鬼事 07




いつもは総司も一緒で時々休めたけど、一人の今は違う。
はやくもわたしの息は切れかけていた。
カバンも背負ったままだから余計にだ。
って、あそうか。句集も入ってるカバンごと捨てればいいんだ!
そうすれば追ってこないはず。
わたしは思い切って腕をカバンの持ち手からはずし、その場に落とす。
よし、軽くなったしこれでもう追ってこないはず…
そう思ってわたしは後ろを振り返り、

「嘘!」

声を上げる羽目になった。
そこには、カバンなど見向きもせずに猛然と追ってくる先生がいたからだ。
なんで!?わたし何かしたっけ!?
やばいやばいやばい。もう逃げる場所がない。
今見えている角を曲がれば、あとは逃げる場所は屋上までの階段しかない。退路は完全に絶たれている。どちらにしろ行き止まりだった。
仕方ない。屋上までに振り切る!
わたしは走る足をぐんと一層は速めた。
しかし、追ってくる土方先生の足はどんどん速くなっているようだった。どんどん距離が縮まってくる。
嘘でしょ!?
ど、どうしよう。捕まったら…。
そこで、はっとした。
…捕まったら、何?
捕まえられることこそ、ずっとわたしが望んでいたことじゃないの?
わたしのほうだけを見て欲しいって。
なのに、わたしはただ逃げているだけで、絶対に向き合おうとしなかった。
恐がってばかりで一君みたいに、向き合おうとしなかった。
それじゃ駄目だって分かってたのに。
わたし…
階段が終わり、屋上に飛び出す。

「…瑞希っ!!」

その瞬間、大きな手がわたしの肩にかかった。
強引に振り向かせられるままに、わたしは後ろを振り返る。振り返った先には、息も切れ切れな姿の先生。スーツはよれよれだし、すごく不恰好だけど。でも、

「好き!」
「好きだ!!」

ほぼ同時に叫んだ声は重なっていた。

「へ?」
「あ?」

一瞬二人ともあっけに取られ、そして。
次の瞬間勢いのまま一緒に堅いコンクリートの上に転がった。

「痛い」
「…悪い」

先生がとっさに頭の後ろに手を回してくれたから頭は打たなかったけど、背中が地味に痛い。
わたしの上に覆いかぶさった土方先生からくぐもった声で謝罪が聞こえてくる。

「さっきの言葉、…本当ですか?」
「俺が冗談や嘘であんなこと言うとでも?」

「いえ、でももっとマシな告白の方法はなかったのかと」
「しかたねぇだろ。そもそもお前が逃げるから悪いんだろうが」
「先生がすごい勢いで追いかけてくるからでしょう?」

その瞬間、先生がくっと喉を鳴らして笑った。

「そりゃ追いかけて欲しい、の間違いじゃねえのか?」

本当のことなので返す言葉がなかった。
わたしの顔の両側に手をつき、先生が身を起こす。
真正面に見えた先生の顔は、夕陽の赤か、はたまた別の赤か、どちらかの赤で真っ赤に染まって見えた。

「捕まえた。もう絶対放さねぇ」
「はい」

そっと降ってきた唇に、わたしは目を閉じた。








「一君」
「何だ」
「一人だけ抜け駆けするなんて、ひどいんじゃない?」
「…聞いていたのか」
「でも、まぁ。僕じゃあの子の背中を素直に押してあげられなかっただろうから」

ありがとう。
そっぽを向いて呟かれた言葉は小さかったが、俺を驚かせるには十分だった。
あの総司が珍しい。
だが、悪くない。
ふっと気づかれないように俺は笑い、

「そういえば、土方先生に何を言ったんだ?」

すごい怒りようだったが、と言うと総司はさっきの様子はどこへやら。例のにやっとした悪い笑みを浮かべた「ああ。それね」

「先生がいらないんだったら、僕が瑞希をもらっちゃおうかなーって、言ったらすごい剣幕で"やめろ!"って言われちゃってさ。あーあ、あの必死な顔。写メに撮っておけばよかったなー」
「…総司」
「冗談だよ」

けらけらと笑う総司に若干脱力しながら壁にもたれかかる。

「ね、うまくいくといいね」
「ああ」


fin.
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