◆◇ 十一




 事件解決後、歩み寄ってきた御村鷹也のお礼の言葉を全て流していた、その後のことだ。
 そういえば、という前置きに続いて有耶無耶になっていた婚約者との話の続きを請われた。
 結局花の色は何色だったのか、との問いに"赤色"だと告げると、やっぱりかと肩を落としてしまった。
 しかし、これだけは言っておかなければならないということがある。何たって彼が今想像しているような展開とは随分かけ離れたやり取りが存在したのだから。


「でも、その方はあまりお花には詳しくなくて、わたしが好きだって言っていたからくださっただけで、だから花言葉を知った時はびっくりした顔をしていましたけれど」



『零さん、このお花何です?』

『何って、プレゼント』

『っっえ!!!』

『そんなに驚くか?
この前ちょっとキツく言ってしまったから、ご機嫌取りのつもりなんだけど』

『そんなの、別にもう気にしてないですよ』

『そうか。でも、好きだろう? この花』

『……好きです、けど。花言葉知ってて渡してるんですか?』

『…………え?』



 きょとりとした顔の前に、花の名前と花の色とその横に並べられた花の意味を検索した携帯の画面そのままに差し出すと、大きく目を見開いて数秒固まった後、げんなりした顔で
「犯罪が過ぎる」と呟いていたのを思い出して思わず笑みが零れた。頬くらい染めてくれたっていいのに。


「そんなに素敵な方なんですか?
その婚約者の方」

「あら、何故です?」

「だって、今日一番素敵な笑顔だ」


 俺には一度だってそんな顔を向けてくれないのに、思い出の中のその人に嫉妬してしまいそうですよ、なんて気障ったらしいことを年相応に拗ねた顔で言うものだから、そのアンバランスさに漸く少し解けた笑みを向けるに至った。


「ええまあ。一番異性を意識し出す年頃に、あんなに素敵な男性を知ってしまったら、他の方に目がいかなくなるのは当然ですねって、千冬さんにも言われたくらいです。
とても、素敵な男性ですよ」


 わたしには勿体無いくらい。
 その言葉を告げることはせず、ただじっと瞳を見返すと、それで『だから貴方の気持ちには応えられない』との意は十二分に伝わったようだ。肩を落として苦く笑いながら、それでも
「貴方に相応しい男性ですね」と優しい声色で答えてくれた彼は、きっと将来今よりもっと素敵な男性に成長することだろう。
 去り際に彼が小さく囁いた声は、きちんと届いていた。




「コナンくんと事件に遭遇したんだって?」


 バタン、閉まったドアを確認して職業柄か用心深い彼が話を切り出す。
 巻き込まれたのが殺人事件だったことと、彼の周辺で動き回っている例の少年もその場に居合わせたことから一応報告だけはしておいたのだが、詳細を知りたいと返ってきた為に、それならばと思い切って、
「大した用件ではないけれど会って話したい事がある」との旨を告げ、こうして短い時間ではあるが彼ご自慢の愛車の中での密会が実現した次第である。


「もう二度と懲り懲りです……」

「随分憔悴しているみたいだけど、悪いことばかりじゃなかったんだろう」

「……何の話でしょう」

「年下はどうだった?」


 何処か面白がっている様な彼の様子に自然と眉間の皺が深くなる。
 成る程、あの少年は本当に余計な事しか話さないらしい。しかし本来の目的も忘れて機嫌を損ねているのでは折角取れた時間が意味を為さない。
 なんとか笑顔を拵えて彼に向き直る。


「あんな若い子誑かして浮かれていられる程ハッピーな脳の造りはしていないつもりですよ」

「…………」


 仕返しをしないとは言っていない。


「流石にこの歳で高校生を相手にするのはちょっと犯罪臭がすごいかもしれないなって、初めて思いました」

「……そうか」


 ぐっさりと何かが突き刺さっている様子の彼をちらりと視界に入れて仕返しが成功したことを確認すると、少し躊躇しながらも伝えたかった言葉を口にする。


「でも、捕まるのも捕まってもらうのも御免ですから、……大人になれて良かったです」


 ああ、横から強く視線を感じているのに上手く目を合わせることが出来ない。
 どの口が、と思うだろうか。
 でも、もうあの頃の制服を着た少女は何処にもいない。何処にも、いないのだ。
 誤魔化す様に微笑みながら話題を変えるのに勤しむわたしを見つめる瞳はやっぱりいつもと変わらぬ色を宿していて、少しだけ、気落ちした。


「お会いする時間が取れたら、渡したいものがあったんです」

「ああ、そういえば。急にどうしたんだ」


 無言で紫のアネモネの花束を手渡す。


「これは?」

「プレゼント、です。
この前少し怒らせてしまったから、ご機嫌取りをしようかと思って」


 そんなに前のことを引っ張り出していつまでもへそを曲げているような人でも、そもそも機嫌の良し悪しを表に出すような人でもないが、敢えてそんな言い回しを選んで悪戯に笑うと、此方の意図を全て読んでくれているであろう微笑みでそれらを受け止められた。


「それはまた、随分可愛いことを考えたものだな」

「あら? 今度はお花の意味、ご存知なんですね」

「まあ。以前のことがあってね。
ありがとう、──受け取るよ」


 下がる眉を見つめながら、それでも受け取ってくれたことに安堵する。
 と、細長く褐色の指が束の中から一本の紫を抜き取った。
 そのまま流れるような動作で顔の横に垂れている髪を耳に掛けられて思わずぴくりと肩を揺らしたが、相も変わらず読めない表情はそのままに、髪の隙間に差し込まれた微かな重さが耳の上で揺れたのを見て、漸く満足そうに弧を描くと、唇が動いた。


「よく似合ってる」


 それは、わたしの記憶にある中で──幾らか遠回しであるとしても──唯一彼がわたしの秘密について触れた瞬間であった。その唯一がこんなにも優しいものであることに、どうしようもなく胸が締め付けられる。
 結局いつも、わたしがしようとしたことなんてあっさり悠々と上回ってわたしを捕らえてしまう彼に、何を、どうやって、返せばいいだろう。

 どうやっても崩せそうにない慈しみに満ちた瞳を前に、これだから年上を相手にするのは、なんて。どれだけ年を重ねても変わらない子供染みた天の邪鬼を心の内に溢してしまうくらいは許してほしい。
 とてもじゃないが、年上の自分に淡い想いを抱いているらしい鷹の彼には、言えそうにないことだけれど。








赤いアネモネ 君を愛す
紫のアネモネ 貴方を信じて待つ





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