序 53


「ここか」

粉雪が降りしきる中。
祇園の知り合いに尋ねて周り、やがて貴舟がたどり着いたのはある料亭だった。荒れた息を整え人を呼ぶために入口に手をかけたところで、不意に剣呑な雰囲気を感じ取る。
貴舟が手を引っ込めるや否や、内側から物凄い勢いで引き戸が開け放たれた。

「どけっ!!」

とっさに避けた貴舟の目の前に般若顏の男が、怒号とともにわっとまろび出すように戸外へ飛び出てくる。
男の手には刀が握られており、逆の手で押さえた右肩からはしとどに血が流れ出していた。
尋常ではない男の様子に貴舟は素早く腰元に手をやり、鯉口を切る。

「逃がすかってんだよ!!」

間髪いれず、男の後ろに人影が踊りかかった。

「ぐえっ」
「おら、深妙にお縄につけ!」

跳躍し、男の背に蹴りを入れて踏みつぶしたのは、

「平助!?」
「貴舟!?」

今朝別れたばかりの顔だった。

「お前何でここにいるんだ!?」
「それはこっちのセリフ……」

逃げようともがく浪士を拘束する藤堂の姿に、貴舟は出しかけた言葉をひっこめた。
良玄が情報提供した過激派の襲撃場所ってここか!
……なんて間が悪いんだ。内心頭を抱えた。
店の奥から鳴り響く剣戟の音と怒号に、今すぐ回れ右をしようかと貴舟はとっさに考える。面倒ごとはもうこりごりだ。だが、確かめるべきことがまだ確かめられていない。
帰るべきか。留まるべきか。
その一瞬の迷いが貴舟の今後を決めた。

「藤堂組長、中の隊が押されはじめてます!ここは自分たちが引き受けます。組長は中へ!」
「分かった!ちょうどいい。貴舟、乗りかかった船だと思って、お前も一緒に来てくれ!」

有無を言わさずがっちりと腕を掴まれる。考えに集中していたため反応が遅れた。
気が付けば、とうてい逃げられない雰囲気になっていた。

「えっ、あっ、ちょっと!」
「行くぞ!」

まだ行くとはいってない!!内心悲鳴を上げる。だがすでに戦いに集中している藤堂には、その心の声は届いていない様子だった。
もうこうなれば従うしかない。
色々諦めた貴舟は藤堂に腕を引かれ、半ば引きずられるようにして店の中へ突撃することになった。



「ぃいやぁああああー!!!」

気合とともに突き出された刺突を避け、峰うつ。
あっさり気を失った男を足で適当に端に転がしていると、前を行く藤堂が話しかけてきた。

「ところでさ。貴舟は何でここにきたんだ?」
「……今ごろそれを聞くか」

巻き込んでからたずねる藤堂には呆れたが、今更それに拘泥しても仕方ないとも思い、「まぁ、いいか」と一つため息を吐き出して貴舟は説明する。

「ちょっと人を探していてな。知り合いに尋ねていくうちに、ここに辿り着いたんだよ」
「あー……そりゃご愁傷様」

視線をこちらからやや逸らし、心底気まずそうに藤堂が返す。
まったくその通りだ。
奥で起こった騒ぎのせいで、客の多くはすでに逃げ出した後だった。客間には冷え切った手付かずの料理が並び、行灯の光だけがゆらゆらと揺れている。
探し人を見つけることは、やはり諦めざるをえないだろう。
貴舟は諦観を多分に含んだため息をつく。それに反応して藤堂はびくりと肩を揺らした。

「えっと、その……ごめんな?」

その顔があまりにも粗相を怒られた仔犬そっくりで、貴舟は思わず苦笑して言う。

「別に、謝られるようなことじゃない」

「どうせここまできたんだ。最後まで付き合うよ」貴舟はすれ違いざまに藤堂の肩をたたき、店の奥へと足を進めた。


主戦場となった大広間の有り様は酷いものだった。
柱や畳には縦横無尽に刀傷がはしり、何人かの人間が血溜まりの中に倒れていた。
白い障子に咲いた赤い花から目をそらし、藤堂は貴舟に首を横に振ってみせる。

「総司と何人かの姿が見当らねぇ。もしかすると、場所を変えたのかもしれねぇ」
「沖田も来てるのか」
「ああ。出入口は俺の隊でかためて、広間は総司の隊が担当してたんだけど……」
「様子を見るに、苦戦したみたいだな」

広間に倒れている人間の大半が、新選組の隊服を纏っていた。
藤堂は痛ましげな表情になって、視線を足元へ落とす。
見知った顔があったのかもしれない。
貴舟はなんとなく声がかけづらくなった。伊勢谷の件もあって、今藤堂がどんな気持ちでいるのか、容易に察せられたからだ。
口をつぐめば、重い沈黙が降りる。
雪が降る音さえ聞こえてきそうなほどの静寂にあって、その音は大きく響いた。
ぎしりと畳を軋ませる音に、貴舟と藤堂はばっと顔を上げ広間を振り返る。
打ち破られた襖の陰から、ゆらりと人影があらわれるところだった。
部屋に差し込むわずかな月明かりに照らされた人影は、浅葱の羽織を纏っている。
藤堂が目を見張った。

「おい、お前!大丈夫か!?」

走り寄りかける藤堂の姿を見ながら、貴舟はぬぐいされない違和感と既視感を感じていた。
何か。何かが違う。
貴舟がそう思うのと、声が上がるのは同時だった。

「平助!そいつに近づいちゃ駄目だ!!」

声に反応して、貴舟はとっさに藤堂に足払いをかける。

「うわっ!?」

鋭い銀光が、体勢を崩した藤堂の前髪を何本か刈り取っていくのが見えた。
左手を伸ばして藤堂の襟首を引っ掴んで背後へ転がし、貴舟はその勢いでもって抜刀する。
銀線が宙で交差し、火花が散る。

「っ……!」

柄から伝わる衝撃は骨にまで達するようだった。
片膝をつき押し切られそうになるのを必死にこらえ、貴舟は乱れた髪の間から刃を交える相手を見上げる。
その瞬間。

「ありゃ」

間の抜けた声が相手の口から飛び出した。
その声音は貴舟がよく知っているものだった。いや、どんなに時間が経とうとも決して忘れるものか。
音がしそうな勢いで総身から血の気が下がっていく。

「貴舟じゃねぇか」

あの頃と少しも変わらない様子で自分の名を呼ぶその人の顔はしかし、真っ赤な返り血に塗れていた。

「師匠……」

震えそうになる唇で、貴舟は愕然として呟いた。
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