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 金木犀の香り漂う庭を、白いセーラー服に身を包み、花鋏片手に振り向いた自身の姿は、今思い返してもとても不釣り合いな相貌であったように思う。
 朝日に光る金糸の髪が綺麗で、アイスブルーの瞳は凛とした覚悟を宿していて、パリッとした皺一つないスーツがそれを後押ししていた。
 父の声が、彼の名を呼ぶ。



 「降谷零くん。お前の、婚約者だよ」



 何を言われたのか、理解出来なかった。





 ぱちりと開けた視界が見慣れた天井を映す。
 薄らと漂う雨の匂いに、ああ、夢かとゆっくりと体を起こすと、閉められた障子の向こうに思いを馳せる。
 あの時からもう、六年ほど経っていた。外の風景も当然、同じとは言えないだろう。音も立てず静かに降る雨がそれを物語っていた。
 ふ、と息を漏らすと、陰鬱な気持ちを折り畳むように布団を持ち上げた。


 一歩踏み出す事に緩く水が跳ねる。外出する頃にはすっかり雨が上がっていたので、一応傘を持ってきたものの、出番はなくて済みそうだ。
 けれども何故だか、安堵と共に急ぐ足を緩める気にはならなかった。胸を過ぎるざわめきに、傘を持つ手に力が入る。
 昔から悪い予感は当たる方だった。こういう時はさっさと予定を終わらせてしまうに限る。

 しかしまあ、悪い予感とは思う通りにいかないからこそなのだと、目的の人物が人垣に囲まれ騒いでいる様子を見て痛感する羽目にはなったけれど。


「犯人は、貴方だ!!」

「はあ、まあ君の杜撰な推理がどうであろうとどうでも良いんだが、わたしを巻き込むのはやめてくれないかね?
わたしにはこの後大切な用事があるんだ、はっきり言って君のくだらない推論を聞く時間すら惜しい。人殺しなどと、そんな暇があるなら曲を書いているさ。お遊びなら他でやっていただきたいものだね」

「な、なんだとォ!!?」

「お父さん、落ち着いてっ!」


 何とも物騒な単語が聞こえてきたことに頭を抱えたくなる。よりにもよって渦中に居られては、本日の目的を行うのは難しそうだ。
 というより、もしかしてこれ、声を掛けなくてはいけないのだろうか。
 正直に物を言えば、全く関わり合いになりたくなかった。が、そんなこちらの思いなど汲み取ってくれる筈もなく、これ幸いとばかりに視線を向けては手を振ってくる渦中の人物に、師事する相手を間違えたかもしれないと、結構本気でそう思った。


「やあやあ、待たせてしまってすまないね、篠宮くん、こちらだよ」

「え、」

「ああ?篠宮だぁ?」


 モーゼの奇跡と言えば分かりやすいだろうか。ざわざわと囲っていた野次馬がちょうど一人分通れる幅の道を開けてしまった為に、足を進める以外の選択肢を奪われた。
 モーゼは四面楚歌の状況から前の道を作り出したのであって、道が出来たから四面楚歌に陥ったわけではない、断じて。
 逃避していても始まらないのでローヒールのパンプスをカツカツと打ち鳴らし歩を進めるが、しかし、何やら声を荒らげていた人物とは別に、とても聞き覚えのある声が聞こえたような。


「これは一体何事でしょうか? 先生」

「ああいや、全く迷惑極まりないことに、人が死んだらしい。そこの自称名探偵が言うには、わたしが殺したそうだ」

「まあ、先生、そんな他人事みたいに、っ」


 あっさりと到達してしまった問題の中心にて、けろりとした顔でそんなことを言ってのける先生が示す方向に目を向けた途端、思わず息を呑む。
 そこには今朝、確かに夢にまで見た婚約者が、あの時のように美しい眼(まなこ)を見開いて佇んでいたのだから。





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