶようにイヴモンの名前を呼び続ける。しかし、どれだけ探しても、イヴモンは出てきてくれなかった。


「…どうしよう」


周りには誰もいない。思わず、ハァ、と大きなため息が漏れた。 歩き続けたせいか、足が棒になりそうだ。…疲れた。最近は歩くことに慣れていたのだが、と苦笑してから、背伸びをする。


「そういえば、近くに川あったよね…」


汗も掻いてきたし、冷やせば、痛いのとか楽になるのだろうか。どうしたらいいのか先も見えないし、ひとまず川へ行こう、と少しだけ重たい足を引きずって、はじまりのまちの横を通り過ぎた。少しすると、川辺にたどりついた。熱気に包まれた地面が、心地の良い水温にかき消される。足をちゃぷんとつけると、とても気持ちよかった。
ふう、ともう一度だけため息をつく。 イヴモンはどこへ行ってしまったのだろう。彼に限って、故意的に栞を一人にするということはしないだろう。 やっぱりさっきの風で飛ばされてしまったのかもしれない。それでなくともイヴモンは軽いのだから、 うん、絶対そうだ。 でもどうして自分がここにいるのかも分からないし、どうしたら元の場所に帰れるかもわからない。 ばしゃり、と水を足でけ散らかした。
心を強くするということは理解できても、そのやり方が分からない。おそらく、ここはファイル島、しかもはじまりのまちだと推測する。しかし栞はサーバー大陸にきたわけだから、それでは辻褄が合わなくなる。まさか洞窟とはじまりのまちがつながっているわけではあるまい。第一、彼女は洞窟にただ脚を踏み入れただけなのだ。あの中を歩いてすらいないというのに。
うーん、と頭をひねって、なんとか答えを見出そうとした栞の耳に、ざっという音が聞こえた。イヴモンだろうか…?雑草を踏む音に、栞は後ろを振り返る。

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