第二夜
「サーヴァントって奴よ。んで、契約上あんたが俺のマスター。でも実際はペットだからな?そこら辺は間違えるなよ」

 これが全て夢で、目が覚めたら何もなかった。もしそんな顛末でも私は素直に信じるだろう。それぐらい不可解で非現実的な話を私は目の前の男から聞かされていた。
 魔術が存在し、聖杯を巡りかつての偉人が英霊として召喚され、マスターと共に殺し合いを行う。魔術師とサーヴァント、双方の願いのための戦い。それが聖杯戦争なのだと。

「でもまぁ、今回の召喚はいつものそれと一味違うらしい」

 男は悪戯を仕掛ける子供のようににやつきながらあぐらをかいて片手に聖杯をかざしている。令呪、と呼ぶらしい契約の証が現れた時程の光は放たないにしろ未だ不気味な色を保つそれには未だ魔力とやらが込められているらしい。

「今回俺はマスターなしのはぐれサーヴァントとして召喚された。聖杯の力でな。だからあんたと契約するまで俺は一人だった…寂しい夜を過ごしていたのさ」

 いくらか理性が戻ったのか…正直先程と変わらない飄々とした態度なものだから判別がつかない。少なくとも、血が全身にべったりとついていた時より印象はマシだった。ヤクザと勘違いする見事な入れ墨のせいでまともな人間に見えないのは相変わらずだったが。

「呵呵。もっとまともな奴の方が良かったか?悪かったな、見るからに悪人って奴が契約相手で」

 …そんな気はしたけど本当に悪人だったのか。

「悪人も悪人、極悪人かもなぁ…騙し、殺し…利用して相手を潰す快感は滅多に味わえるものじゃないぜ?例え相手が女子供でも__おっと」

 思わず立ちあがる。手元にあった雑誌を投げつけ、楽々と躱した相手の肩に掴みかかった。力の差も考えず命知らずの行動だ。…それでも動かずにはいられなかった。…もしや一度殺したのか、人はまだしも無関係な市民を。

「痛い痛い。腕とれちゃうよ。…で、何だっけ。無関係な市民?勿論殺したけど?裏社会には色々あるから…不可抗力ってことで」

 …最低最悪。倫理観の欠片もない。記憶がなくたってそういったことが一番許されない、人道に反した行為だというのは想像がつく。それを仕方がないとばかりに言ってのける相手は…本当に人なのか。

「まぁまぁ、そうかっかするなって。この世界じゃ殺らなきゃ殺られる。最後に残るのは絶対的な強さを持つ奴か…まったく予想のつかない狡猾な老馬とか、そんな奴らばっかだったんだし」

 …もしそうだったのだとしても、無抵抗な市民を殺すのは決して許されることじゃない。あってはならないことだ。

「許し。…許しねぇ。そんなもの、誰に許されるってんだ?神か?世間か?」

 許し、という言葉にあくどい笑みは鳴りを潜め、容易く私の手を振りほどくと逆に胸ぐらを掴まれ距離を詰められる。反射的に胸を押して逃れようとするもびくともしない。

「救いを求めりゃ救われたと思うか?殺さざるを得ない状況で見逃したら良いことがあったってか?何が正義かも分からない世界で自分を貫けたのか?」

 …分からない。相手が何を言っているのか、自身の行いをこうも正当化出来るのか。相手は間違いなく狂っていた。いくら契約で見た目が綺麗になろうと、中身の汚さは変わらないらしい。元々なのか歪んだのか、そんなことは今はどうだって良い。あなたは間違っている。理由はどうあれ、人の命を奪ったことは決して正当化出来るものじゃない。その事実だけは変わってはいけない常識。そのはずだ。

「…っはぁ……」

 何を言っても変わらなかった男の顔が、一瞬酷く歪んだ気がした。目をつぶり私を抑える手はそのままに自身の頭に手を当てている。…呆れているのか。そう思ったがすぐにそれは過ちだと気づく。次に目を開いたとき、彼の中にある私への感情は間違いなく無関心のそれと変わっていた。

「…キーキー喧しいペットだな。なぁあんた、やっぱり死んどくか」

 ガツン、と脳が揺れる衝撃と同時、私は地に倒れ伏していた。急所を狙ったのか身体が動かない。思い出したようにずくりと首元が痛みだす。倒れた私の髪を乱暴に引っ張り上げ、男の目は愉快そうに細められる。

「あんたの常識はここじゃ通用しない。強い者が正義で、弱けりゃ虐げられる。さて、今回はどっちが上かねぇ?」

 むりやり目を合わせられ顎が下から抑えられる。さながら捕食者のそれで私をどうにかしてやろうと考えているのが分かる。…怖い。恐ろしい。コンマ数秒で私は死ぬかもしれない。

 …でも、このまま何も足掻かずに死んだら、私は。

「…あ?」

 思い切り顎下の指に噛み付いた。これには意表を付かれたらしく、相手の力が緩んだ隙に距離を取って逃げる。またすぐに追いつかれるのは目に見えている。その間に打開策を考えないと。

相手の話。サーヴァントとマスター。説明が本当なら本来は私達は主従関係にある、はず。しかし実力では間違いなくサーヴァントが上。力を持たないのにどうやってマスターは彼らを制するのか。

「っは、何処へ行こうってんだ、なぁ?」

 背後から声が響く。弄ばれているのだろう、足音はテンポが早くなることなく一定のリズムを刻んでいる。どうせ捕まると決めつけているのだろう。

 右手の令呪を一瞥する。きっとこれがヒントだ。何かサーヴァントに効力を持つ仕掛けがあるに違いない。

…駄目だ。念じても言葉を発しても何の反応もない。階段を登り下りしているせいで足が震えてきた。足音はパタリと止んだ。…嫌な予感しかしない。

「だから無駄なんだって…はい、また俺の勝ち」

 ほら、やっぱり。曲がり角でばったりと出くわすと、そのまま羽交い締めにされる。いくら足掻いても変わらない結果に下唇を噛んだ。…ポンコツ令呪め。汗一つかかず余裕そうに私を見下ろす相手に、段々恐怖よりも怒りが勝ってくる。ええい、一言くらい言っても良いだろう。

…サーヴァントなら、自分の主の言うことくらい聞け!!

「__は、」

 今度こそ相手はピタリと止まり私を凝視した。そのまま一言も発しない。……え、効いたのか。へらへら笑われるか一発殴られるかと思ったのに。その豹変ぶりにこちらも静止してしまうが、すぐに覚醒して好機なのかと訝しみながらも話し続ける。

 サーヴァントやらマスターやら訳わからない話に私を巻き込まないでほしい。私はペットでも猫でもないしただの誘拐された被害者。それで、人を殺すのは何があっても悪いことで、いくら世界が狂っていようと絶対に変わらないルールなので。だから…そう。あなたは間違っている。

「……」

 急に叫びだして首でも絞めてくるかと身構えるが、その兆候もなく。ぶつぶつ呟きもせずに私を見つめてくる。状況の変わりように私がついてこれません。

それから数秒。何度か相手は瞬きを繰り返すと、そっと私を元の体制に戻した。どんな心境の変化、と怪しむと神妙そうに口を開く。

「主…主、か。諫言はあれど諫止はいつぶりか…」

 諫言?諫止?聞き慣れぬ言葉に茫然とすると、相手はハッとしたように私の拘束を解く。急なことに対応できる力も残されておらず、私はそのまま尻もちをつく。

「…あんた、本当にマスターになる気があるのか?」

 苦々しく突拍子もない発言をしてきた。…勿論、あるかと問われれば無い。しかしもう契約をしてしまった身らしいのは確か。そして主従関係であるのだとも。ならば最低限の身の安全は保証してほしい。取り敢えず命だけは惜しいのだ。

「そうか。…いや、ならいい」

 何が『いい』のか『良くない』のか、興が冷めたように覇気をなくし相手は身を引く。そのまま飽きたと告げて私が異を唱える前に早々に立ち去ってしまった。釈然としないままぽつんと残された私。…これは、助かった、のだろうか。
 そう思った途端、全身が鉛のように重くなる。目が覚めてから走ったり乱暴されたり散々だったこの身体。最早機能しているのが不思議なくらいボロボロだった。どこか休める場所を探さないと。

 本当に彼は遠くへ行ったらしく、軽く歩き回って見咎める者は周りにいなかった。人が一人横になれる腰掛けを見つけて倒れ込むようにしなだれる。待ちわびた柔らかさに安堵の想いが胸に広がる。

…それにしても、彼は一体何者なのか。サーヴァントで何らかの偉人、というのは分かる。私は歴史に詳しい訳じゃないから、聞いても分からないかもしれないが。それにしたって、あんなに不安定な人がいたのだなと思う。何というか、自己が一貫していない。話しかける度に同じ人なのに別人に話しかけているような違和感を感じるのだ。
 それに、今思えば先程のあれは本当にお遊びで、殺す気はなかったのではないか。少なくとも意図的には。本気なら速攻叩きのめして終わりだろう。別に情があったなかったとかではなく、それでも私を殺そうとするような意の発言をしただけあって、やはり彼はあべこべな事ばかりしている。
 無鉄砲でいてその癖どこか計算されたような言動。まとめるとそんな矛盾な存在だった。…本当に読めない。これから私はどうなるのか…
 そんなことを考えているうちに意識は遠のいていった。


 どれほど長く眠っていたことだろう。夢の一つも見ずに、ぐっすりと。目を開けたとき期待していた外の明るさはなく、眠る前と変わらない暗闇が私を出迎えた。…まる一日眠っていたのか。

「この世界の新宿は眠らない。朝は永遠に訪れない」

 正に闇の象徴だな。声が降ってきて瞬時に顔をあげると、横たわる私を見下ろすように彼は立っていた。

「…逃げなかったんだな」

 意外そうに呟かれる。…逃げる。そういえば、そんな事もできた。あまりに疲労した身体を休ませるのに精一杯でそのことに思い至らなかった。

「嘘言うな。あれ程命が惜しいと思っていたくせに。俺が帰ってきてあんたを殺すとは思わなかった訳じゃないだろう」

 …そうだ。それは嘘。分かっていて逃げなかった節もある。理解できない行動を私は受け入れた上でとっていた。勿論、死にたくはない。…あろうことか殺されることを憂慮しながら、私はどこかで彼が私を本当に殺さないであろう確信があった。何故そんな考えが浮かんだのか正直分からないけど。ひとしきり言い訳をごねたところで、相手が奇妙なものを見るかのように私を見ているのに気が付く。

「……あんた、大分変わってるな」

 ...だから、あんたにだけは言われたかない!!

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