朝、いつも通り受付でにっこり営業スマイルを浮かべて働く千ヶ崎さんに挨拶をしながらエレベーターホールへ向かおうとしたところを、ちょっとお時間いいですかと呼び止められた。いつも30分ほど早めに到着しているので、問題はない。お茶の準備の手伝いができなくなるけど、それはわたしが勝手に手を出しているだけで、もともと要員として計上されている訳でもないわたしが抜けたところで支障はないだろう。
「名字さんは、松田先輩とはどんな関係なんですか」
「友達だよ。仲が良いだけで、付き合ってるわけじゃないよ」
この時間はまだ人通りの少ない、小会議室やトイレが並ぶ細い廊下の入り口で、邪魔にならないように2人で壁際に立つ。これまでも何度か聞かれたことのある質問なので、要点だけをしっかりと答えた。
「付き合ってないっていうのはもう分かりました。だって、もし彼女がいたら、松田先輩はわたしにこんなべたべたさせないですもん」
「そ、そっか・・・」
「でも、名字さんの席っていっつも松田先輩の隣じゃないですか!」
「友達でも隣に座るよ?」
「座りません!松田先輩は、座りません!」
「うーん・・・・・・」
今は確かに松田くんから席を指定されて隣に座っているけど(何回目かを過ぎた辺りからもう何も言わずともそれが固定席という感じになりつつある)、それは松田くん曰く、千ヶ崎さんが押しかけてくるのを防ぐためで、「あいつが隣だとうるさい」からだ。
でもさすがにそれを言うのは思いやられる―・・・
「わたしを隣にしないためだって分かってます!」
「あ、うん。分かってたのか」
「でもそれなら、松田先輩の隣は萩原先輩でもいいじゃないですか!」
そうするとわたしが千ヶ崎さんの隣になって、いろいろ絡まれるのを心配してくれたんじゃないかと思うけど、これも言いづらい。聞かれても答えづらい質問はこちらとしても返しようがなくて辛いなあ。
「とにかく、たまたま隣になったとかならいざ知らず、毎回隣に座ってるってどういうことですか!?今は付き合ってなくてもこれから付き合うんですか?元カノですか?より戻す5秒前なんですか!?」
「千ヶ崎さんって面白いよね」
「・・・はぁ!?」
「素直で裏表なくて、かわいい」
「は、はぁ!?・・・そんな話してないんですけど!!」
千ヶ崎さんは松田くんが隣に女子を座らせることをやたらと気にしているみたいだけど、隣に座らせる=彼女っていう図式は行き過ぎだと思うんだな。だって、彼女でも何でもないけど、今まで割と隣に座る機会もあったし。
「あ、あと!松田先輩から名字さんに触ってましたよね!」
「触る?」
「肘でつついてたじゃないですか!口で言えばすむのに」
「あれはわたしがぼーっとしてたから注意を引こうとしただけじゃない?」
「松田先輩は、そういう勘違いさせるようなこと簡単にしないんです!」
あまりにも千ヶ崎さんがいろいろと断言するので、松田くんってどんな人だったっけ、と知り合った当初を思い返してみることにした。
確かに警察学校時代、出会ったばかりの頃は隣になるなんてことはなかった。最初に1回だけ、降谷くんのことを安室さんと呼んでしまって、その後初めて食堂で一緒にご飯を食べたときに隣になって以来は、座席は1番遠い位置ばかりだった。
・・・・・・そう言えば最初のあのときも、わたしが松田くんの隣に座って大丈夫か萩原くんが許可をとってたっけ。
伊達班と仲良くさせてもらうようになってからも、松田くんと直接話をすることは多くはなかった気がする。間に萩原くんや諸伏くんを挟むことが多くて、愛想のないクールな人だなっていうのが第一印象。5人組と一緒に歩いていても、松田くんと隣に並ぶことはない。そもそも、今みたいに松田くんの方から話しかけてくること自体が珍しいことだった。
“食堂で一緒にご飯食べたり、みんなで話をするときに、陣平ちゃんと席が隣になることが増えたと思わない?”
“あいつが彼女以外の女の子に自分から触れるとこなんて見たことないよ”
萩原くんの言葉が思い出される。いつだったかそんなことを言って、松田くんがわたしを特別扱いしてるって教えてくれたときがあったっけ。
確かに、今こうして思い出してみれば、最初と今では私たちの関係性はかなり違っている。自分でも気がつかないうちに、いつの間にか松田くんと仲良くなってたんだな・・・。
でも、だからってやっぱりわたしたちが特別な関係ということはない。千ヶ崎さんが憂慮することなんて何もないのだ。わたしは、今の関係性に安心している。松田くんとの関係をこれ以上変えるつもりはない。
それでいいと・・・、今まで疑ったことなんてなかったのに。
「名字さんは、松田先輩のことどう思ってるんですか?」
千ヶ崎さんの真っ直ぐな視線が痛い。
「わたしは、松田先輩のことが好きです!」
うらやましい、なんて思っちゃいけない。
「松田先輩に聞いてもただの同期だっていうだけだし、名字さんもこんな感じだし、・・・・・・名字さんは、どうしたいんですか!」
この気持ちを伝えないって決めたのはわたしだ。
萩原くんを助けて、何が何でも、幸せになってもらう。救えるはずの命を見逃さない、二度と後悔したくないなんて、最初は自分の過去と重ね合わせただけの利己的な理由だった。だけど、一緒に笑って、たくさん話して、同じ時間を過ごせば過ごすほど、わたしにとって彼らはかけがえのない確かな存在になっていった。
だからこそ、余計に譲れない。
他のことにも気を配る余裕なんてないから、今は松田くんとのことは考えない。それは、簡単なことだと思っていたのに。
「ただの同期」って言葉にこんなに傷ついている。
わたしは、本当はどうしたいのか・・・。
結局、千ヶ崎さんに返す言葉は見つけられなかった。
そんな状態で、研修に集中できるわけもなく。
わたしは松田くんを好き。千ヶ崎さんも松田くんが好き。他にも松田くん狙いの人はたくさんいるみたいで、松田くんはモテる。でもわたしは今は萩原くんが最優先。松田くんと千ヶ崎さんはよく喋る。千ヶ崎さんも松田くんの特別・・・?だとしてもやっぱり、今は萩原くんのこと以上に優先すべきことなんてない・・・・・・。
もんもんと渦巻く気持ちを抱えながら研修を受けて、整理できたのかできていないのか分からない思考回路のまま資料を片付ける。
今日も食堂前で萩原くんと松田くんと待ち合わせだ。千ヶ崎さんのいる昼食にも大分慣れてきたけど、今日はあの2人の仲の良さそうな掛け合いを見たくないな・・・。
・・・・・・なんて、やめだやめ!
いっそのことため息でもついてしまいたくなるのを我慢して、重い空気を肺に押し込める。そもそもこうやって悩んでしまうような状態を避けたかったわけであって、いくら悩んでも答えのでないものを考え続けてもいいことなんてない。
元気だ。元気だそう!
研修室を出て行く人の流れについて廊下に出る。少し早いけど、大体いつも通りの時間だ。研修が終わったことをメールで連絡しようと鞄に手をかけたとき。
扉から出てすぐの壁にもたれる、ここ数日ですっかり見慣れた黒スーツのシルエットが目に入った。
その名前が声になる前に、わたしを待っていたのだろう視線とばっちり目が合った。