※数年後後日談

 幼馴染はすこぶる真摯で前向きだ。
 例えばプレゼントしてくれたアクセサリーを失くしても「そんなのまた買ってやる」の一言で済ませてしまうし、友人と喧嘩して落ち込んでいても「お互い真剣に向き合ってる証拠じゃん。すげぇいいダチじゃね」と私の頭を大きな手で撫で付ける。道端で盛大に転んでも、学校で先生にこっ酷く叱られても、何をどう辱めを受けて感情が裏側を向いたって、「でも」と全てを力強く表にひっくり返して「これからだろ」と白い歯を見せて眩く笑うのだ。

 芯が強くて真っ直ぐで淀みなくて、人を信じる心がある。

 だからこそ、信じて、信じて、真摯に向き合った結果、指の隙間からすり抜けて落ちた一等大事なモノは心に色濃く染みを作り、こびり付いて色褪せない。たった一年半で完成された美しい憧憬の念は未だ尚、幼馴染の胸の内に燻り続けている。デート中に食べ物を半分こする時、バイクの後ろに乗せられて暗闇の中点々と光る海沿いを走る時、いつだって幼馴染が想う先には、たった一人の彼が居る。





 あら千冬くん、いらっしゃい。リビングから聞こえる母の声が来客を知らせて、ちらりと手に持つ雑誌から部屋の扉へ目を向けた。部屋着でだらしの無い格好をしていたけど、今更取り繕う様な仲でもない。それに連絡のひとつも寄越さず突然やってくるのだから責める権利もないだろう。

「千冬、重い」
「…………」
「重いってば」
「………わり、」
「そう思ってんならどいてよ」

 スプリングが軋んで覆い被さった重みにウッと声を漏らした。ベッドに仰向けで寝転がり雑誌を読んでいた私の上に、溶けるように雪崩れてきた身体を受け止めることもせず放置する。鎖骨あたりに触れる吐息は穏やかで、でも舌を滑り落ちた声は覇気がなく頼りない。

「どしたの」
「……うん」
「構ってモードのペケのマネ?」
「……うん」
「適当な返事、すごくよくない」

 呆れ果ててのし掛かる塊に手を伸ばす。どいて、と念を込めてパーカーのフードを掴みグイグイ引っ張るも固く微動だにしなかった。首絞まってるでしょ。それどころかその手を掴まれて金髪の丸い頭に誘導されたから面食らう。唖然としていると早く撫でろと言わんばかりに手のひらに髪を擦り付けられて、え、本当にペケのマネしてんの?

「よしよし」
「ばか、口に出して言うなよ」
「大変お疲れですね、松野クン」

 テストで赤点でも取りましたか、優しい優しい幼馴染が労ってあげましょう、そうやって戯けて見せたがくたりとしょげた金髪から返事はない。試しに左耳にぶら下がった小さなフープピアスを指先で弄ってみるも、やはり何の意味もない。いつもなら擽ったいからやめろって身を捩って怒るのに。

「千冬」
「キスしたい」
「却下、隣の部屋にお母さんいるもん」
「いいだろ、付き合ってるの知ってるし」
「部屋入ってきたらどうする?」
「入ってくるわけねぇじゃん」

 暗黙の了解、みたいなものがある。ただこの場合、娘が部屋で彼氏と二人きりなら空気を読んで、みたいなありきたりな事ではない。何の事情も知らない私の親が気を遣ってしまう程、千冬は年に一度だけ痛々しい顔をする。とても「お茶菓子どうぞ」なんてテンションで部屋に入れたもんじゃない。それを千冬自身も理解している。枕元に放置した携帯、光るディスプレイに浮かび上がった数字を消し去る様に電源をオフにした。

「トリックオアトリート」
「………」
「ペケをくれなきゃ悪戯するよ」
「そこはお菓子だろ」
「ペケが欲しい」
「オレの家族だからむり」
「私ももう家族みたいなもんじゃん。人生ほとんど一緒にいるでしょ」
「オマエはオレの彼女」
「だーい好きな?」
「うん」

 意地の悪い反撃も何も無く素直にコクリと頷く千冬に、だめだこりゃ、と心の中で独り言ちる。ふっと鼻腔を擽った香りに小さく息を吐いた。ねぇ場地くん、いい加減に千冬の心を離してやってよ。明るく前向きな千冬なのに、唯一この日だけはこんなことになるんだよ。
 眠気を誘う暖かな陽気、舞い乱れる桃色、梅雨の匂い、蝉の声、金木犀の香り、黄色い絨毯、肌を刺す様な木枯らし、白い息。巡る季節を五感で感じ取る瞬間なんてどこかしこにも溢れているのに。私は毎年、千冬の服に染み付いた線香の香りで季節の移ろいを知る。また一年経ったのか、また一年、また一年。まったく、情緒も何もない。

「場地くん、千冬が来てくれて喜んでた?」
「分かんねぇ」
「喜んでるよ」
「そうかな」
「うん、だって親友でしょ」

 目を閉じれば浮かぶのは、一等嫌いな不良時代の幼馴染。泥まみれで擦り切れた特攻服を身に纏って、顔を傷だらけにして、でも怖いものなんてなにもないって、そう強く誇らしげにはにかむ姿。千冬があの黒い服に袖を通さなくなって何年経ったのだろう。
 私達はもう高校三年生になっていた。

「ねぇ、明日土曜だし遊びに行こうよ」
「受験生失格じゃん」
「じゃあカフェで勉強会」
「……嫌」
「あ、そうだ、紅葉見たい!後ろ乗せてどこか連れてって」

 強請るようにつんつんと指先で背中を突くと、肩口から「風邪引かねぇようにちゃんと着込んどけよ」と顔に似合わず低めの心地良い声がする。
 千冬が運転するバイクの後ろに乗せてもらうのは好きだ。凄まじい速さで巡る景色の中、後ろから腕を回して千冬のアウターのポケットに両手を突っ込みギュッと腰にしがみつく。年々逞しくなる背中を飽きることなく独り占めして、幸福感に浸る。運転しずらいからやめろ、とか、後ろにちゃんと掴むとこあるだろ、とか、オマエ乗せるためにわざわざ付けてもらったのに、とか。散々文句を言いながら、でも満更でもなさそうに頬を緩ませる千冬が好き。

「そういえば、どこの学部受けるか決めたの?」
「経営学部にする」
「ふぅん」
「オマエは?どこ受けんの」
「文学部かな」
「はは、似合わねぇ」

 あ、笑った。

「オマエは社会学部とかのがいいんじゃね」
「じゃあ、そうしよっかな」
「人に言われて変えるとかブレブレすぎ」
「だって千冬がそう言うから」

 あ、こっち見た。
 長いブロンドの隙間から透き通った翠色の瞳が私を覗く。泣き腫らした瞼と頬に乾いて残る涙の跡を目に映して、そりゃ、そんな顔してウチに来たなら、私の親はずかずかと部屋に入ってなんてこれやしない、と呆れた笑みを溢した。

「今年も、泣き虫の日だ」

 何も言い返せずにキュッと口を引き結んで悔しそうな顔をする千冬を正面から捕らえて、ソッと瞼を下ろす。海溝の底へ深く沈んだ気持ちを誤魔化すための、慰めのキスなんかじゃなくて、ちゃんと目の前にいる私を想ってしてくれるキスが好きだ。自分が慰めてもらってる立場のくせに、ちっぽけなプライドを捨てきれなくて意地張って、まるで私を労わる様に髪を撫で付けてくる。そんなどこまでも格好付けの千冬が好き。

「親がいるから無理って言ったのオマエじゃん」
「千冬のそんな顔見たら、怖くて入ってなんかこれないよ。別れ話でもしてると思ってんじゃない」
「は、別れ話とか冗談でも言うなよ」
「ごめんて」
「マジで無理、許さねぇ」
「キスしてあげるから許して」

 暗闇の中で扉を隔てた向こう側からトントンと包丁がまな板を叩く音がする。窓の外でジージーと鳴く虫の声がする。泣きそうになる程優しくて暖かい熱が唇に触れる。薄目を開けて盗み見ると、伏せた睫毛に絡んだ水分がキラキラと輝いている。

「……ん、また、」

 泣いてんの、続く言葉はうるさいと言わんばかりに千冬の形の良い唇に飲み込まれていく。またこっそり薄目を開けたら千冬と目が合って「目閉じろよ」って叱られたけど、反抗する様に見つめ返してやった。千冬には悪いけど、私は案外今日という日が嫌いじゃない。頑固で片意地貼って生きてる幼馴染の儚く脆い涙を見れるのは、唯一私だけの特権だから。
 やっぱり千冬はいつまでたっても場地くんばっかりなんだよ。大学の学部選びだって、そこには必ず彼を想うなにかがあるに決まってる。だからこの涙を独り占めすることぐらいは許して欲しい。来年も、再来年も、そのまた先も、この日は毎年私の所へ帰ってきて、情けなく泣けば良い。

「来年は私も、場地くんに会いに行こうかな」
「え?」
「ちゃんと紹介してよ」
「場地さん、オマエのこと知ってたぜ」
「え?なんで?学校同じだったけど、喋ったことなんてなかったのに」
「オレがずっとオマエのこと好きだって惚気てたから」
「ああ…そう」

 顔がほんのり熱くなって、視線を泳がせる。千冬のフード付きパーカーの紐が揺れるのを意味もなく見つめて口を噤んだ。よくそんな恥ずかしいことを本人に平然と言えるもんだ。

「はは、照れてる」
「見ないでよ」
「なぁ、もっかいキスしていい?」

 前触れもなく無遠慮に人の家に上がりこんでくるくせに、なんでそんなところばかり律儀なんだ。そんなの今更、いくらでも、勝手にすればいい。抱き締めて体温を分け合って、触れるだけのキスを数回繰り返して、それから私の親が作った夜ご飯を一緒に食べて、散々に満足して帰っていけばいい。そしたら千冬はまた明日から、明るく前向きないつもの姿に戻ることが出来るから。

 10月31日、二人の誕生日でも記念日でもなんでもない、それでも何より私と幼馴染にとって特別な日。今までもそしてきっとこれからも、ずっとずっと、千冬が泣き虫の日。




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