鬼事 06




「総司、遅いね」
「ああ」

その日の下校時刻。夕陽で赤く染まる教室の中、わたしと一君は総司のことを待っていた。
一緒に帰るから部活が終わったらここに集合、と言ったのは総司なのに。
椅子の上に三角座りになり、わたしは頬を膨らませる。
ちらりと上目で一君のほうをうかがう。

「…先に帰っちゃおうか?」
「いや、また総司がいつもの気まぐれをおこしただけかもしれぬ。もう少し待ってみよう」
「あーっ、もう!!」

その気まぐれが曲者なんだけどなぁ。…まぁ、確かにいつものことではあるんだけど。
わたしは机の上にばたりと突っ伏す。
頬杖をついて顔を上げれば窓から夕陽が見えた。半円になった夕陽が黒い建物の間から顔をのぞかせている。

「瑞希」
「ん?」

することもなくぼーっと景色を眺めていると、一君が喋りかけてきた。
窓から目を離して声のほうを向くと、視線が合う。
真剣な目に何故だか無性に胸の奥がざわついた。

「俺が土方先生にお前の想いを正直に話してみたらどうだと言ったのは覚えているな?」
「え。う、うん」

急な話に戸惑いながら頷いたわたしに、一君は少し言葉に詰まりながら言う。

「…実は自分でああ言いはしたが、俺もお前に正直に話せていないことがある」
「話せていないこと…?」
「ああ、そうだ…その…」

もじもじといつになく歯切れが悪い一君。それに加え視線も泳ぎっぱなしだ。
挙動不審な一君の様子にわたしは首をかしげ、そしてひらめいた。

「ああ!もしかして一君とわたしのお茶をそろっておいてて、一君が間違ってわたしのほう飲んじゃったって話?わたしはぜんぜん気にしてないのに」
「なぜその話を知っているのだ!?…ではなくて!!」

一君はすごく驚いた後、首を横に振る。その話ではないようだ。
じゃあ、何の話だろう。わたしが疑問符を頭にうかべ、また考えようとしたときだった。

「だから、俺がお前を好きだということだ!!」

めったに口調を荒げない一君の口から、とんでもない言葉が張り出されたのは。

「は…」

なんで?と聞こうとした声は声にならずに口から空気となって漏れた。
一体いつから?

「でも、一君っ…」

なんとか唾を飲み込み言葉を発しようとするわたしの口を、一君の手が止めた。
言うな、と。
そっと手をはずしながら、一君は言う。

「…ああ、お前の気持ちは知っている」

なら、なんで。
その気持ちが顔に出ていたんだろう。一君は自嘲と痛みと愛しさがない交ぜになった曖昧な笑みを浮かべた。

「好きだからこそ、お前の気持ちがかなえばいいと思っている」

はじめて吐露された一君の気持ち。
ずっとそんな気持ちで協力してくれてたんだ。…全く気がつかなかった。
わたしはただただ驚くばかりで。同時にその気持ちに応えてあげられないことにすごく申し訳なくなった。
断られるのもすごく恐いけど、断るのもすごく勇気がいるんだって分かった。

「…ごめん」
「お前があやまることはない」

うつむくわたしの頭をそっとあたたかなものが撫でる。
「ただ」と一君が続ける。

「俺も総司もいい加減じれったくなってきているのも確かだがな」
「え?」

ぼそっと呟かれた言葉がよく聞き取れなくて顔を上げたときだった。

「お待たせ」

教室のドアが開いて総司が入ってきた。
その顔は妙に機嫌がよさそうだ。…嫌な予感がした。
しかし避けるまもなく、あっという間にわたしに近づいてきた総司はわたしを立たせると何故か教室から外の廊下へと押しやった。

「ちょっと!いきなりなんなのよ!!」
「いいからいいから」

怒鳴りつけるがまったく総司は取り合ってくれない。
本当に次から次へと、今日はなんなんだろう?
溜息をついて何気なく廊下の奥を見たときだった。

「総司!!てめぇっ!!」

土方先生がものすごい勢いで角から飛び出してきたのは。
まさに鬼気迫る勢いだった。
…一体総司なにやったんだろう。
そう他人事に思っていられるのは、一瞬のことだった。

「はい、これ」
「え?」

言葉とともに軽くカバンを引っ張られる。
後ろを向いて背負っているカバンを見ると、なんと土方先生の句集が突っ込まれていた。

「え」
「頑張ってね」

笑う総司。
迫る土方先生。
傍観を決め込む一君。

「えぇえええええぇぇえーーー!!!!」

本能のままに走り出した足にまかせ、わたしはその場から逃げ出した。
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