◆◇ 五
「まだ何か?」
強く振ったぐらいでは解いてくれないのは理解していた。胡散臭い笑みを浮かべるこの男に何かをさせるには、それ相応の言葉を操らなければいけない。
「いやなに、何処に行かれるのかとね。
デートの途中の寄り道にしては随分迷いのない歩調だ」
「あら、先程までの貴方は寄り道には入らないとでも?
レディを蔑ろにして好き勝手行動したんですもの、振られて帰られるまで、織り込み済みなのでしょう?」
強調したのは勿論、皮肉からだ。
目の前の男がわたしをレディとして丁重に扱う気などは、一切持ち合わせていないと分かり切っていた。良くて犬猫扱いではないだろうか。
「これは失敬、貴方がそれ程までに僕との逢瀬を望んでくれていたとは思わず。
お詫びと言ってはなんですが、どうですこれから、デートのやり直しといきませんか?」
「お生憎様ですけれど、先約が入っているものですから。
お耳の大きいお友達でも誘ったら如何です?」
ひょこ、ひょこと二度、空いている方の手が頭の上で閉じ開きを繰り返せば、それで意図は伝わったらしい。
男はベンチに座っている"熊耳のカチューシャ"が良く似合う少年を横目に入れると、漸く掴んでいた手を解放するに至った。やはりというか、少年の顔は強ばっている。何か言われる前に一つ。
「おもちゃかどうかを判断するのは、わたしでも貴方達でもないんですよ」言外に法に触れる様なことはするなという警告を落としておく。
これは一応親切心からなので素直に受け取ってもらえると良いのだけれど。
「お姉さんは、気にならないの?」
好奇心旺盛なプライベイト・アイにはそれも不可能であるらしかった。ベンチを下りた、男の側に立つ少年を見て思う。
「コナンくん、最初の目的を覚えてる?
『歩美ちゃんの探し物を見つけること』だよ。
女の子は保護されて、ぬいぐるみの窃盗を働いた誘拐犯達も捕まって、女の子のご両親の捜索も直に行われるでしょう。
後のことはね、警察の方のお仕事なの。
貴方達が独自に調査を進めるのなら止めはしないけれど、わたしが行く理由は一つもないわ。歩美ちゃんとの約束を棄ててまでね」
交差する視線に、一欠片さえ乗せはしなかった。わたしに許されているのは待つことだけだ。ただ、待つだけ。少年の燃えるような瞳が例えそれを許さなくとも。
今度こそ背を向けて歩き出すと、幼さを掻き消した、挑戦的な声が追い掛けてきた。
「ねえ、それって『警察官の邪魔をしたくない』から?」
ああ、そう来るのか。ドクドクと鳴る鼓動が伝わることのないよう努めた。
肩は上がっていない。手も足も違和感なく動かせている。声には動揺を乗せない。大丈夫。
父の教えは、まだ残っている。
「──いいえ? 厄介なことに関わりたくないの。
危ないことに自ら首を突っ込まない、それが普通の感覚でしょう?」
冷え冷えとした柔く非情な声が、喉を震わせて耳を伝い体内に戻ってくる。未だ鳴りを潜めない鼓動を鎮めるのに一役買ってくれていた。
微笑みは崩れていなかった。振り向いて確かめた顔は顰められていた。本当のことだ。吐いていない嘘を、暴きようがないはず。
いよいよもって進めた足を、止める気もなければ振り向くこともしなかった。
声を掛けた当人すら呼び止める意思はなかったのだと思う。
「『My boo.』みどり、ですよ。
お腹の中に隠されているのは」
振り向かなくともどんな顔をしているのか、手に取る様に分かった。
今日が初対面の男のことを心の底から嫌いだと思った。天然だなどと一瞬でも思えていたのが信じられなかった。
誰もが気付かずにいてくれることをあんなにも懇願していたのに、まさかこれ程までに、恐怖と安堵を同時に植え付けられるなんて。
「"Curiosity killed the cat."」
悔し紛れに吐き捨てた言葉が男の耳に届いたかは分からないけれど、喉の奥で低く笑う声が、微かに聞こえたような気がした。
「"But satisfaction brought him back."」
多過ぎるのも、考えものかもしれない。
多種多様なくまのぬいぐるみの中に埋もれていた、たった一つの『探し物』を受け取って嬉しそうに笑う少女の手を取りながら、そんなことを考えた。
果たして少女との約束は守れていただろうか。
それが少し、不安ではあるけれど。
『A cat has nine lives and a woman has nine cats’ lives. 』
(猫に九生あり、女に九猫の生あり。)
転じて、
『Curiosity killed the cat.』
(好奇心は猫をも殺す。)
『But satisfaction brought him back.』
(しかし満たされれば生き返る。)
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