その日は珍しく2人共夜の任務が無い一日だった。
警備のため夕方に目を覚ますと、詩澄が珍しく飯を作っている音がした。
気配を消して台所に向かうと、鍋を見ている詩澄の後ろ姿があった。
肉が煮込まれているいい匂いが漂っている。
こいつと過ごすようになってから、俺は新しい料理を何個も知った。
詩澄は洋食を好んで作っていたからだ。

そうして見ていると次は何かを切っているようで、まな板の音が静寂の中で響いていた。
こうして詩澄が台所に立つ姿を、じっと見ることが好きだったように思う。


こいつは常に無鉄砲で自暴自棄で、誰にも止められない野生動物のようだった。
だが途轍もなく強くしなやかで、美しかった。
誰のためでもない、未来の身内のために闘っていると知った。
同じような境遇であるかもしれないと思い、勝手に気にかけていた。
話してみれば案外物事を深く考えていた。
そしてその動きは誰にも真似できない、俺や他の柱でさえも圧倒される程の体術を会得していた。
こんな奴はすぐに死ぬだろうと思っていたが、蝶屋敷で何とか生きている姿を何度も見かけた。
そうして話すほど、時間を一緒に過ごすほどに、その時間が終わることを残念に思ってしまうようになっていた。

俺の妻は自らを省みない、犠牲を厭わない立派な隊士だ。
そして俺の弟も、鬼殺隊に入ってしまった。
どうして人生というものは、こんなにも上手くいかない。


「できたよ〜〜」

詩澄が俺の方を向いて声を掛けてきた。
西日が強く、血を浴びたように見えた。









食事の準備をしてから食卓に着く。
俺が感想を言うまでその猫の様な目でじっと見てくるので、俺は自ら料理の感想を言うようにしていた。
俺の感想を聞いてから、詩澄は料理に手を付けた。
何という名前の料理か忘れてしまったが、牛肉を洋酒で煮込んだと言っていた。

片付けを一緒にしてやれば、詩澄が俺の頭を撫でつけた。
避けても完遂するまで追ってくるので、避けても無駄だと俺は結婚して早々に理解した。
こんな題名もない日常は、ある日唐突に終わる。
何の前触れもなく、予兆もなく打ち切られる。


警備の支度を済ませると一緒に出掛けると、詩澄が言った。
これはかなり珍しいことだった。
任務のない日、詩澄は家で刀を研いだり体を休めていることが多かった。

「海に行く」

俺は海に行ったことはないが、巷では海で泳ぐことが楽しみの一つとされていると聞いた事があった。
今はそのような季節ではないが何か目的があってのことだろう。
家を出て俺は詩澄と別れた。







弱い鬼が2体程いたので殺しているうちに、夜明けが近くなっていた。
東の空が白くなっていた。
もうじき夜が終わる。
俺は帰る前に海に寄ることにした。
海に何があるのか、この目で確かめてやろうと思った。

まだほの暗い海が、漏れ出た太陽の光で少しだけ眩しい。
海は広大で、水平線がずっと先まで続いている。
この景色を見ていると、心が凪ぐのが分かる。
圧倒的な自然が人の心の漣を消し去っていく。
怒りも悲しみも一時だけ穏やかにしていく。

そうして海を眺めていると、人の頭が海に浮かんでいるのが見えた。
溺れているのか?
刀だけを持って海に入る。
冷たい海水が全身を包む。
近付くに連れて、それが詩澄であるとわかった。
死んではいない、血は流れていない。
詩澄は波に流されるままで、近寄ると目を開けた。

「……どうしたんだよ」
「この前子供を見てきたんだけど、幸せそうに育てられててさ」
「……」
「そしたら何か、何故だかとっても泣きたくなって、」

詩澄はそこまで言って海に潜った。
訳も分からず、俺も海に潜った。
水中で詩澄が瞼を開けて、目が合った。
迂闊に触れるとぶっ壊れそうだと思った。
その目尻にそっと指を添わせれば、詩澄は微笑んだ。

息が続かなくなって海面に浮かび上がった。
頭の先からびしょ濡れで、どちらからともなく笑い合った。

「帰ろっか」

詩澄はそう言って、岸まで泳ぎ始めた。
海が眩しくて、目が潰れそうだった。

ALICE+