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 遠ざかっていく白のマツダRX-7を遠目に見つめる。
 依頼人を送って行った後に用があるなどと言って、居候中の探偵事務所に勝手に連絡を入れられ遠回しに乗車を断られた。待っている間暇だろうからとジュースまで渡す周到振りだ。いつの間に買っておいたのか、相変わらず隙のない男だと半ば感心する。
 プシュッと音を立てて缶ジュースのプルタブを倒しながらオレンジ色の液体を口に含むと、乾いた喉が潤わされた。
 事件は解決した為やっと一息つけるといった所なのに、どうにも腑に落ちないことがある。



 今回の事件のあらましはこうだ。
 東都音楽大学ピアノ科に在籍している篠宮千歳は半年前にストーカー被害に見舞われていた。大学構内で撮られる写真も多く、又、届けられる写真は家のポストではなくいつも譜面の間に挟まれていた為、犯人は大学内にいると暫定されていた。
 その犯人を炙り出したのが、今回の事件でも活躍した私立探偵の安室透であった。
 安室によれば、依頼人の意向によって警察に届けることはせずに、話し合いによってストーカー被害は収められたらしい。
 話し合いというかまあ脅しに近くはあるだろうが、要は被害者に二度と近寄らない、同じ被害を起こさないという条件をのんで警察への通報を取り止めたのだという。
 しかし、その収まった筈のストーカー被害を利用していたのが、今回、ポアロで暢気にお茶をしている間に事件に巻き込まれ恋人の救出に向かったとされていた男性であった。

 半年前、犯人に好意を抱いていた男は、当時卒業を控えながらも何かと犯人の後をつけ回していたらしい。篠宮に犯人が告白した現場にも、そういうわけで人が通らない建物に入っていくのを不審に思い後を着けていた為に目撃していた。
 物音を立ててしまった為にその場は退いたが、性的マイノリティに属する想い人の気持ちを逆手に取ってどうにか弱味を握ってやろうと考えた男は、その後も執拗に探り、ついに彼女が撮っていた写真の一部を手に入れ、カメラに収めて元に戻した。
 直接隠し撮り写真を所持していたわけではない為、犯人の女性が安室に写真を全て手渡した時も安室が回収した写真を燃やし尽くした時にも、気付かれるには至らなかった。
 想い人が犯罪を犯していたことなど、男にとって取るに足りない所か好都合でしかなかったのだろう。
 犯人が男に送った電子メールに添付されていた動画──犯人が爆弾と共に拘束され倒れているよう見せ掛けたもの──その部屋は、男が恋人を強要し、恋人としての行為を強要する際使用していた部屋であると、男の口によって自白された。
 犯人の女性によれば、想いを告げたことで発展した不幸と、自身の不甲斐なさと叶わぬ恋路を踏みにじるかのように彼女の写真によって促される行為に、男に対する明確な殺意が芽生えたのが動機であるそうだ。男の携帯を弄くるのは男と恋人として過ごす内に容易くなった。携帯の中の写真をどうこうしても意味がないと男が高を括っていた分余計にだ。
 そうして女は、『トロイの木馬』と呼ばれるマルウェアを男の携帯に仕込んだ。

 感染性のないものは通常コンピュータウイルスとは呼ばない。無害を装って使用者を誘い込んだ所でようやくプログラムが発動される。
  使用者側からの介入により使用者の気付かぬ所で秘密裏に進められる悪質なプログラムを、その巧妙な手口が類似している点から、ギリシア神話のトロイア戦争にて使用される罠になぞらえて『トロイの木馬』と総称するのだ。今回のケースは使用者が気付かぬ間に他の人間の介入によってプログラムをダウンロードしたパターンではあるが。
 このプログラムによって、犯人は男の携帯を介して男を監視していた。恐らく録音機能か撮影機能を無断で動かしていたのだろう。
 自身が危ぶまれている動画を添付しておけば自分に執心している男が携帯を手離すことがないと理解した上での行動だった。
 犯人の読み通り男は携帯を握り締めたまま大学構内を捜索する。捜索するまでもなく場所など分かりきっていただろうが、偶然居合わせた探偵と子供を連れて真っ先に向かうには少し後ろ暗い場所ではある。

 ふらふらと捜索しながらも目的の場所に到達した時、煙が漏れ出た部屋に躊躇することを忘れ飛び込めば視界の悪い部屋に倒れた恋人。
 後は焦って近寄ってきた男をナイフで刺し、動けなくなった所で部屋を出て、いつぞやの告白現場でピアノを奏でる篠宮を視界に入れながら、男が血を流している部屋の爆弾を起動させるつもりだったのだろう。
 爆発元からそう遠くない場所に設置された爆弾の暴発と共に、自身と、その視界に入っている篠宮の命を奪って……多くの人を巻き込みながら、この事件は終わりを告げる筈だった。
 二人の名探偵がこの場に介していなければ、の話だ。

 動画を視界に入れた安室は、それが以前依頼されたストーカー被害の犯人であると気付いたのだそうだ。
 『トロイの木馬』の可能性は自分も安室も気付いていた。何の皮肉か木馬を模した玩具をわざわざ爆破しておいてくれたのだ。いっそ白々しい程に。
 前科のある恋人の女に、『トロイの木馬』のマルウェア。そしてトロイアの木馬の元々の特性を考えれば、やはり疑わしい者は絞られてくる。
 そうして、心当たりがあるという安室が別行動で心当たりの確認と片方の爆弾の解除を行っている間に、安室からの連絡を待ちながら男と行動を共にする。
 犯人の狙いがあくまで誘き寄せることに徹底していた為、誘いに乗る形で仕掛けることが出来たのだ。
 結果的に、女が第一目的としていたのは男を目の前で裏切り絶望させて殺すことよりも、想い人を目に焼き付けながら全てを無に返すことであった為、計画を頓挫させることに成功したというわけだ。
 もしも女が男を殺すことを第一としていたなら、ナイフを飛ばされた時点で爆弾を起動させていただろう。逆に言えばそれだけ篠宮千歳に固執していたということになるが。

 しかし、おかしな点は幾つかあった。
 一つはわざわざ『トロイの木馬』を模した物を用意し、爆破させたこと。随分と愉快犯に酷似した手口で、想い破れたただの一般女性の犯行とは思えない。
 二つ目は、そのただの一般女性が爆弾を"四つ"も所持していたこと。
 木馬の爆発、誘き寄せた部屋、ピアノの見える部屋、そうして、自分自身にも、何かが上手くいかなかった時の為に爆弾を懐に隠し持っていたのだ。結果的に篠宮と話をしたことで手を掛けることはしなかったが、もしあの場に篠宮が現れなければ間違いなく自身諸とも消し飛ばしていたことだろう。
 一般人が操作型を含めた爆弾を四つも、一体何処で手に入れたというのか。
 三つ目は、『トロイの木馬』の導入だ。
ポアロで電子メールを目にした時点で、阿笠博士に送り主のアドレスを調べてもらった。
 結果、そんなものは『存在しなかった』。
 ダミーに引っ掛かることはあっても、存在そのものが無いというのは有り得ない。直前まで女が送っていた筈のメールなのだ。
 それなのに出てこないということはつまり、誰かが故意的に途絶えさせたということだ。
 当然そんな芸当は一般人では不可能であり、更に言えば事情聴取の結果、犯人は機械に弱い女性であったとの証言が男の方から出てきた。
 だからこそ、疑問を抱いたというのだ。"そのメールは一体誰が送ったものなのか"、と。


 疑問といえば、篠宮千歳にも不審な点は残っていた。
 結局安室との関係が本当にただの依頼人と探偵の関係に終始しているのかは謎のままだった。安室が犯人に詰め寄った時、一瞬組織としての顔を覗かせたように思えたのも気になる要因の一つではある。
 篠宮の待ち人とは一体誰を指すのか。篠宮は、本当に"安室透"の知り合いなのか、はたまた"バーボン"か、"降谷零"か。
 自身との接触を良しとしていない節のある安室に、余計に疑念は募るばかりだ。



 カラン、ゴミ箱に中身の無くなった缶を捨てると、少し怒った様子で迎えに来た幼馴染み、もとい保護者によって思考は中断された。
 いつもの通り猫を被った態度で対応する。
 事件は解決した。分からないことは追々探っていけばいいだろう。





 その日、留置所にて、一人の女の死体が確認された。








『トロイの木馬』…… 正体を偽って潜入し、破壊工作を行う者のたとえ。及び、内通者。





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