「松野くん!動物園!!一緒に行きませんか!?」
「え?オレ?」
つり目がちなグリーンの瞳がぱちぱちと瞬く。松野くんは素っ頓狂な声を出して、肩に掛けたスクールバッグをズルっと落としかけた。必死にコクコク頷く。私はやるぞ、やってやるぞ、ヒナ。
ゆるふわヤンキー松野くんとの出会いについて
遡ること3日前。通い詰めたファーストフード店のポテトを摘んで、私は前のめりになっていた。目の前でハンバーガーを齧る可愛い可愛い親友に「聞いて欲しい」と言葉を投げかけ、鼻息を荒くする。もう我慢の限界だ。限界だった。誰か私の話を聞いて欲しい。
「ヒナ、私は同クラに推しがいる」
「え?推し?」
「そう出会いは高校入学初日のホームルームの事だった」
「突然の語り口調…」
数少ない同中の友達とクラスが離れてしまって私はこの上なく萎えていた。萎えて萎えて、萎えまくっていた。友達を一から作るのは労力がいる、せめて入学してから暫くは知り合いと集っていたい。担任に配られた自己紹介カードを記入しながら、項垂れていた。趣味…特技…そんな大それた物はない。年に一回、バレンタインに友チョコを作る程度なのに、趣味にお菓子作りとかふざけた事を書いたと思う。全員書き終わったか、と教室を見渡した担任は続けて、近くの人と交換しろなんて適当な事を言った。名も知らないクラスメイトとの重要なファーストコンタクト。
「あ…」
真っ先に目が合ったのは隣の席の金髪だった。ピアス付けてる…不良だ。ファーストコンタクトが不良だ。怖くて目を逸らしたかったけど、周りはもう前や後ろの席の人とカードの交換を始めていて、私達は既に取り残されていた。だから渋々、カードを交換した。
「ねぇ、ヒナ…なんて…なんて書いてあったと思う…?」
「面白いことでも書いてたの?」
こてん、と首を傾げたヒナに私はあの日を思い出して震えた声で話を続ける。名前は思いの外綺麗な字で"松野千冬"と綴られていた。不良のような見た目をしている割に、美しくバランスが整った文字を見て、そこで少し緊張が解れたと思う。
「千夏…オレと反対みてぇな名前」
「………」
「すげ、お菓子作れんの?どんな?」
不良もとい松野くんは、これまた太々しい態度とは裏腹にとてもフレンドリーだった。でもその時、松野くんの声は私の耳に届いていなかった。私は渡されたカードに目が釘付けになって、思考が宇宙へと解き放たれていたからだ。
『特技:動物と喋れる(気がする)』
嘘だ。嘘だろ。隣の席の松野くんを凝視して、もう一度カードに視線を落とした。動物と喋れる、気がする!?その見た目で!?こんなメルヘンなことを!?好きなもの:ペケJと戯れる…ペケJってなんだ。固まったまま動かない私を松野くんは不思議そうに眺めていた。ウケ、狙いかもしれない。そうだ、入学初日だから、こういうのは掴みが大切だ。真面目に書くよりちょっとふざけた方が気を引けるし、面白い人だって人気者になれるチャンス。ネタだ、これはネタ。
「ペケJって…なに?」
「ウチで飼ってる猫だけど」
猫、猫だった。ということは、もしかして動物と喋れるってのは、ウケ狙いじゃなく正気で?いやでも、格好付けたい盛りで思春期の16歳男子が動物と喋れる(気がする)なんて、そんなメルヘンチックな事を、
「コイツ」
「…可愛いね」
「だろ?コイツいつもオレと目が合ったら、飯くれってそればっかりでさ」
「わ、分かるの?何言ってるか」
「分かる気がする」
ズギャーン、と脳天に雷が落ちたような気がした。携帯を開いて私に飼い猫の写メを見せた松野くんは、先程までの愛想の無い表情を何処かへやって、楽しそうにへらりと笑った。正気、だった。ゆるふわヤンキー…新たな世界の扉が開かれたような気がした。その瞬間から私は既に片足、いや両足を沼に突っ込んでいたと思う。そしてそれ以降も、不良男子松野くんのギャップ攻撃は止まらなかった。
「なぁ、シャー芯持ってねぇ?なくなったから一本ちょーだい」
授業中、コソコソと声を潜めて話しかけてきた松野くんに、震えた手でシャー芯を3本差し出した。こちらにスッと伸ばされた手を見て、私の頭の中は「も、萌え袖…萌え袖だ…」それで一杯一杯だった。
「じゃあ、また明日な」
全ての授業を終えた後、スクールバッグを引っ掴んで片手を上げた松野くんに、震えた手で手を振った。スクールバッグから覗く冊子の背表紙を見て、私の頭の中は「しょ、少女漫画…少女漫画…!」それで一杯一杯だった。
「恐ろしい、恐ろしいよ…あんなギャップの塊みたいな人間が存在していい訳!?」
「千夏の勢いの方が怖いよ」
「なんでそんなにヒナは冷静なの?今の話を聞いてヤベェやつだって思わないの!?」
「うーん、女の子っぽい男の子もいるでしょ」
「いや性格は全然女の子っぽくないんだって!」
そう、決して女々しい訳じゃない。重い荷物を運んでいたら黙って横から掻っ攫っていくようなスマートさとか、移動教室の時に階段で転びそうになったら「ちゃんと足元見ろよ」って身体を支えて助けてくれる男らしさとか、むしろめちゃくちゃ漢って感じだ。
もしかして、ギャップを作って女子にモテるための作戦か?いや、そんな筈はない。だって、飼い猫の言葉が分かる気がする、そう言った時の松野くんは曇なきまなこだった。瞳が澄み渡りすぎて眩しい程だった。余りの眩しさに失明してしまうかと思ったぐらいだ。
「好きなの?その人のこと」
「一生推したい、よね…」
「そう言う意味じゃないんだけどなぁ」
学校だけじゃ物足りない、もうすぐ席替えがあるから、松野くんを近くで拝めなくなってしまう、テーブルに項垂れながらポテトを齧る私を見て、ヒナはバーガーの包み紙をクシャリと丸めて「じゃあさ」と前のめりになった。
「休みの日に遊びに誘ってみたら?」
「え」
「動物園とか、喜ぶんじゃない」
「ヒナ…」
天才か?と言うことで、冒頭に戻る。
私はいそいそと仕入れた動物園のチケット2枚を今、松野くんに向かって掲げている。授業を終えて帰ろうと席を立った松野くんを追いかけて、物凄い勢いで捲し立てた。必死の形相だったと思う。松野くんはズリ落ちたスクールバッグを肩に掛け直して、「いいけど」と呆気なく肯定の言葉を口にした。動物園は、松野くんにとって夢の国より夢の国だろう。断る訳がない、そんな何の根拠もない自信があった。
そしてついに時は来たり。ぽかぽかと暖かい陽気が差し込み始めた日曜日の午前10時。私は親のタンスからこっそり拝借したカメラを首にぶら下げ、松野くんとの待ち合わせ場所に赴いた。
「おはよう!」
「おう、朝から元気だな」
「松野くん、今日はいっぱい楽しんでね」
「?お前が行きたかったんじゃねぇの?動物園」
いえ、私は動物と喋れる気がしないので!!喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、松野くんの手を引きぐんぐんと動物園のエントランスに向かう。松野くん、白いシャツの上にキャメルのニットベスト、ダボっとオーバーサイズでやっぱり指の先はちょんまりとしか見えてない。私服も、完璧です。振り返り静かにグッと親指を立てると、松野くんはプッと小さく吹き出した。
「オマエ、なんか良く分かんねぇけどおもしれぇわ」
「そう?あ、ちゃんとパンフレット貰ってこなきゃ」
「何か見たい動物いんの?」
「うーん、レッサーパンダとか?」
「可愛いよな、死ぬまでに一回尻尾触ってみてぇ」
もふもふしてて絶対気持ち良い、と松野くんの口から飛び出た"もふもふ"に私はつい口元が緩んでしまう。もふもふ、だって。もうダメだ、松野くんが何を言っても胸を撃ち抜かれてしまう。グッと掴んだ手に力が籠ってしまって「いてて」と小さく松野くんの声がした。
「松野くん、レッツゴー!」
「小学生の遠足かよ」
ふっと柔らかな笑みを浮かべる松野くんに釣られて、私もふにゃりと目尻を垂れる。休みの日に松野くんを独り占め、私の幸せ者め。提案してくれたヒナ様様だ。
鳥類のゾーンを抜けて、トラとゴリラを見て、ホッキョクグマ、サル、ゾウと丁寧に全ての動物達と挨拶を交わしていく。新しい動物と出会う度に「ねぇ、松野くん、この子はなんて言ってるの」なんて聞きまくってたら、パンダを見つけた辺りで両頬をムニっと摘まれた。
「入学初日のアレ、いじってんな」
松野くんは薄ら目尻を赤くしてツンと口を尖らせる。いじってないれす、頬を抓られたままもごもごとそう言った。揶揄ってるつもりはない、私は松野くんが動物と戯れる姿を見てお腹いっぱいになりたいだけなんだ。「まぁいいけど」と私の頬を解放して、パンダの元へ足を踏み出した松野くんの後を追う。
「めちゃくちゃ笹食ってる」
「めちゃくちゃ食べてるね」
分厚いガラスの向こう側で、ごろごろと巨体を転がしながら笹を貪るパンダを見つめる松野くん。の横顔を見つめる私。松野くんの何を考えてるのか分からないような真顔が好きだ。そう言えばこの間、授業中に爆睡していた松野くんはムニャムニャと寝言を言っていた。「ペヤング…」って。ペヤング…?訳が分からなさ過ぎて、授業が終わるまでずっと私は脳内でペヤングを反芻していた。ゲシュタルト崩壊に陥った。松野くんは、本当に何を考えているのか分からない。不思議ちゃんなのだ。今はパンダを見つめて何考えてるのかな、パンダの気持ちかな、もう昼前だしオレも腹減ったとか考えてるのかな。またペヤングのことかな。
「ねぇ、写真撮っていい?」
「おー、オレにも後で送っといて」
首からぶら下げていたカメラを掲げてカシャとシャッターを切ると、松野くんが振り返る。レンズ越しに目が合って、数秒静止した。
「いや……パンダじゃなくてオレかよ」
「パンダも撮るよ」
松野くんの写真をゲットしてしまった。にやける口元を必死に引き結んで、レンズの焦点をパンダに定める。カシャ、カシャ、と2回音が鳴ったところで、松野くんにカメラを攫われてしまった。まさか、
「ピン写とか恥ずいんだけど」
「え、うそ、やだやだ、消さないで」
「どうせなら二人で撮ろうぜ」
「え」
「ほら」
そ、そんな…いきなり推しとチェキ会みたいな展開に…!?肩に手を回されて、フレームに収まるよう顔を近くに寄せられる。唖然としてる間にシャッター音がした。肩に回された手がスッと離れていく。
「ふっ、はは!オマエ、すげぇ顔してる!」
松野くんが今日一愉快に笑うから、私は恐る恐るカメラに映し出された写真を覗き込む。状況が飲み込めずにぽかんと口を半開きにしたまま、間抜け面を晒す自分が映っていた。
「なぁ、その写真後で送って」
「…ねぇ、もう一回撮り直そうよ」
「やだ、オレそれがいい」
「ちょっと不細工すぎない…?」
「大丈夫、可愛いって」
さっき凄い顔って笑った癖に。もう一度改めて写真を見る。松野くんはちゃっかりキメ顔してるくせに、やっぱり私は不意を突かれたせいでいつもに増して不細工だ。せっかくツーショットのチャンスを得たのに…ムッとしてカメラを握りしめていると、また私の手からカメラが攫われていく。
「拗ねんなよ、もっかい撮ってやるから」
また肩に手を回される。揶揄われたのが悔しかったから、寄せられた顔にほっぺたをくっ付けてやった。くっ付けてやった、なんていいながら、松野くんのほっぺたがもちもちで悶え死んだのは私の方だった。それからは松野くんのほっぺたが雪見だいふくにしか見えなくなった。
それからちゃんと、もふもふのレッサーパンダをしっかり拝んで、カバ、サイ、キリン、と隅々まで園内を回った。松野くんが最後にもう一回パンダが見たいと言ったから、パンダだけ2回見た。動物園を後にしてファミレスで一緒に遅めのお昼ご飯を食べて、日が落ち始めた頃に「また明日学校で」と駅で別れを告げる。
最高の、最高の一日だった。思い出だけじゃ無くて、コレクションもどっさり。動物に夢中になってる松野くんをこっそり隠し撮りしまくったのは秘密だ。カメラのSDカードから携帯に写真を全部移行したから、私の携帯の中には松野くん専用フォルダが爆誕した。
♢
「半年分ぐらいの供給を得た。これで席替えももう怖くない。ヒナのおかげだよ」
「それ、動物園で買ったの?」
ヒナが私の携帯にぶら下がるペンギンのマスコットを指差す。ゆらゆらと揺れるそれを目にして顔が綻んだ。
今日はファーストフード店じゃなくて、ちょっと背伸びをしてコーヒーショップ。チョコチップとかクリームとか呪文のような注文が苦手であまり来ることはないけれど、ヒナに感謝を込めて奢りの一杯。
「買ってくれた!」
「その人が?」
「うん、私に顔が似てて面白いからって」
帰りにお土産ショップに寄った時、このペンギンを見つけた松野くんは、授業中にボーッとしてるオマエの顔そっくり、そう言って笑ってた。半目で無気力な顔をしたペンギン。大分オブラートに包んだな。私は授業中、いつも眠気に抗えず白目を剥いてる。こんな可愛いもんじゃない。それより、そうだ、もう一つヒナにどうしても自慢したいことがあったんだった。
「ヒナ、聞いて驚け…推しとツーショットを撮ることに成功した…!!!」
「え!?写真!?見たい見たい」
ゆるふわヤンキーなんて言われてヒナは一体どんな人を想像しているのだろう。携帯の画面を明るくして、それをバッと前に突き出した。松野くんのほっぺたが雪見だいふくだと衝撃を受けたリベンジのツーショットだ。どうだ!と鼻高々に言ってみるも、携帯画面を凝視したヒナから返事はない。
「ヒナ?」
「…付き合ってるの?」
「いや、付き合ってないけど」
「こんなにくっついてるのに?」
「もちもちだったよ」
「しかも待ち受けにしてるし」
「そりゃ…ヒナだって好きな有名人とかと写真撮れたら、嬉しくてしばらくは待ち受けにしちゃうでしょ?」
私のもちもちを華麗にスルーしたヒナは、顎に手を添えて「うぅん」と唸り出す。いつしかの探偵ごっこにハマっていたヒナのようだ。
「ていうか…松野くんじゃん」
「え、ヒナ知ってるの?」
「知ってるも何も、武道くんの一番仲良いお友達だし…」
武道くん…はヒナの彼氏だ。千夏、武道くんと同じ高校なのに知らなかったの?と呆れたように言われたけど、知らない。知らなかった。まず、ヒナの彼氏と同じ高校だってことすら忘れていた。なんだ、ヒナは松野くんのこと知ってたのか。
「本当に好きじゃないの?」
「好きだよ、好き好き、毎日あの萌え袖を拝みたい」
「ハァ、千夏さん、過度な思わせぶりはダメだと思います」
「心配しなくても、松野くんだって何とも思ってないよ」
ラテが入ったカップの蓋を外して、プラスチックのロングスプーンで生クリームを掬ったヒナは「ヒナ、しーらない」と可愛らしくそっぽを向いた。こんなに可愛いヒナにベタ惚れされている花垣武道が羨ましい。私が男だったら、絶対にヒナと付き合いたい。と思考を斜め上にして、ヒナの忠告を無視したことを後々私は死ぬほど後悔することとなる。
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