三度一致
バイトも学部も取ってる授業もまる被りな平助と大学の帰りに寄ったのは、駅横にある百貨店のレストラン・フロアだった。
丁度二組がお会計に席を立った直後で運良く並ばずに入れたお店は、私にとって初めてで、平助は何度か来た事があるらしかった。
「おいしっ! これめっちゃおいしい!」
「だろ? ぜってー瑞希も好きだ思った」
お皿に載ってるのは、塩と何種類かのハーブとで和えた刻みにんにくがギッチリ詰まったフランスパン。
外はこんがりパリッと焼けてて、今からメインが来るのにまるごと一本いってしまいそうな勢いだ。
「明日が怖いけどやめらんない」
「気にすんなって、デートの約束があるってわけでもねぇんだし」
「あーー……無いね」
だから匂いなんて気にしてないでガンガン食おうぜ、とパンを手でばりばり割った平助は、当たり前のように大きい方をほいと寄越した。
二、三秒ほどは“お前昨日にんにく食っただろと言われたくない抵抗勢力”が喉の辺りに引っ掛かってたけど。
湧いた唾で飲み下してパンにかぶりついた。んんん、美味しいなコレ。
メイン入るかなー、なんて言ったのはどの口か。結局私は平助に釣られて、おへそが出べそになりそうなほどの料理を平らげた。
食事が終わって授業中の眠気がどこかに吹き飛んだ足で、そのままエレベーターを一番下まで降り、テパ地下探検にむかう。
もうお腹は膨れてお財布はへっこんだので、見て回るだけ。
閉店時間が近いからお惣菜の値引きが始まっていて、どうにか売り切りたい熱心な店員さんに数回呼び止められた。
ううっ、つまようじに刺してズイッと目の前に出された試食のカマンベール・チーズ、美味しかった!
人のいい平助は普段私と同じくらい節約してるはずなのに、断る隙を与えないおばちゃんに捕まって、見るからに高そうな奈良漬を買いかけてて……。
「平助、みんな待ってるから行こう」
咄嗟の嘘で腕を掴み、その場を後にした。
「駄目じゃん、瑞希らないならちゃんと断らなきゃ」
「いや、だってさ。俺と同じぐらいの息子がいるって言うしさー」
「歩合じゃないんだから平助が買おうが買うまいが、あの人のお給料は変わらないよ」
「えっ、マジで!?」
うわ騙された、と誰も騙してなんていないのにブツブツ言う平助を、そのままグイグイ引っ張って、スイーツの売り場まで来た所で。
二人の足はピタリと止まった。
……初めて見た。
店員にあーんってして(多分試食の)チョコレートを口に入れて貰ってる――おばあちゃん。
「瑞希、我慢だぞ」
「分かってる、我慢する」
もうちょっと。あとちょっとで出口。
息を詰め、口を引き結びシャカシャカ人をすり抜けて表に出た。
ぷ。
「ぷはははっ、何あれ、何あれっ!」
「くくくあはははっ、店員めっちゃくちゃ微妙な顔してたよな!」
「おばーちゃっ、あれは反則だよ。すんごい良いもん見た! 今日イチだよ」
腹筋がアイタタタッてなるほど笑って笑い転げて、肩で息をして唾でむせて。
息が整うまでに何度か思い出し笑いも込み上げて、最後はお互い涙を拭いてた。
「あー可笑しかった。和んだー」
「あれぜってー瑞希の未来だぜ、お前もそっちの素質あるし」
「やんないよー、まだそこまでタフじゃない。……でもおばあちゃんになったら耳が遠いふりをしてやっちゃうかも」
「くくく、かもじゃねぇって、やるやる」
まだおなかがヒクヒクしてて、衝撃の瞬間映像がリフレインする度に目を合わせてにやついた。
外はもうとっぷりと日が暮れてた。バスターミナルには行列が出来ている。
二人共、大学から一駅弱の所にワンルームマンションを借りていて、バスでも電車でも徒歩でも帰れる距離だった。
「どうする? 私は歩いて帰る。外食で贅沢しちゃったもん」
「俺も。定期買う分の金を今貯めててさ、今月のバイト代が入ったら欲しかった自転車が買えそうなんだ」
「ほんと!? 私も電動自転車を買うつもりで貯めてるよ」
「電動かよ、かっちょわり。ガンガン漕いだら足も細くなって金も節約出来て、一石二鳥なのに」
「やだよ、太腿に筋肉がついてスキニーパンツが履けなくなっちゃうもん」
言いながら、もうバスターミナルを抜けて歩き出していた。
ちょっと駅を離れればすぐに人通りは途絶え、リリリリとどこからか虫の音が聞こえて来る暗い夜道に二人並ぶ。
男の子は深夜帯にバイト出来るから稼げていいよね、とか社会学の教授って何喋ってるか全然聞こえねぇよな、とか他愛のない話をして。
10分ほど歩いたところで、平助が速度を緩めた。
「どしたの、お店に忘れ物でもした?」
心なしか考え込むような表情をしている彼を覗き込むと、頭半分しか背の違わないその顔はほんの30センチ先で、今までと違う空気を纏っていた。
「あの……さ」
ゆっくりだった平助の足はとうとう止まり、青っぽい街灯の下で私も一緒に立ち止まる。
うん、だから、どうしたの。
いぶかしむのと同時に、だったらいいな的な期待が膨らまなかったと言ったら、嘘になる。
あるわけないよね、そんな感じじゃないし、と今までに三回か四回くらい打ち消した可能性。
このまま土に埋もれて消えるはずだった“新展開へのささやかな期待”が、ちょっとだけ顔を覗かせた。
「あのさ」
もう一度同じ言葉を繰り返した彼は、斜め掛けに背負ってたカバンの紐に片手を添えてギュッと握り締め、唾を飲み込むように喉仏を動かした。
「あのさ」
「うん」
「お前、好きな奴いる?」
「わっ……かんない」
「俺とかどうかなって。や、その……ぜってー合うと思うしさ」
ぽこ。芽が出た。
「つまりさ、あーーーーと、あれだ。付き合ったら! どうかなって……」
ぽこぽこぽこっ。
どうしよう、これって瑞希するにそういう事なので、もう首とか顔とか熱くて緊張伝播共有状態がすごいのに。
平助はカッキンコッキンに固まった私の様子には全く気付かず、声変わり前に逆戻りしたような上擦った調子で、
「俺、前から瑞希の事が好きだったんだ。お前全然そんな感じじゃねぇし、諦めっかって思ったんだけどさ。
けど……このままだといい奴ってアンパイで落ち着くのが目に見えてて、それは――」
やっぱり嫌だって思ったんだ。
そう言ったんだ。彼は。
「本気ですか」
「本気、です」
「あああの、ありがと嬉っ。じゃなくてっ!」
あのっ、あのって何回言うの。動揺して彼の口元から服、カバン、靴へとどんどん視線を降下させてしまう。
今日いまこの時に限って上手く舌が動かなくて、息を吸うのを忘れてたのか手まで痺れてきた。
平助は返事を待ってくれてるんだから、ちゃんと答えなきゃ。
ちゃんと……
私が彼に視線を合わせようと顔を上げたら。
チュッ
…………。
街灯の光が遮られ急に暗くなった視界の中で、柔らかい唇が一瞬私のそれを啄ばみ、離れていった。
「あの……私も」
呆然としたまま呟く。
「好き?」
彼が続きを言って、私はそれに黙って頷いた。
「うん、だってお前、今めちゃくちゃ可愛い顔してんもん。やべーよ」
へへへ、ちゅーしちった。
照れているのを誤魔化すように笑った彼は、とても嬉しそうで。
差し出された手に、なんの抵抗もなく私の手が滑り込んだ。
繋いだ先は私より大きくて、緊張を白状するように少し汗ばんでる。
彼の手の平と指先の間で、私の手は幸福な温かさに両側から挟まれていた。
食べ物の好みが合って、同じとこで笑って、同じように節約したりご褒美を買う私達は。
その上気持ちまで同じだったんだから、上手くいかないわけがない。
嬉しそうにブラブラと二人の手を揺らす彼と、今度は帰りつくのを惜しむようにゆっくりと歩きながら。
この心臓のドキドキすら彼に預けても大丈夫だと思った。
三度一致
バイトも学部も取ってる授業もまる被りな平助と大学の帰りに寄ったのは、駅横にある百貨店のレストラン・フロアだった。
丁度二組がお会計に席を立った直後で運良く並ばずに入れたお店は、私にとって初めてで、平助は何度か来た事があるらしかった。
「おいしっ! これめっちゃおいしい!」
「だろ? ぜってー瑞希も好きだ思った」
お皿に載ってるのは、塩と何種類かのハーブとで和えた刻みにんにくがギッチリ詰まったフランスパン。
外はこんがりパリッと焼けてて、今からメインが来るのにまるごと一本いってしまいそうな勢いだ。
「明日が怖いけどやめらんない」
「気にすんなって、デートの約束があるってわけでもねぇんだし」
「あーー……無いね」
だから匂いなんて気にしてないでガンガン食おうぜ、とパンを手でばりばり割った平助は、当たり前のように大きい方をほいと寄越した。
二、三秒ほどは“お前昨日にんにく食っただろと言われたくない抵抗勢力”が喉の辺りに引っ掛かってたけど。
湧いた唾で飲み下してパンにかぶりついた。んんん、美味しいなコレ。
メイン入るかなー、なんて言ったのはどの口か。結局私は平助に釣られて、おへそが出べそになりそうなほどの料理を平らげた。
食事が終わって授業中の眠気がどこかに吹き飛んだ足で、そのままエレベーターを一番下まで降り、テパ地下探検にむかう。
もうお腹は膨れてお財布はへっこんだので、見て回るだけ。
閉店時間が近いからお惣菜の値引きが始まっていて、どうにか売り切りたい熱心な店員さんに数回呼び止められた。
ううっ、つまようじに刺してズイッと目の前に出された試食のカマンベール・チーズ、美味しかった!
人のいい平助は普段私と同じくらい節約してるはずなのに、断る隙を与えないおばちゃんに捕まって、見るからに高そうな奈良漬を買いかけてて……。
「平助、みんな待ってるから行こう」
咄嗟の嘘で腕を掴み、その場を後にした。
「駄目じゃん、瑞希らないならちゃんと断らなきゃ」
「いや、だってさ。俺と同じぐらいの息子がいるって言うしさー」
「歩合じゃないんだから平助が買おうが買うまいが、あの人のお給料は変わらないよ」
「えっ、マジで!?」
うわ騙された、と誰も騙してなんていないのにブツブツ言う平助を、そのままグイグイ引っ張って、スイーツの売り場まで来た所で。
二人の足はピタリと止まった。
……初めて見た。
店員にあーんってして(多分試食の)チョコレートを口に入れて貰ってる――おばあちゃん。
「瑞希、我慢だぞ」
「分かってる、我慢する」
もうちょっと。あとちょっとで出口。
息を詰め、口を引き結びシャカシャカ人をすり抜けて表に出た。
ぷ。
「ぷはははっ、何あれ、何あれっ!」
「くくくあはははっ、店員めっちゃくちゃ微妙な顔してたよな!」
「おばーちゃっ、あれは反則だよ。すんごい良いもん見た! 今日イチだよ」
腹筋がアイタタタッてなるほど笑って笑い転げて、肩で息をして唾でむせて。
息が整うまでに何度か思い出し笑いも込み上げて、最後はお互い涙を拭いてた。
「あー可笑しかった。和んだー」
「あれぜってー瑞希の未来だぜ、お前もそっちの素質あるし」
「やんないよー、まだそこまでタフじゃない。……でもおばあちゃんになったら耳が遠いふりをしてやっちゃうかも」
「くくく、かもじゃねぇって、やるやる」
まだおなかがヒクヒクしてて、衝撃の瞬間映像がリフレインする度に目を合わせてにやついた。
外はもうとっぷりと日が暮れてた。バスターミナルには行列が出来ている。
二人共、大学から一駅弱の所にワンルームマンションを借りていて、バスでも電車でも徒歩でも帰れる距離だった。
「どうする? 私は歩いて帰る。外食で贅沢しちゃったもん」
「俺も。定期買う分の金を今貯めててさ、今月のバイト代が入ったら欲しかった自転車が買えそうなんだ」
「ほんと!? 私も電動自転車を買うつもりで貯めてるよ」
「電動かよ、かっちょわり。ガンガン漕いだら足も細くなって金も節約出来て、一石二鳥なのに」
「やだよ、太腿に筋肉がついてスキニーパンツが履けなくなっちゃうもん」
言いながら、もうバスターミナルを抜けて歩き出していた。
ちょっと駅を離れればすぐに人通りは途絶え、リリリリとどこからか虫の音が聞こえて来る暗い夜道に二人並ぶ。
男の子は深夜帯にバイト出来るから稼げていいよね、とか社会学の教授って何喋ってるか全然聞こえねぇよな、とか他愛のない話をして。
10分ほど歩いたところで、平助が速度を緩めた。
「どしたの、お店に忘れ物でもした?」
心なしか考え込むような表情をしている彼を覗き込むと、頭半分しか背の違わないその顔はほんの30センチ先で、今までと違う空気を纏っていた。
「あの……さ」
ゆっくりだった平助の足はとうとう止まり、青っぽい街灯の下で私も一緒に立ち止まる。
うん、だから、どうしたの。
いぶかしむのと同時に、だったらいいな的な期待が膨らまなかったと言ったら、嘘になる。
あるわけないよね、そんな感じじゃないし、と今までに三回か四回くらい打ち消した可能性。
このまま土に埋もれて消えるはずだった“新展開へのささやかな期待”が、ちょっとだけ顔を覗かせた。
「あのさ」
もう一度同じ言葉を繰り返した彼は、斜め掛けに背負ってたカバンの紐に片手を添えてギュッと握り締め、唾を飲み込むように喉仏を動かした。
「あのさ」
「うん」
「お前、好きな奴いる?」
「わっ……かんない」
「俺とかどうかなって。や、その……ぜってー合うと思うしさ」
ぽこ。芽が出た。
「つまりさ、あーーーーと、あれだ。付き合ったら! どうかなって……」
ぽこぽこぽこっ。
どうしよう、これって瑞希するにそういう事なので、もう首とか顔とか熱くて緊張伝播共有状態がすごいのに。
平助はカッキンコッキンに固まった私の様子には全く気付かず、声変わり前に逆戻りしたような上擦った調子で、
「俺、前から瑞希の事が好きだったんだ。お前全然そんな感じじゃねぇし、諦めっかって思ったんだけどさ。
けど……このままだといい奴ってアンパイで落ち着くのが目に見えてて、それは――」
やっぱり嫌だって思ったんだ。
そう言ったんだ。彼は。
「本気ですか」
「本気、です」
「あああの、ありがと嬉っ。じゃなくてっ!」
あのっ、あのって何回言うの。動揺して彼の口元から服、カバン、靴へとどんどん視線を降下させてしまう。
今日いまこの時に限って上手く舌が動かなくて、息を吸うのを忘れてたのか手まで痺れてきた。
平助は返事を待ってくれてるんだから、ちゃんと答えなきゃ。
ちゃんと……
私が彼に視線を合わせようと顔を上げたら。
チュッ
…………。
街灯の光が遮られ急に暗くなった視界の中で、柔らかい唇が一瞬私のそれを啄ばみ、離れていった。
「あの……私も」
呆然としたまま呟く。
「好き?」
彼が続きを言って、私はそれに黙って頷いた。
「うん、だってお前、今めちゃくちゃ可愛い顔してんもん。やべーよ」
へへへ、ちゅーしちった。
照れているのを誤魔化すように笑った彼は、とても嬉しそうで。
差し出された手に、なんの抵抗もなく私の手が滑り込んだ。
繋いだ先は私より大きくて、緊張を白状するように少し汗ばんでる。
彼の手の平と指先の間で、私の手は幸福な温かさに両側から挟まれていた。
食べ物の好みが合って、同じとこで笑って、同じように節約したりご褒美を買う私達は。
その上気持ちまで同じだったんだから、上手くいかないわけがない。
嬉しそうにブラブラと二人の手を揺らす彼と、今度は帰りつくのを惜しむようにゆっくりと歩きながら。
この心臓のドキドキすら彼に預けても大丈夫だと思った。