◆◇ 六
喉を引っ掻くように笑う低音を耳に入れながら、釈然としない気持ちだった。
「ねえ、何で千歳お姉さんに教えてあげたの?」
「教えてあげてはいないでしょう、あくまでヒントを与えたに過ぎないですからね。
まあ、彼女には十分でしょうが」
「あの人、やっぱり怪しいと思うけど」
「ええ、私もそう思います。
ですが、些か振り回してしまいましたし、あれはお詫びのようなものですよ」
何故それがお詫びになるのかいまいち理解出来なかったが、それを話すつもりはないらしい。 ここまでくれば当人を問い詰めた方が早いというものだ。
どうせ赤井さんもそのつもりでいるのだろうし、これ以上問いただすのは止めておく。
「それにしても、まさか千歳お姉さんに回収されるなんて。
やっぱりあの時かなあ、バレちゃったの」
「彼女、コナンくんの熊耳を随分気に入っていた様子でしたからね」
だからだろうか。少女の話を聞いて考え込んでいる間に地面に転がったままのカチューシャを篠宮が拾ってくれていたらしく、返却された時には少し焦ってしまった。
何せ先程彼女が示したように、カチューシャの右耳には盗聴器が仕込んであったのだから。
本来は赤井さんが灰原の身の安全を確認する目的で用意した物なのだが、これによって俺の命が拾われたと言っても過言ではないので、そこら辺の文句はとりあえず仕舞っておく。
赤井さんにも俺のシール型盗聴器を貼っておいてもらっていたのだが、当然暴かれるわけもなく、俺自体の心証がそこまで損なわれなかったのもその為だろう──最も盗聴を是としている時点でマイナスには傾いているだろうが、それは正直、お互い様と言えた。
俺に仕込んであった方に関しては、流石に触れば違和感を覚えてもおかしくはないだろうと思う。まあそれも、ある程度の知識を持っている人間であれば、の話だが。
「猫の話はここまでにしておきましょうか。
──情報の照合をしよう」
薄く開かれた瞼から僅かに覗く深緑の瞳が、眼鏡の奥で弧を描いている。
探究心には逆らえないのがシャーロキアンの悪い癖だ。きっと今、俺も目の前の男と同じ顔をしている。
「ふーん、まだ猫のままなんだ?
まあ今は良いか。そうだね、まず僕らがいた建物のことだけど、」
遊園地の中でも見えにくい位置にあった、古びた建物。
やはりというか、あそこは管理センターの一つであった。とは言っても出入りしているのは遊園地のスタッフではなく、内部の全ては外部の人間に委託しており、出入り口の監視カメラもそちらで把握していたらしい。
裏付けは取れていないが、例の男女二人組がその外部の会社に手を回していたのではないかというのが警察の見解だった。
が、まずその線は外れだろう。
今回被害に遭った女の子や建物の様子を見るに、女の子が数日以上監禁されていたのは確実であり、又、俺が銃を突き付けられた部屋の中には新旧問わず大小様々なくまのぬいぐるみが積み上げられていた。おまけに不特定多数の男女と面会していたような発言から、他にも共犯者がいると考えるのが妥当だ。恐らくは組織犯罪、ではないだろうか。
だが、その事を告げれば詳しい事情聴取の後に事件に一切関わらせてもらえなくなるのが目に見えていた為、警察には女の子が直接話をするだろうと、情報だけをいただいていた。
既に半分解決済みのつもりなのか、いつも以上に口を滑らしてもらえた他、何かあれば連絡するとの約束も漕ぎ着けたので、一先ずは問題ないだろう。
「それで、被害者とその両親の身元は?」
「うん、まず女の子の両親だけど、どうやら二人とも薬学研究所に所属していたみたいだね。
それも、違法薬物専門の」
「!やはりか」
「それぞれ医師免許と薬剤師免許を持ってる。
数年前に同僚に研究内容を引き継いだ後に姿を眩ませたって。
自宅から『探さないでくれ』という内容の置き手紙が出て来たから、行方不明扱いのまま特に警察に届け出を出したりはしなかったみたいだけど、子供を施設に預けてまで熱心に研究していたのに妙だって、怪しまれてはいたみたい」
「被害者が誘拐されたということを、施設側は?」
「両親が迎えに来るからと長期の外泊手続きを取ってた。
施設側はむしろ仕事が落ち着いたら引き取りに来るという話で預かっていたから、そのつもりなのかと思って特別警戒もしていなかったみたいだよ。面会もせずに外出を許可したから、会いに来たのが本物かどうかなんて分かる筈もないってさ」
「随分無責任だな……まあ、話は分かった。
此方も独自の伝手で調べたが、ここ最近、この近辺でドラッグのガサ入れがあったようだ。
未だ見つかってはいないが、何処かに大量の薬物が隠されているのは確実らしい。
今回の事件に関連していると見てまず間違いないだろうな」
「そう……」
赤井さんが先程口にしていた"My boo"も"みどり"も、マリファナの俗称だ。
日本では大麻取締法で規制されているが、国を跨げばその限りではない。それ故に他の違法薬物よりも比較的横行しがちな犯罪の一つである。
『みどり の いし は はは の はらに』
"みどり"が大麻だとすると"いし"はゲートウェイ・ドラッグ=飛び石理論のことを捩っているのだろうか。Gateway、つまり薬物を隠匿している場所を示す鍵が母の腹に隠されている、と。
しかし、"お母さん"のぬいぐるみは既に女の子の両親の手に渡っているはず。
犯人達が女の子に口を割らせる為にくまのぬいぐるみを与え続けていたということは、本物は未だ犯人の手には渡ってはいない。
じゃあ、本物の"赤いリボンのくまのぬいぐるみ"は今、何処にある?
「あ……そうだ、"お父さん"を見ればっ、」
「そう言うと思って、な」
随分機嫌が良さげな声色に何だか雲行きが怪しくなる気配を感じて恐る恐る見上げてみると、沖矢昴の時にしか見せないような嫌に綺麗な笑顔を浮かべた後、スッと懐から取り出した物を見て──オイオイ、この人の火に油を注ぐ性質だけはいい加減許容し難くなってきたぞ?
「何でまた盗聴器仕掛けてるの、"昴さん"……?」
「言っただろう、詫びのようなものだと」
──全然反省してねえな、この人?!
当然の如く差し出されたそれは、先だってしこたま怒られたばかりの盗聴器の『盗聴する側』の機械だ。つまりは、つまり、
「えーっと、一応聞くけどそれ、相手は千歳お姉さんだったりしない、よね?」
「実はな、ボウヤが聞けずにいた間に彼女に言われたことがあったんだ」
随分回りくどい肯定だとは思うが、しかし彼の言い分も念の為に耳に入れておく必要があると思う。例えそれが溜め息を誘発するだけの結果に終わるとしても、だ。
既に零れてしまいそうなのを押し止めて促すと、さも可笑しいとばかりに喉を震わせた低い声が零した。
「彼女曰く、俺はこと一人の子供のことになると、相当にお優しくなるらしい」
ああ、全くそれは、難儀なことだ。
件の女性がどんな心情でそれを口にしたのかに思いを馳せるが、責める気持ちを失ってしまった辺り、自身も十分共犯と言えるのかもしれない。結局零した溜め息は、ポーズであると共犯者にはとっくにバレているのだろう。
探究心には逆らえないのが『探偵』という生き物だ。
『ゲートウェイ・ドラッグ』……他の薬物の使用を誘導するための入り口となる薬物。
『飛び石理論』……あるドラッグの使用が、次なるより依存性が高いドラッグの使用に繋がるとされる理論。これらが真であるか否かを示すデータは立証されていないと言われている。
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