隠さずに君を見せて




それは部活帰りに、商店街のイルミネーションを見ようと友美と一緒にお店をみながらぶらぶらと歩いていた時のことだった。

「あれ?あれ土方先生じゃない?」

ショーウィンドウをのぞいていた友美が、突然指をさして言った。
友美の指さす先には、たしかに見覚えのある背中がある。ふいに、その顔がこちらを振り返った。

「あー。やっぱり土方先生だ」

見間違うわけない。間違いなく先生だ。
わたしはどきりとした。
距離が離れたこちらを見たわけではないだろうが、自然と意識してしまい、勝手に胸が早鐘を打つ。
だが、そんな甘やかな感覚も、次の瞬間一瞬にして冷めてしまった。

「あ…」

先生の黒いコートの肩に、そっとしなやかな細い手が乗った。
先生の視線の先にいたのは、白いコートを着た女の人だった。白がよく似合う、上品な顔立ちの美女だ。
イルミネーションの光で色とりどりに輝く街の中、つかず離れず寄り添って歩く二人は、この上なくお似合いの"恋人"同士に見えた。

「え!?先生彼女いたんだ!?あんだけいないって言っておきながら、ちゃんといるんじゃんか!うわー、しかもあんなすっごい美人!これはすぐさまツイートせねば」

友美もそう思ったのか、そんなことを言ってケータイを取りだした。
けっして無神経ではないのだが、明るい彼女の言葉が今日ばかりは胸に刺さった。じくじくと胸が痛む。息が詰まって苦しい…

「…どうしたの?」

気がつくと、友美に心配そうに見上げられていた。よほどわたしは深刻そうな顔をしていたのだろう。わたしはとっさにまずいと思って、笑顔を取り繕った。

「ううん。なんでもない。ちょっと風邪気味で調子悪いみたい。それより、彼氏のプレゼントも選ばないといけないんでしょ?」
「う、うん…?」
「向こうでクリスマスプレゼントの特設場やってるみたい。寒いし中に入って見ようよ」

そっと友美の背中を押してうながす。少しでもこの場所から離れたかった。このままではぼろが出てしまいそうだったから。
 
先生が好きだなんて、誰にも知られたくなかった。



[隠さずに君を見せて]



わたしと土方先生が初めて出会ったのは、剣道部に入部した時のことだった。土方先生は、剣道部の顧問をしていて、その日も新入部員たちの様子を見に来ていた。
その目の前で、わたしと幼馴染の総司はついいつもの調子で、稽古中にしゃべってしまった。ほんの二、三言だ。なのに、

「てめぇら、稽古中に私語するたぁいい度胸じゃねぇか。今からグラウンド50周してこい!!」

結局、二人仲良くグラウンドを50周するはめになった。
だから、わたしにとってその出会いは最悪だった。"鬼みたいな先生"というのが、わたしが最初に先生に下したイメージだ。
でも、部活で指導を受けたり、先生の授業をうけているうちに、そのイメージはだんだん変っていった。
厳しいことをたくさん言うけど、その分だけ生徒を想ってくれている先生。本当は、すごく優しい人なんだっていうことに気がついた。
先生のことが気になりはじめたのは、多分それから。ほんの興味の種が、甘い痛みを伴う果実に育つまで、そう時間はかからなかったように思う。
恋は堕ちるものだとか誰かが言っていたけど、本当にそうだ。誰が13コも年上の、しかも教師を好きになると思うだろうか。そんなスキャンダラスなことを他の誰かに言えるような性格でもなく、わたしは思いもよらぬ初恋に苦しみもがくことになった。誰にもこの気持ちは悟られてはいけない。友美はもちろん、先生本人にも。
幸い、もともとのポーカーフェイスも手伝って、まわりにその気持ちを悟られるということはなかった。先生にも、普通に接することができていたと思う。
…だけど、

「平助、日誌土方先生のところに持っていってくれない?」
「え!何で俺!?ってか俺前も瑞希先輩の代わりに持っていったじゃんかよ!」
「そこをなんとか!帰りマックおごるから!」
「え、マック!?ほんとに!?」

しっぽをふって職員室へ向かう平助を見送り、わたしは内心ほっと胸をなでおろした。
平助がア…単純でよかった…。
みんな更衣室に着替えに行って、がらんどうになった剣道場を見てわたしはため息をつく。
ここのところ、土方先生の顔がまともに見れなくなってしまっていた。
理由は分かっている。先生の顔を見るたびに、あのときの女の人のことが思い出されるのだ。しまいには胸が黒く塗りつぶされるかのような気持ちになって、いてもたってもいられなくなる。
こんな醜い嫉妬心を抱いているなんて気づかれたくなかったし、先生に対する気持ちがそこまで重症になっているのだと気がつきたくなかった。実るはずがないと分かっているのに、その気持ちはどんどん大きくなっていく。止めようのない気持ちに、わたしは困惑しきっていた。
…なんでこんなに苦しい思いをしないといけないんだろう。
二度目のため息をつくべく、口を開きかけた時だ。

「あの、瑞希先輩」

帰ってきた平助が剣道場の戸口に立っていた。

「土方先生が職員室に来い、って…」

吐かれるはずだった息は、逆に肺へ吸い込まれることになった。





重い足取りで職員室の前へ着くと、扉の前にもたれかかるようにして土方先生がいた。すでに消灯していた廊下は薄暗く、すりガラスからもれるほのかな光が、先生の端正な横顔を照らしている。
しかし、その顔はひどくこわばっていた。怒っているようにも見えるし、なにかに苦しんでいるようにも見える。判然としない表情だ。
横目でわたしの姿をとらえるやいなや、先生は組んでいた腕をほどき、わたしの目の前に立った。まっすぐな視線にとらえられ、わたしはその場に立ちすくんだ。脳裏に浮かぶのは、白いコートをまとった女の人の姿。
胸が痛い。
「白川」
「…はい」
「お前、何で平助に日誌を持ってこさせた?今日はお前の当番だろう」
「…すみません」

いつもなら饒舌に撒けるのに、今日に限ってうまい言い訳がでてこない。しんと廊下が静まり返る。黙っていると、ため息をつかれた。

「…どうもお前、最近俺を避けている節があるよな」
「そ、」
「そんなこと、あるだろ?部活中だけじゃなく、授業中も極力俺と目を合わせないようにしてるだろうが」

言葉がつまった。その通りだった。

「どうしてそう俺のことを避ける?」
「そ、れは…」
「俺の目を見ろ」

動揺する気持ちを悟られたくなくて目をそらすと、強引にあごをつかまれて視線を合わせられた。
頤をつかむ無骨な手と鋭いが熱のこもった目に、背筋が震える。
なにこれ。
なんでわたし先生にこんなことされてるの?
これじゃまるで…

先生がわたしのことを好きみたいじゃない――
甘い喜びが胸を満たす。しかし、いつも頭の片隅にいる冷静な自分が、そんな自分を嘲笑った。
"なに勘違いしてんのアンタ?先生にはもうステキな彼女がいるじゃない。先生はただ、生徒であるアンタを心配しているだけに決まってるでしょ"
目の前に、イルミネーションの光で満たされた街のなかを寄り添って歩く二人の姿が浮かぶ。
…そうだよ。
なに勘違いしてんだろ、わたし。生徒のことを好きになる先生なんて、いるわけないじゃない。一瞬でも浮かれてしまった自分のことが滑稽で、みじめで…わたしは次の瞬間先生の手を振り払っていた。

「っ!」
「触らないでください!!」

もう、こんな苦しい思いをするのは嫌だ。
その瞬間、ずっと胸の内にためてきた想いが決壊した。

「なんで先生のことを避けるかって?先生のことを見てると苦しいからですよ!先生が好きだからですよ!!でも気持ちを伝えたって、先生は生徒であるわたしなんか相手にしてくれないでしょう!?しかも先生には彼女がいるし、…一方通行で想っていたわたしだけが馬鹿みたい…っ」

最後の一音は、嗚咽に変わった。目の前がゆがむ。泣きたくないのに、勝手にぼろぼろと涙があふれてくる。
みっともない。そう分かっているのに、止めることができなかった。
先生はきっとそんなわたしに呆れただろう。
もう終わりだ。
なんて最悪なクリスマス。
頬を一滴の涙が滑り落ちる。しかし、それが顎にたどりつくことはなかった。
柔らかな感触が頬に残る。

「…本当にお前は馬鹿だな」

気がつくと、耳元でそう囁かれていた。言葉はひどいのに、その声はひどく優しかった。
無理やりうずめられた胸から顔を上げ、上を見上げると、熱のこもった視線にからめとられた。

「誰がお前を好きじゃねぇと言った」
「え…」
「いいから泣きやめ」

背広の袖で、頬をごしごしとこすられる。その間、わたしはなされるがままになっていた。なにが起こっているのか、分からなかった。

「お前の悪い癖は、なんでもかんでも溜めこんで隠しちまうところだな」

ぽかんとするわたしを見て、先生は深いため息を吐きだした。そして、じっと熱のこもった目でわたしのことを見た。

「俺もお前のことが好きだ」
「う、嘘。だって先生彼女いるじゃ…」

わたしはとっさに否定する。それに、先生は少しむっとした顔をした。

「俺に彼女なんざいねぇよ」
「でも、一週間前街で…」

言いかけると、ちっと先生は忌々しそうに舌打ちをする。

「ツイッターで出回ってたあれか?あれは…」

…俺の姉貴だ。
言いづらそうに口ごもったあと、先生はがりがりと頭をかきながらそう言った。

「先生の、お姉さん…?」
「ああ。旦那のためのクリスマスプレゼントを選ぶのに付き合ってくれって、引きまわされてたんだよ」

わたしはあのときちらっと見た女性の顔を思い浮かべる。
…確かに、言われてみれば先生に似てなくもない、か?

「それと」

先生はポケットに手を突っ込み、とりだした何かをわたしの首に腕をまわしてとめた。
ひんやりとした感触が、肌に触れる。つまんでみると、それは小さな石のトップがついた華奢なネックレスだった。
顔を上げると、ほんの少し顔の赤くなった先生がいた。

「…お前にやるクリスマスプレゼントを選んでもらってた」

そっと無骨な指が濡れた頬を滑る。

「なのに、こんな勘違いをされちまうとは」

思ってもみなかった。
先生に両肩をぎゅっと抱きしめられ、首筋に顔をうずめられた。

「せんせ…」
「頼むから俺のことを避けるな」

吐息が耳朶を震わせる。苦しげな先生の声に、やっとわたしはずっと自分が勘違いをしていたことに気がついた。

「…先生のこと、好きでいてもいいんですか?」

おずおずとそう聞くと、先生は肩から顔を上げて苦笑した。

「当たり前だ」

頤を指でそっとつかまれ、上向かせられる。

「だから隠すな」

お前の全部、俺に見せてくれ。






「…好きだ、瑞希」
ALICE+