ふと、一段と寒く感じて目を覚ました。あたりを見回せばまだ真っ暗で月明かりが障子越しに部屋を照らしている。こんな時代に毛布やヒーターなど簡単に暖を取れるような物はなく益々自分の家や家族を恋しく思ってしまう。
寒い、そう息を吐けば真っ白なものが口から出てきたのでもしかしてと思い軽い羽織りを肩にし、障子を開けるとそこには一面の雪景色。
ああ、この世界にも雪があるのだ。
私の世界と同じものを見つけるとなぜか心が穏やかになる。これはきっと誰でも同じかもしれない。よかった、私は世界と繋がっている。

月明かりに誘われるようにそろりと裸足のまま片足を雪に覆われた地につける。瞬時に伝わってくる冷たさにまた自分が生きているのだと言う実感を噛みしめる。


「きれい…」


キラキラと月に照らされて反射する白銀に目を細める。
こんなに心穏やかになったのはいつぶりだろうか、起きている間は誰かしらに絶対に出会い、絶望を覚える毎日の為にこの一瞬を有り難く思えてしまう。
一歩、また一歩と歩みを進めるとギシリと雪が鳴る。
新雪には自分の足跡しかない、小さな時にしか感じないだろうと思っていたがこの行動が今更楽しく感じてしまう自分に笑いがこぼれた。


「あ、雪…」


暫く新雪と遊んでいたらシンシンと降ってくる雪たち。手を出すとその上に落ちる雪は触れた瞬間溶けてなくなってしまった。


「冬ながら 空より花の 散りくるは 雲のあなたは 春にやあるらむ」


不意に学生の頃に覚えた和歌が溢れる。
懐かしいな。あの頃は楽しかったな。そんなことを思ってしまう。一つため息をつくと真っ白な息が静まり返った世界に漂って、消える。


「清原深養父、かな?」

「、え?」


今、この瞬間だけは私一人だけだったと思っていたのに突然投げかけられた声に変な声が出てしまった。振り向いても誰も居なくて一体どこからかと探すと「上だよ、上」と言われ屋根の上を見るとあの日私を吊り上げて足の付け根をザックリやってくれた包帯忍者の姿が。
あの時の恐怖に体が震えたけれど、あの時のような冷たい視線は感じなかった。


「今の和歌だよ。違った?」

「覚えてないです…和歌しか、覚えてないので…」

「足は寒くないの?私はもう凍えてしまいそうだよ」

「えっ、あ、寒い、ですね…でも、」


そう言って一瞬だけ目を伏せ目の前の銀世界に顔を上げる。


「意外だね。和歌とか興味ないかと思ってたよ。」

「なんとなく、覚えてただけです…詠んだ人の名前も覚えてないくらいの、レベルです」

「教養はあるって事かな」

「いえ、そういう訳では…」


会話をしながら彼は音もなく私の隣にやって来て手を差し出し「寒いでしょ」と自室に促してくれる。雪の冷たさにとうの昔に足の感覚は奪われていたようで上手いこと歩けない。よたよたと歩く私はペンギンみたいで、余程変な歩き方だったのかフッと小さく笑う包帯忍者に複雑な気持ちになった。

縁側に上がるといつの間に用意したのか手ぬぐいで私の足を包み撫で、障子を開けっ放しだった部屋に運んでくれた。

知らない、こんな優しさ。

誰かに最初からこんなに優しくされた事があっただろうか。
心乱さずいられただろうか。

いや、あった。
つい先日山田さんから貰った言葉を思い出す。
心がほろりと涙を流しそうになった。


「……あったかい…」

「…そう、よかったね」

「あったかい、です…」

「君の足が冷た過ぎたんだよ。」

「ちがうんです、ここが、あったかい…」


キュッと胸の合わせを握ると目を細めて再び「よかったね」と撫でる手を止めて目の前に座る包帯忍者。
あ、もしかして。
ジッと互いの目を見合って気付く。つい今までのこの優しさは餌だったのではないかと。これで少しでも油断させて正面から首を突いて来るのではないか、若しくは心臓を一突きか。ああ、いつぶりかの私の穏やかなひとときが奪われるのか。
覚悟を決めて彼を見据えるとため息をつかれ「今日は違うんだよね」と言い放った。


「君の名前は?」

「……」

「私は雑渡昆奈門、君は?」

「…名前、です。」

「名前ちゃんって言うんだね。最近どう?元気?」

「そう…ですね、元気だと思います…」

「名前ちゃんは嘘が下手くそだね、顔が死んでるよ。雪の中死のうとでも思ってたのかな。」

「…無意味な事は考えません」


開け放たれたままの障子の先の庭に目を向けると先ほどより降ってくる量が増える雪。

この時期はむこうではどれほどの時期なのだろうか。むこうも雪が降ってキラキラしているのだろうか。家族は、私がいない世界でも笑って暮らしているのだろうか。


「私は名前ちゃんの事を多くは知らない。」

「…知ってることも、あるんですね。」

「名前と、あとは毎日殺されて目を覚ます度泣いてるって事くらいかな。それ以外は知らないよ。」

「私は…皆さんの事なんて全く知らないんです。」

「そうだろうね。」

「どうして、…どうしてここの人達は私が知っている前提で話してくるのか、それが分からないんです…」

「私はね、本当に君がどうなろうがどうでも良いとは思っていたよ。」


思っていたんだ。そう言って少しだけ間合いを詰める。
彼の手が私の頬に触れ、冷たい。そう言って目が微笑んでいた。


「君を滑稽だとわらった事を許して欲しい。」

「な、んで…」

「あれから君を観察していた、その結果だと思っておくれ。」

「……貴方は忍なのに、そんなので良いんですか…」

「ふふ、私だからだよ。」


どうやら長居したようだと外に目をやれば薄っすらと夜が明け始め朝焼けがとても綺麗に庭を照らしていた。
また今日が始まる。絶望の、一日。

今の今まで静かだった心臓が朝日を見るのを拒んでいるかの様に急速にうるさく鳴り響く。明けないで、そう願っているのを察したのか彼は大丈夫だと言い聞かせ縋る様に伸ばした手はするりと板間に落ちた。


「大丈夫。君なら乗り越えられるよ。」


温もりを持ったその手が頬を撫でて彼は再び音もなく消えた。



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冬ながら 空より花の 散りくるは 雲のあなたは 春にやあるらむ
訳:まだ冬だというのに、空から花が散ってくるのは、雲の向こうは春なのだろうか。
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