「君がここに居るとは思わなかったよ」


天井から降りてきたのはタソガレドキの雑渡さんだった。
うそだ、なんでこんな所にこの人が居るのか。あまりの動揺で言葉が出てこない私を余所に彼は目の前に降り立ち近付いてきた。

咄嗟に悲鳴を上げようとしたけれど手で口を塞がれその行動は阻止されてしまった。


「名前ちゃん、静かにしていてくれるかな」

「ん゛」

「別に危害を加えようと思ってきた訳じゃないよ。」


静かにしていてね。そうひとつウインクをして私からゆっくりと離れ正座をしたのを見て私も同じように座り直した。
一体何のために此処へやってきたのか。危害は加えないと言っていたがきっと『今は』と言うことだろう。勝手に逃げ出して来たんだ、私はもしかして学園に連れ戻されてしまうのだろうか。ここで嫌だと伝えたら危害が及ぶ、と言うことだろう。
雑渡さんに見つかったことにより目の前が真っ暗になる。


「まさか悪名高いドクタケに居たとは流石に驚いたよ。」

「…あなた方に比べれば、心のある方々です。」

「そうかな?君にはどう見えているか分からないがドクタケは君が思ってるほど良い人間の集まりではないよ。」

「構いません。ここの人たちは私を殺さない。それだけで良い人の部類に入ります。」

「名前ちゃんは、殺されなければずっとここに居るつもりかい?」

「今まで誰も助けてくれなかった、言葉を掛けるくらい誰だって出来る。でも、稗田さんは私を助けてくれた。その手を握る事を許してくれた。」


別に手を差し伸べられるのを待っていたわけではなかった。
いつか、いつかきっと学園の人たちと分かり合えると信じていたかったから逃げずにいようとずっと思っていた。勿論、ひどいことをされ続けて嫌気もさしていたのは事実。

心がパッキリと音を立てて壊れた時、目の前に差し出された手の主が稗田さんだった。

もう何をしてもダメだった、それが一瞬脳裏を掠めたが為に取った行動でもあったのだと思う。


「だとしても君がここに居るのは良くないよ。逆に危険だ。」

「危険がなんですか、どうせ死なないんです。ここの人たちの為なら痛く苦しい事だって我慢する。」

「名前ちゃん目を覚ますんだ。ドクタケは君を利用しようと「だから何なのッ!!」


ダンッと床を叩き息を荒げる私を驚いた顔で此方を見ている。無理もない、こんな私を見るのは初めてなのだから。
頭の中は冷静にそんなことを思っていたが、いかんせん口が言う事を聞かない。
伊作くんと喧嘩したあの日から今まで溜めて、絶対に外には出さないように必死に声を押し殺して生きて来たんだ。
そんな私の口からは彼に言ったって仕方の無い事ばかりしか出てこない。もうあの時以来他の人にはこんな私を見せたくなかった。

なのに、何でこの人はズカズカと土足で私の中に入ってきてかき乱して来るのか。

もう嫌だった。
それが私の心の底からの本音だった。
人を疑い続けるには長く強い心がいると誰かが言っていた気がする。そんな心私にあるはずも無く呆気なく砕け散る。それをまた強制的に形成され、また粉々に砕かれる。そんな日々を送っていたら嫌になるのは当たり前。


「誰を信じて誰を疑っていいか分からない!それを考える事すら苦痛でしかないッ!これが最後、これが最後なの。此処が私にとって学園と変わらないなら一人山奥でひっそりと暮らして生きたい…」


死ねないなら、せめてそれくらいは許してほしい。

うずくまりボタボタと床に涙を落としていく。この人はきっとまた私を滑稽だと笑うんだ。

嗤うくらいなら、もう関わらないでほしい。
声にならない悲鳴が心を壊し嗚咽の止まらない惨めな私を形成される。


「名前ちゃん」


丸くなる私の背中をゆっくりと優しく撫でる彼の手に体がビクリと震える。咄嗟に顔を上げると目眩がクラリと襲う。


「うぅ…」

「大丈夫かい?」

「あ、たま…痛い、」

「名前ちゃん?しっかりするんだ。名前ちゃん!」

「ゲホッ、ぁ…ぐ…ッ、」


視界がグルリと回り胃の中がグラグラと揺れて嘔吐しそうになるのを手でなんとか抑える。
雑渡さんが何か言っている気がするが上手く聞き取れず、息をするので精一杯な私はドタリと床に落ちる。背中を撫でられる感覚に雑渡さんの優しさを感じ、ゆっくりと視線を彼に向けると眉間にシワを寄せて難しい顔をしていた。

ふ、と。視界の端に何かが見えた。

見覚えのあるソレに一瞬息が止まり汗がブワリと溢れ、頭痛と心拍数がドンと増えた。


「なん、で…なんでッ!何で此処にいるの…!!やだッやだやだヤダヤダヤダッッ…!!!やめてよ痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!」

「ちょ、どうしたんだい!気をしっかり持つんだ!」

「やだあああああああ!!!!もうやめてよおおおおああああああ!!!!!」


部屋の隅から学園にいた時に嫌がらせをして来た忍たまたちがズルリと出て来る。その顔はにやりと笑い、それを見て心が弾けてしまったのだ。

思い出した痛みは止まらない。
辛く苦しく誰も助けてくれない私だけが一人真っ暗闇に落ちていくだけだ。

殺してくれ、頼むから。
何で死ねない、死ねる奴らが恨めしい。

ガリガリと自分の腕に爪を立てて血が滲むのなんて彼らにやられたことに比べれば痛くもない。


「いやだ、いやだ…ッ!!」


本当は、本当は。


「死にだぐないのに…!!!!」


目を見開いた雑渡さんが私を見た。
彼の目に映る私の酷い顔と言ったらない。

困ったように笑った雑渡さんの顔を見ながら私は意識を失った。