過去拍手【沖田5】


冬に人をもっとも自堕落にさせるものがあるとすれば、それは炬燵だと思う。

「ねぇ総司」
「うんー?」
「お茶持ってきて」
「いやだ」

ぴしゃりと半ばかぶせるように鋭く返ってきた返事に私は眉をひそめる。にべもない。少しは考えてくれたっていいんじゃないだろうか。不満から自然と声がとがった。

「なんで」
「出たくないから」

外、寒いし。
ぽそりと呟く声と共に自分と反対側でもぞもぞと身じろぐ音がする。読んでいた雑誌から目線を上げて反対側を覗き込むと、炬燵布団にカメのように首までうずめた彼氏の姿があった。目だけが合う。胡乱げな私の目ととろりと眠たそうな総司の目が合い、その瞬間後者の目がにやりといたずらっぽい光を宿した。

「あ、炬燵から半分出た。そのまま君がいけばいいんじゃない?」
「いやよ。冗談じゃない!」

僕の分もよろしくと言い出さんばかりの総司に、私は慌てて炬燵にまた身体を押し込めた。冷気にさらされていた肌がほんのり気持ちのいい暖かさにつつまれる。癒される暖かさ。出たくないという総司の気持ちも、納得だった。
11月に入ってからというもの、気温が急激に冷え込んだ。特に今日の冷え込みは厳しく、たまらず炬燵を出してしまったというわけなのだが、…今は失敗したなぁという気持ちの方が強い。
なにせ炬燵を出してからというもの、二人とも一切炬燵から身動きできなくなってしまったのだ。
自分は出たくない。ゆえに相手が出るのを待つ、あるいはそう仕向ける。そんな不毛なやりとりがもう1時間は続いている。
言葉にすればただ目と鼻の先にある台所に行って湯のみとお茶瓶を持って戻ってくればいいだけの話なのだけれど、暖かな炬燵の中から身体の芯まで冷えそうな外に出るということが、大きな障壁となって炬燵のなかに二人を閉じ込めていた。
さてさてどうしようか。
いかに相手を炬燵の外に出すか。おそらく二人とも同じことを考えているんだろう。同時に黙り込んだため、部屋のなかはすごく静かだ。時計の針の進む音だけが聞こえる。
そして午後9時ちょうどを時計の針が指したとき。

「あ、そういえば、今日の映画…」

総司の漏らした言葉に私は敏感に反応した。
はっ、今日は私が楽しみにしていた映画が放送される日だった…!!!
勢いよく視線を炬燵の卓上に走らせる。が、いつもの定位置にテレビのリモコンの姿形はない。できる限り首をめぐらせて部屋を探してみれば、リモコンは果たしてあった。私が炬燵から出て一歩あるけば届く距離の棚の上に。
明らかに意図的なその位置にばっと総司を振り返れば、奴はにやにやしながらこちらを見ていた。それは獲物が自分の思惑通り罠にかかったのを喜ぶ狩人の目だった。
さぁ炬燵を抜けて取りにいくがいい。その代わり僕の用事をたくさん引き受けてもおう。
見え見えの魂胆。しかしあらがいがたい誘惑に私はこぶしをにぎりしめた。
ぐぐぐぐ、おのれ図ったな。
そうこうしている間にも時間は刻一刻と過ぎていく。焦りからついに私がくじけそうになったとき。
救いの神は下りてきた。
テレビ台の下でヴィィイィイとうなりを上げ始めたDVDレコーダー。
そうだ!録画予約をしていたのをすっかり忘れていた。これで今見なくても録りだめしたものを見ればいいことになった。
これでまた形勢は五分五分。追い詰めたと思った獲物に再び対峙された狩人の顔は面白くなさそうだ。反対に私の顔は得意げになる。
まだまだ甘い。
再び視線が交錯する。
しかしそれはだんだんにらめっこにも似てきて…
しまいには、「ふはっ」と二人同時に噴出していた。
一旦緊張が緩めば笑いは止まらず、しばらくおなかをかかえて笑っていると、総司がぽつりと言った。

「やっぱり、笑った顔のほうがいいね」
「え?」

笑い声を引っ込めてきょとりとして聞き返す私に、総司は目を細めながら言う。

「しばらく仕事のことで根詰めてたでしょ、君」

言われてここ一週間のことを思い出す。
確かに納期の締め切りが迫ってきていて、ここのところずっと働きづめでくたくただった。鏡の前に立ったときの表情も、たしかにいつもに比べれば精彩を欠いていたかもしれない。それほど忙しく、疲れていた。
じっと見つめ返した視線の先にある瞳は、労わるような光を宿している。普段は意地悪さが目に付く彼だけど、本当は人の機微に敏い。時々こうやってさりげなく与えられる優しさが、胸に沁みる。
じーんとした余韻に浸っていると、衣擦れの音が耳に届いた。

「僕がお茶いれてくるよ」

さっきの頑固さはどこへやら、あっさりと腰を上げる総司を私は慌てて押しとどめた。
あったかい気持ちをもらった分だけ、なにかお返しをしたかった。

「あ、いいよ。私が淹れてくるから!」

その瞬間。

「あ、そう?」

振り返った顔がにやりと笑った。
嫌な予感が背筋を駆け上がるよりも先に、総司の口から言葉が放たれる。

「じゃ、他にもお風呂沸かしたり、戸締りしたり、アイロンかけたりよろしく〜」

もぞもぞとそう言っておもむろに炬燵に戻っていく総司の姿を、私は呆然と見つめた。―炬燵から完全に抜け出して立ち上がった状態で。
…やられた。完敗だ。
どこからどこまでが罠だったのか分からないまま、私はしぶしぶもろもろの仕事をするために寒い部屋の中を横切った。

…水仕事など一番大変な家事を総司が先に済ませてくれていたことに気がついたのは、その後のお話。
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