◆◇ 一
「ホォー、こんな所にこんな古い建物があったんですね」
「あの、沖矢さん?
何でわたしまで一緒になって探索しているのでしょう?」
きょとんとした顔を向けてくる成人男性をこれ程までに可愛くないと思ったのは初めてのことだった。次に来る言葉の応酬を考えれば妥当かもしれないが。
「あれ?その為にあの子を言い包めてきたのでは?」
「言い包めるって人聞きの悪い、沖矢さんが皆に黙って連行する気だったから先に声を掛けておかなくちゃと思っただけです!」
「連行の方が人聞き悪いと思いますけどねえ」
「読んで字の如くでしょう、現状が」
捕えられた左手が全てを物語っているのに、彼にとってそんなことは大して重要ではないらしかった。数時間しか共にしていないが非常にゴーイング・マイウェイな性格の人物であることが窺い知れる。決して良い意味ではなく。
「黙っておける手立てがあるのなら、それこそ黙っておけばよかったのでは?」
「、子供は沈黙を嫌いますから」
「それはまた、子供には殊更お優しいことで」
「そうでしょうか、一人の子供のためにわたしを連れ回す貴方も相当にお優しいと思いますよ?」
「それ程でも」
周囲に人がいれば身震いしそうな会話をしている自覚はある。表面に笑みを貼り付けていれば、余計に。しかし此処には彼とわたししかいないので、会話は常に平行線を辿るばかりだ。訂正しよう、悪化の一途を。
「不思議な人ですね、貴方は。
こんな奥まった所にある目立たない建物、普通は子供にそれだけ気を配っていれば気付きませんよ」
「コナンくんがそちら側に走っていくのを目にしていたので。
それに、元々此処に来たのは歩美ちゃんの無くし物を探す為でしょう?」
「てっきり僕とのデートをもう少し楽しんでいただけているかと思いましたが」
「ええそれはもう、こんな経験二度と味わえないという位に素敵な時間でした」
そう吐き捨ててから、関係者以外云々の文字を流し読みして目前に広がる薄暗い空間に慎重に足を踏み入れる。監視カメラはまあ、後々なんとかすれば良いと思う。子供がはぐれたので探す為だとか、強ち間違ってはいないわけだし。
沈黙の続く廊下を最小限の物音だけで進みながら、そんなことに意識を向けていた。響くのは独特の機械音のみで、それが余計に沈黙を加速させる。
恐らく此処は制御室か何かの建物なのだろう。余りに辺りが静かなのでわたし達の他に生きている人間などいないのではないかと錯覚してしまう程だ。勿論、そんな筈はないのだけれど。
不意に、突然辺りがパッと明るくなり、咄嗟に空いている方の手で横に立つ彼の目を庇い安否を尋ねると、困惑を滲ませた肯定が返ってきた。ああ、余計なことをしてしまったかもしれない。
「お父さん、お母さん?」
「……え?」
頼りなさ気な声の主は、何処にでもいるような普通の女の子だった。
片腕に黄色いリボンが巻かれたくまのぬいぐるみを抱え、黒い髪を二つに縛り、クリクリとした焦げ茶の瞳を此方に向けている少女の指先が壁のスイッチに添えられているのを見るに、先程の明かりは彼女が点けたものらしい。
壁に沿うようにして背伸びをしている背丈は、一見すると歩美ちゃん達と同じかそれよりも幼い少女であることを窺わせた。
不意に、少女の表情がつまらなさそうに翳る。
「なんだ、
またちがうのかあ」
「あの、貴方は?」
「…………」
少女は何も答えない。というより、此方の呼び掛けに応える様子がなかった。もはや興味を失ってしまったのだろう、ちらりとも此方を見ずにくまを抱き込んだまましゃがみ込んでしまっている。
横に立つ彼が一歩、前へ進み出たのがわかった。
「君に聞きたいことがあるのですが」
「…………」
「此処に、君と同じ位の年の、眼鏡を掛けた男の子が来ませんでしたか?」
「…………」
「その前に誰かを見かけたりは?」
「…………」
「そうですか、」
応答のない質問を繰り返す彼はまるで、人形にでも話し掛けているかのようだった。
目の前で繰り広げられる奇妙なやり取りに戸惑いながらも、次に話す言葉が彼にとって『決め手』であろうことは、何となく理解出来た。
「──では、"くまのぬいぐるみ"は?」
「…………!!」
それまでピクリとも反応を示さなかった少女が初めて小さく身動ぎをした。ゆるゆると首を動かして、その小さな頭が再び此方を捉える。
「……しってるの?」
「君の言っている物と我々の思う物が、同じであるならば」
狡い聞き方だ。けれど、少女の興味を煽るにはそれで十分だったらしい。
「きて」立ち上がった少女が手招きしながらヒタヒタと奥へと進む足音を、どちらともなく静かに追い掛ける。
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